第百十六話 「粘幻掌陣」Slime Fang Huajin Palm
ぬるり。空気を切り裂く音が、骨と鉄の音の狭間を縫って響いた。
戦場の中心から少し離れた斜面、芦屋神祖は太極の構えを静かに取ったまま、身の周りを浮遊する淡い光球を見やる。
それはスライム――だが、ただの魔物ではない。
空中にふよふよと漂い、ゆるやかな円を描いて旋回し、
彼の気に応じて即座に動きを変える“意思ある粘体”。
「ほな……右前、三体寄ってきとるな。いっとき」
掌をわずかに動かすだけで、スライムがすっと飛び立ち、
三方向から敵を囲むように滑り込んだ。
ド、パシュ、シュルル。
音もなく包み込まれた骸骨兵が、次の瞬間、部分的に崩れ落ちる。
関節を削り、骨を溶かし、反応を奪う――完全に殺す必要はない。動けなければいい。
「左、崩れるの早いで。補填、二体回して」
空に浮かぶ粘体が回転し、味方の抜けた戦線へと補填されるように飛んでいく。
その動きすら、まるで掌の延長のように、芦屋の技と溶け合っている。
一歩前へ出るとき、彼の足元の気が地に吸われ、掌が微かに光る。
「陰掌……っと、止まりぃ」
振り向きざまに突き出された掌から、薄く広がる凍気が放たれ、敵の動きを封じる。
同時に背後から接近していた影に対し、スライムが自律的に落下、内部爆裂。
だが――
「……なんや、やけにしつこい回復しよんな」
立ち上がる。再生する。
削っても削っても、ぬるりと復活する気配。
全体のバフ――これは、尋常じゃない。
そして次の瞬間、空が鳴った。
乾いた骨が軋み、空中に渦巻いていく。
砕けた肋骨、歪んだ大腿、古の顎。全てが空中へと吸い込まれ、巨大な骨格の核へと合流する。
「……なんか来よるな、」
芦屋の眉がぴくりと動く。
そのまま、構えを取り直すと、両足を斜に踏み込み、太極拳の中段姿勢へと遷移。
「せやけどまあ、一発くらい、様子見とこか」
重心を落とし、腰のひねりと共に、掌底が突き出される。
「発勁」
目に見えぬ衝撃波が、骨の集合体の核心へと撃ち込まれる。
一瞬、骨が弾け、結合が解けた。
だが次の瞬間――骨は、勝手に補填され、形を戻す。
「ほらな、効くけど、回復のが早いわ」
芦屋は掌を下ろし、浮遊していたスライムたちに呼びかける。
「攻撃、全引き戻し。防御展開開始や。……今は“耐える時”やで」
スライムが一斉に戻ってくる。
中空で旋回しながら、味方の陣形を囲むように展開。
一部は粘壁となり、他は接近する敵への反応式に変化する。
骨の竜は、完成した。
それを支える魔力が、地の底から蠢いている。
(晴明……お前、よう頑張っとる。この龍脈、普通なら全滅や)
だが、今この場には――
天使の輪を持つ剣士、
呪を吸い上げる陰陽師、
そして、芦屋とスライムたちがいる。
「そうそう簡単に、好きにはさせへんで」
芦屋の目の奥に、一瞬光が宿る。
──そのとき。
スカルドラゴンの全身が、ピタリと動きを止めた。
「ん? ……今、術、切れたんちゃう?」
直後、後方から元気な声が飛び出す。
「今なら倒せるんだもんっ!」
一つ目の小僧が、満面の笑みで突撃する。
芦屋は口元をゆるめ、静かに立ち上がった。
再び浮遊するスライムたちが、周囲で陣を描く。
芦屋は両掌を広げ、陰と陽を呼び起こす。
「――《粘幻掌陣・裂界掌》!」
掌底の一撃と共に、スライムが導く螺旋軌道に乗って一斉突撃。
骨の竜を囲むように円を描き、結界を裂くような粘光を放つ。
スカルドラゴンの胴体に、灼熱と冷気が同時に走り抜けた。
「割れ目、入ったで……ほな次、いこか!」
粘る力と掌の技――その連携が、ついに竜の不滅を崩し始めた。




