第百五十九話「孤高の風眼、単騎突破」Lone Wind Eye, Solo Breakthrough
「精霊から“試練”を与えられた。──次の階層、単独で突破する」
ランスの言葉に、仲間たちは静かに頷いた。
誰も反対はしなかった。言葉はなくとも、信頼がそこにあった。
ここは《翠風の迷宮》──四十三階層、精霊の気配が満ちる神秘の領域。
この下、四十四階に眠る《風眼ノ間》。
それは“資格なき者”を弾くための、精霊との契約を許すための、孤独な試練。
仲間はそこで待つ。
彼は一人、扉の向こうへと足を踏み出した。
──重い扉が、静かに閉まる。
空気が変わった。
魔力が渦巻く。
世界がひとつ、狭くなる。
視界の中心、ただひとつの存在が立っていた。
人の形をした、黒衣の存在。
中空にただ佇むその姿から、圧倒的な殺気が放たれていた。
(あれが、試練の……)
そう考える暇もなかった。
──視界が揺れた。
直後、鈍い音が床に響く。何かが地面に落ちた。
……自分の左腕だった。
(……は?)
思考が追いつくよりも早く、熱が走る。
肉が裂けた感覚。視界が赤く染まる。
ランスは右手の剣を構え、反射的に飛び退いた。
剣戟の予兆もなかった。ただ、失われていた。
敵が歩み出る。
静かに、滑るように、まるで風そのもののように。
──一合目。
受ける。右手のみでは支えきれず、肩に痛みが走る。
──二合目。
回避。袈裟に振り下ろされる斬撃を、地を転がって交わす。
──三合目。
踏み込み、剣を突き上げた。
その鋭さに、敵の頬がわずかに裂けた。
「通った……!」
それは確信に変わる。
完全ではない。けれど、届く。
たとえ片腕でも、望む場所に刃は伸びる。
敵の目が細まった。
次の瞬間、五つの連撃が嵐のように襲いかかる。
──全てを避けきれない。
──すべてを受け止める余力もない。
一撃を受け、一撃を流し、一撃を踏み越えて──
ランスは滑るように相手の懐へ飛び込んだ。
「はあああっ!!」
気合とともに振り抜いた一撃が、敵の右肩を裂く。
一歩、二歩と後退。
沈黙の中、敵が初めてこちらを“戦士”として見たようだった。
(ここが正念場──!)
剣を逆手に持ち替え、足を構える。
敵の刃が閃き、交差の瞬間──
──彼の動きが、風を裂いた。
ランスの剣が、敵の刃を逸らし、その胸元に届いた。
斬撃は浅くとも、確実な痛覚を伝える。
空気が爆ぜる。敵が後退。
数歩ぶん空間が開いた。
……この一瞬が、生き延びた証だった。
肩で息をする。失った左腕がうずく。
出血は止まらない。
意識も、感覚も、薄れていく。
けれど──
「まだ、終われるかよ」
あの日、ルイに言われた言葉がある。
「人の身で神に挑むのなら、まずは“自分を超えろ”」と。
これは、その第一歩。
ランスは血を拭い、剣を構えた。
そして、再び前へ──
己の限界を、斬り裂くために。




