第百五十八話「揺れる血脈、精霊と天使の狭間で」Between Spirit and Seraph
翠風の迷宮、第四十三階層。
水の気配を帯びた風が、石壁に絡みつくように流れていた。
ランスは静かに腰を下ろし、鍛え抜かれた双剣を膝の上に置いたまま、目を閉じていた。
――今のままで、神に届くのか。
幾度となく抱いてきた問いだった。
天使として目覚めた記憶は断片的で、肝心な力は霧の中に消えていた。
円卓の騎士としての技術も、完全には再現できていない。
ハイエルフとしては、精霊との契約や魔法理論に関してすら、どこかで他者の後塵を拝している自覚があった。
「器はある、と言われてきた。だが、実態は……空の器にすぎんのではないか?」
仲間の誰よりも成長が鈍い――その劣等感を、ランスはあえて口に出さなかった。
だが、沈黙は真実を和らげてはくれない。
迷宮は、生きている。
成長し、変化し、そこに入る者の精神を映し返す鏡であるかのように。
第四十三階層の中ほど。
青白く光る魔法陣の前に立ち、彼はふと、精霊との完全な融合を試してみようと思った。
それは、精霊使いの中でも限られた者にしか許されぬ、魂の一部を共有する高次契約。
「融合ができれば、ハイエルフとしての道は一歩進む。
精霊と天使の力……混ぜ合わせて、何か新しい扉が開くかもしれん」
彼は静かに精霊語を紡ぎ始めた。
その言葉は空気を震わせ、空間の中心を軋ませる。
次の瞬間――薄青い光が空間を満たし、ひとりの女性の姿が現れる。
半透明の衣を纏い、風そのもののように揺れる存在。
「名乗りを問う前に、一つ尋ねる。汝、何を欲す?」
風の精霊でありながら、彼女はランスの心に直接語りかけた。
「強さだ。ただし、ただの力ではない。
“意味のある強さ”。道を照らすための、信じられる礎が欲しい」
答えは短く、だが芯のある響きだった。
精霊は微かに瞳を細める。
「ならば、妾より試練を与えよう。迷宮第四十四階層――
《風眼ノ間》と呼ばれるその地を、汝一人で越えてみせよ。
仲間の助けなく、汝の心と力のみで踏破せよ。
妾が真に価値ある存在と認めたとき、融合の契約を許す」
風が螺旋を描き、精霊はその中に溶けるように姿を消した。
――第四十四階層。ゾロ目の階。
翠風の迷宮において、特殊な“転機の階層”とされる場所。
地形が複雑に絡み合い、魔力の流れが逆巻くその階には、精霊との試練が待ち受けているという。
「なるほどな……一人で、か」
ランスは立ち上がり、背中の双剣を背負い直す。
仲間と歩む旅は決して否定しない。
だが、この一歩だけは、誰の手も借りずに進む必要があると彼は悟っていた。
「俺自身の価値を、俺自身で証明する。
それができなければ、神と対峙するなど笑止千万」
彼は深く呼吸し、第四十四階層へのゲートを越えてゆく。
そこに待つのは――嵐の試練か、あるいは覚醒の兆しか。
そして、迷宮は静かにその牙を研ぎ澄ませていた。




