第百四十八話 「沈黙の深淵」 Silent Abyss
――匂いがする。
久しく感じなかった侵入者の気配。
この階層へ足を踏み入れた者は数あれど、ここまで到達できた者はわずかしかいない。
だが――
この匂いには、少し馴染みがある。
以前、この場所に迷い込んだ**上の階層のガーディアン**。
そして今度は、そいつが何か“臭い連中”を引き連れてきたようだ。
***
66階層の主は、瞳を閉じて沈黙する。
この領域に踏み込む者には二つの選択肢がある。
**去るか、喰らわれるか。**
侵入を許さぬ絶対の支配――それが、この階層に課せられたルール。
ただし、一度テリトリーへ足を踏み入れてしまえば、退くことは許されない。
それは、この空間の主である自分自身にも言えることだった。
ダンジョンコアと紐付けられた存在として、この場所を離れることはできない。
それが、果てしなく続く孤独の牢獄だった。
***
「空が、見てみたい」
かつて意識を失い、まどろみの中で見た景色。
そこには、澄み渡る**青い空**と、果てしなく広がる**明るい星**が輝いていた。
どこか懐かしい。
不快ではないが、心の奥底を震わせる記憶。
それは、何故か――
**「人間と呼ばれる矮小な種族だった頃の記憶らしい」**
理解できない。
何故、この場所に縛られている自分が、その記憶を持っているのか。
前世の名残なのか、それとも、ただの幻影なのか。
だが、どちらにせよ、空に手を伸ばすことは許されない。
***
それならば――せめて、目の前の侵入者で暇を潰そうか。
拳を握りしめ、闇の底に力を集束させる。
「殴ってみて……無事なら、遊んでやるか」
敵と認めた瞬間、慈悲はない。
この領域に踏み込む者は、すべて魂の奥底まで喰らい尽くす。
ボスは瞳を開いた。
その瞬間、沈黙の深淵が動き出す――。




