第百二十九話 「冥界突入」 Gate of Perdition
冥界の門が、目の前にそびえている。
黒く、巨大で、まるで無限の死を凝縮したようなこの門をくぐるのは、これで何度目だろうか。
過去に何度も神と戦った経験はあるが、たいていは途中で邪魔が入る。神々はお互いに牽制し合い、正面からの決着を避ける傾向が強い。だからこそ、今回のような「突撃して殺して構わない」という明確な命令付きの召喚は、ほとんど経験がない。
メフィスト──私を使役できる存在など、まずいない。それほど私の位階は高く、制御が難しいからだ。
だが、今回の召喚者は違った。神と面と向かって戦争を仕掛けるという、常軌を逸した存在。その狂気じみた意思には、正直、私の期待以上のものがあった。
「フフ……面白い」
門を抜けた先で殺し合いが始まれば、同僚たちにいちいち状況を説明する手間も省けるだろう。まずは突破しよう。呼ぶのはそれからだ。
私はゆっくりと、冥界の門をくぐった。
門の中はすでに異常な気配で満ちていた。
空間が重く、時間すら粘つくような感覚。冥界特有の、あの死の圧力。
そして──次の瞬間だった。
**ヒュン──ギン!ギギィンッ!!**
耳をつんざく風切り音とともに、数百の大鎌が一斉に飛来してきた。
四方八方、空も地も埋め尽くすような斬撃。冥界の死神たちが、全力で私を排除しにかかってきたのだ。
視認できた致死性の一撃は、358。
しかも掠っただけで、45%の確率で即死する大鎌の呪詛つき。
私は即座に反応した。三撃を弾き、二撃を回避、空間をねじ曲げて進路をずらす。しかし──
一本が左腕をかすめた。
その瞬間、**ズバァッ!!**
私の肉体は真っ二つに裂かれ、さらに連鎖的に裂け続け、**最終的に三十の肉片**に分割されてしまった。
滑稽なものだ。左腕をかすめただけで、ここまで見事に解体されるとは。
だが、これが終わりではない。むしろ始まりだ。
斬られた三十の肉片はそれぞれ変異し、独立した三十体の「メフィスト」へと変わる。
どれもが私のコピーであり、完全な意識と魔力を備えた分身体。
「挨拶代わりに、少し暴れましょうか」
私たちは、静かに空間を制圧し始めた。
三十体のメフィストが、全員で魔導陣を展開。
空間がゆがみ、闇が裂け、小型ブラックホールが次々と冥界の地に出現する。
**ゴォォン──ッ!**
死神たちは咄嗟に逃れようとするが、重力の渦に吸い込まれ、身体を潰されながら闇に消えた。
一瞬で百体以上の死神が霧散する。
五体のメフィストが**幻影術式**を発動。
総勢百五十もの分身体が戦場を埋め、死神たちに四方から襲いかかる。
「死の番人が背後を疎かにするとは──不謹慎ですね」
幻影たちが笑いながら大鎌を奪い、逆に死神たちの首を落としていく。
一体のメフィストが空中に浮かび、魔道書を開く。
封印されたページを強引に開き、そこから呪詛の方程式を解き放つ。
**「第八級・演算呪詛砲」**
巨大な呪詛砲が解放され、直線上の死神部隊と冥界の構造そのものをまとめて吹き飛ばした。
十体のメフィストが**時の魔法**を展開し、時間を数秒巻き戻す。
死神たちの行動パターンを完全に解析し、未来に起こる斬撃を先取りして実行。
「もう逃げられませんよ。すでに斬られた未来が、貴方たちの現在です」
死神たちは、自分が死ぬ瞬間の“未来”とともに、現実でも身体を真っ二つにされて崩れ落ちた。
私は再び魔道書を開き、最深部のページを開く。そこには重々しい封印がかかっていた。
この呪式は、私と同格の同僚──“あの男”を呼ぶためのもの。
ページが開かれると同時に空間が裂け、地獄の気配が溢れ出す。
「──サタン、起きてください」
召喚に応じ、空間から現れたのは、翼を広げた悪魔王。
冥界の重力が彼を嫌うように軋み、周囲の死神たちが一歩引く。
だが、彼は私を見るなり、いきなり私の首を噛みちぎった。
「挨拶が雑ですね〜」
「……うるせえ。三次元ってのはいつ来てもクソつまらねぇな。なんだこの雑魚共?」
「神ですよ、一応。形式上は」
「はっ。冗談キツいな。──まあいい、皆殺しで行こう。寝起きのストレッチ代わりだ」
サタンが両腕を広げ、次元に裂け目を作り出す。
その隙間から、炎に包まれた悪魔兵が次々と出現し、冥界の地に降り立った。
「地獄軍、展開。敵は死神・冥界騎士・神官部隊。目標は殲滅だ」
悪魔軍が一斉に突撃し、戦場はさらに拡大していく。
メフィスト三十体とサタン、そして数千の悪魔兵。
対するは冥界の精鋭──死神軍団、神官、騎士、冥府の巨神。
冥界そのものが戦場となり、空が裂け、地が焼け、時間が泡のように崩壊していく。
この空間に、もはや秩序などない。
神が作ったこの冥界という舞台──
しかし、私たちにとってはただの前哨戦。地獄の始まりにすぎない。
「さあ、開演だ。これは“神殺し”の劇の、ほんの幕開けだ」
戦場に立つ私の影が、無数に分かれ、また新たな戦いを求めて動き出した。




