第九十六話「円舞と心法」 Waltz and Mind Technique
瓦礫と血と煙、そして蟲の膿汁のような粘液が、広場一帯を不快に塗り潰していた。
嗅覚と視覚が拒絶を訴えるこの地獄で、三名の獣人戦士が、四方から迫る蟲型モンスターに押し潰されかけていた。
だが、次の瞬間──
**四つの影が、空から落ちる。**
無言にして疾風。
その姿は、まるで天からの“制裁”だった。
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「──接敵」
一つ目小僧が空中で両手を広げ、即座に魔法陣を構築。
虹色の幾何学が空間に展開され、震える空気と圧縮された魔力が可視化される。
「敵、二百六十体。生存者三名、戦闘継続中。増援、五十体。接近速度、速い」
だが、ルイが静かに口を開いた。
「……問題ない」
それだけで十分だった。
その声は、戦場の中に凪を落とすような静けさを帯びていた。
ルイの身体が、無音のまま滑り出す。
腰を落とし、膝に重心を預け、肩を抜くように体を沈めながら前進。
左手を旋回させると、風が巻き上がる。次の瞬間、**掌底がモンスターの中心へと吸い込まれるように触れた。**
**ドンッ──!**
無音の爆風。
肉体に加えた打撃ではない。
**掌底から突き抜けた“内勁”が、敵の身体を内側から揺さぶり、魔核ごと制御領域に染め上げる。**
大型のムカデ型モンスターが吹き飛び、背後の蟲たちを巻き込みながら瓦礫に激突。
が、**死んでいない。**
眼窩に淡い翠の光が宿り、蟲たちがゆっくりと起き上がる。
その動きは静かで、整然としており──すでに、敵ではなかった。
「相変わらず出鱈目だな……」
ランスが苦笑しつつ、光槍を構え直す。
だが彼の役割は“殲滅”ではない。
「関節破壊。行動制限のみ」
戦線を保つため、ルイが“殺さずに制圧”した敵を、ランスが正確に潰す。
光を纏った槍が、滑らかに敵の関節を砕き、動きを封じていく。
南無三が軽やかなステップで前線へ。
蟲の背を踏み、瓦礫を跳ねながら、笑みを浮かべて飛ぶ。
「ひゃー、生かす戦いって、逆にスリリングだねぇ♪」
両手の短刀が風を裂き、蟲の翅を斬り、関節を断ち、昏倒寸前のモンスターを次々と積み上げる。
一つ目小僧が気合いを入れる、眼から虹色の光線を繰り出す。
その光は爆裂せず、\*\*“寸止めの死”\*\*を極限まで微調整しながら撃ち出される。
「後方完封。無力化完了。テイム可能体、二十三体」
ルイは、もう次の“呼吸”に入っていた。
回転──
右足を軸に左足で弧を描き、腰・肩・背を完全連動させて**回し蹴り**を放つ。
九体の蟲型モンスターが爆風のように吹き飛び、空中で回転しながら瓦礫へ激突。
──だが、それでも、死なない。
彼の“蹴り”には、**内勁・回復・テイム**が同時に叩き込まれている。
激しい打撃に晒されながらも、蟲たちの身体が光に包まれ、**翠の輝きを宿して起き上がる。**
頭を垂れ、ルイへ忠誠を示す。
ルイが懐から札を数枚取り出した。
静かに息を吐くと、**掌をひと振りで回転させながら、札を一気に解き放つ。**
**「──巡り癒せ」**
**金と翠の回復札**が空を舞い、まるで流星のように戦場を照らす。
倒れた獣人戦士の身体が光に包まれ、裂けた肉が再結合し、血が止まり、筋がつながる。
そして──
動けぬモンスターにも、**回復札と“テイム札”が交差して飛ぶ。**
再び翠光が瞬き、モンスターが震えるように立ち上がる。
その瞳に宿るのは、**服従と再誕の意志。**
瘴気と崩落、死の香りに包まれた空間。
この階層は魔法無効領域──魔術師たちの“常識”が通じぬ地。
だが、その中に、**音もなく滑り込む影があった。**
「突破する」
ルイが低く告げ、瓦礫の狭間を読みながら、まるで水流のように身体を滑らせる。
背後のモンスターに、ひと振りの掌打。
内勁が突き抜け、魔核が震え──次の瞬間、**支配が上書きされる。**
「追加で十一体」
ランスが敵の注意を引きつけ、光輪を回転させて戦線を固定。
南無三がその脇を滑り抜け、短刀で関節を斬り落とす。
一つ目小僧の術式が敵を縫い、再起不能寸前の制圧が完了していく。
そして──
**ルイが、再び踏み込んだ。**
**連撃──回転──爆破のような蹴撃。**
六体が吹き飛び、空中で静止し──
そのまま**光に包まれて、再起動する。**
すでに、テイムされた蟲の数は“小隊”規模を超えていた。
「時間稼ぎに、27階層へ送っておくか」
ルイが数枚の札を開き、再び舞を踊るように回転しながら空へ放つ。
札は弧を描いて飛び、地に落ちる寸前、巨大な魔方陣が起動した。
突如、**光の柱が幾重にも落ちる。**
そこに現れたのは──
**完全に統率された蟲型モンスター軍団。**
「命令──防衛、拠点構築、敵性殲滅」
その一声で、蟲たちが一斉に爆発的に散開。
敵の蟲を寸止めで制圧、捕獲、無力化し、戦線を一気に崩壊させていく。
「殲滅率、上昇速度異常。支配領域、急拡大中」
一つ目小僧の報告も、興奮に満ちていた。
第三救出地点の生存者、確保。
支配下の蟲軍団は、すでに“砦”を築き始めていた。
「転送陣、再構築完了。帰還可能」
「……全員、帰るぞ」
光が溢れた。
静かに、だが力強く。
命令を残し、四人の影が深淵を離れていく。
──だが、奈落はまだ沈黙していない。
それでも、確かに灯された。
**“破壊ではなく、制圧によって統べる”異端の拳理**が、奈落の奥底に静かに根を下ろしていく。




