第百六話「死者の王」 King of the Dead
──ダンジョン第35階層。
そこは、"二柱の王"が眠る場所だった。
石造りの広間は天井が高く、崩れかけた円柱が幾本も並んでいる。床には魔方陣の痕跡が刻まれ、壁のレリーフは時間に削られながらも、冥界を象徴する死と再生の図像を刻み続けていた。
棺──否、柩と呼ぶべき巨大な封印器が、中央に二基。左右対称に並び、いずれも人の丈をはるかに超える。
空気は濃密で、霊的な重力が体の芯に沈殿していく。意識すれば、鼓動さえも奪われそうな重圧だった。
「……他の階とは、空気が違いすぎる」
ルイが小声で呟いた。背中には嫌な汗が張り付いている。
ランスが剣の柄に手を添える。羽根のように静かな動きで、気配を探る。
「この圧……“王”級が、二体。どちらも、本物だ」
「片方は死霊の王……もう片方は霊体の王か。アンデッドとレイス、両方の頂点……だと?」
アーサーが歩み出る。周囲の魔力が剣に反応し、白銀の刃が微かに鳴動した。
その時──。
「目覚めの時だ」
両の棺が、同時に、音もなく開いた。
左の柩から現れたのは、《ネクロロード》。全身を金と黒の死装束で包んだ巨人。その肉体はすでに朽ちて久しいが、魔術と魂によって完璧に保たれている。鉄仮面から覗く両眼には、明確な意思と知性──いや、“王者”の傲慢が宿っていた。
右の柩からは、浮遊する白銀の存在、《レイスロード》。その姿は半透明の法衣に包まれ、顔は仮面で覆われていた。だがその身から放たれる霊気は、次元の裂け目のように空間を歪ませている。
「ようこそ。我が静寂の王墓へ」
「歓迎しよう、生ある者たちよ」
二体の“王”が、同時に口を開く。
「我らは選定する。お前たちが“死”に至るに値する魂かどうかを」
言葉が終わるより早く──地が鳴った。
◆
ネクロロードが大杖を掲げる。地面に触れぬまま詠唱もなく、呪詛が展開された。
骨槍。地中から突き上がる無数の黒い骨槍が、アーサーたちを串刺しにせんと迫る。
「ランス、ルイ、散開!」
アーサーが跳躍。ランスは槍を逆手に持ち、迫る骨をなぎ払いながら飛ぶ。ルイは一瞬の躊躇もなく後方に跳び、空間の揺らぎを背中で感じた。
──それはレイスロードの手だ。
その霊体の手が、空気を断ち切るようにルイの首元へ伸びていた。実体がないはずの腕が、確かにそこに「ある」。
「物理干渉型の霊体……!」
ルイが口を噛み、空間跳躍で瞬間的に後退。着地の直前に自分の足元に違和感を覚える。
──重い。
この場にいるだけで、霊圧が精神と肉体の両方を削っていく。この空間そのものが、王たちの領域。
アーサーが吼えるように叫ぶ。
「この二体、互いに干渉せず、完全に連携しているぞ!」
「まるで、双子の王みたいなものか……!」
ランスが突きを放つ。霊圧に砕けそうな腕で、鋭く、正確に、レイスロードの仮面を狙った。だが。
──すり抜けた。
「実体と霊体、交互に“形”が入れ替わってる……!? ランス、あれ、見極めろ!」
「わかってる!」
◆
ルイは魔眼を開いた。
《統合解析・視界共有》──ランスと視界を一時的にリンクし、両者の感覚を共有する。
「よし……見える。交互に、0.4秒ずつ。物理実体化と霊体化を切り替えてる」
すでに限界ギリギリの集中力。それでも、王たちは歩を止めない。
ネクロロードの周囲には、かつての部下たちと思しき亡霊が浮かび上がり、死者の行進を始める。だが、召喚されたアンデッドたちはただの囮だった。
「後ろだッ!」
ランスが跳び、ルイの背を守る。霊波に包まれたネクロロードの大杖が、破滅の重量で降り下ろされた。衝撃波が空間を裂き、数メートル四方が跡形もなく崩壊する。
◆
アーサーが中央に出る。
「ルイ、構造を割り出せ! ランス、抑えは任せる。俺は……貫く!」
白銀の剣に、力が宿る。空間を裂くような一閃が、霊と死をまとめて断ち切る。
ルイは頭の中で叫ぶ。
「ネクロロードの霊核は胸部奥。レイスロードの霊核は、仮面の奥、額の裏!」
その瞬間。
アーサーが地面を蹴った。速度が変わる。質量が、空気が、空間が拒絶するほどの突進。対するネクロロードは全霊力を集中し、霊盾を三重に張る。
ランスが叫ぶ。
「通れ、アーサー!!」
白銀の閃光が、闇を裂いた。
◆
──刹那。
ネクロロードの仮面が割れ、霊核が露わになる。
直後、レイスロードの仮面が砕け、銀の霧となって消え始める。
二体の王は、同時に膝をついた。
「……見事だ。生の者よ。お前たちの“魂”……確かに、王を討つ資格を持っていた」
ネクロロードの身体が崩れ、レイスロードも空気に還っていく。
だが、その最後の瞬間、ルイは確かに聞いた。
「また会おう。冥界の深淵にて──」
その言葉と共に、王たちは完全に消滅した。
◆
静寂が戻る。
ランスが腰を下ろし、深く息を吐いた。
「……冗談じゃねえ、今のが二体だけなんて。こんなん連戦されたら死ぬ」
「いや、これは……儀式だったのかもな。冥界への、通過儀礼だ」
アーサーの剣先が、すでに次の扉を指していた。
その奥。ダンジョン第36階層には──まだ、地獄が待っている。




