英雄外伝ep.1:黒焉の賢者(前編)
これはレイが生まれるもっと前の神話の物語。この時世界は戦火に包まれていた。魔族と人族の争いは長く続き、大地は血に染まり、空は黒煙に覆われていた。人族の王国は幾度となく魔族の侵攻に晒され、滅びの瀬戸際に立たされていた。
その時、ひとりの男が現れた。
オルフェン・ノクス
ゼーランド王国に仕える宮廷賢者であり、卓越した魔術の才を持つ男。
だが彼の力には知られざる代償があった。
それは生まれつき「漆黒の呪い」を背負い、それは彼の生命を蝕みながらも、尋常ならざる魔力をもたらしていたのだ。
そんなある時、彼は国を出て近くにある森へ向かった。
その森の名前は「銀樹の森」。
オルフェンが銀樹の森に向かった理由——それは彼の呪いが日に日に強まり、耐え難い痛みと倦怠が彼を蝕んでいたからだった。
彼の呪いは魔法回路を行使することで徐々に悪化し、
最終的には命すら奪ってしまうという恐ろしく強力な呪いだった。
「これ以上、この呪いに飲まれるわけにはいかない……」
王宮の図書館で古代文献を漁るうちに、一つの記述が彼の目に留まる。
『銀樹の森には、古の精霊が住まい、癒しの力を持つ』。
その伝説が事実であるのなら、もしかすると──。
王に許可を求めるのは無駄だった。王宮の者たちは精霊の力を信じていなかったし、呪われた賢者の苦しみなど理解できるはずもなかった。オルフェンは休日に単身、馬を駆り森へと向かった。
銀樹の森は静寂に包まれていた。月光が白銀の枝葉を照らし、風が木々を揺らしてささやく。
その奥深く——透き通る湖があった。
「……ここか」
オルフェンは水面に目を落とす。その瞬間、湖の中央に浮かぶ小島に目を奪われた。
そこには、一人の少女が佇んでいた。
銀の髪、白き衣、月光を纏うかのような神秘的な存在。
「……人の子?」
静寂を破る澄んだ声が響く。オルフェンは息を呑んだ。
彼女の瞳は、まるでこの世のすべてを見透かすようだった。
「お前は、この森の精霊か?」
オルフェンは震えた声で尋ねる。
「ええ、私はリュミエール。この湖と共に生きる精霊よ」
その少女はリュミエールと名乗った。
「俺はオルフェン・ノクス……王国の賢者だ」
彼女は静かに微笑んだ。
「あなた、呪われているのね。」
「.....?!」
彼の秘密を、初対面で見抜いた者など今までいなかった。
リュミエールは湖の水をすくい、そっと彼の手に触れた。その瞬間、冷たくも優しい魔力が彼を包み込む。漆黒の呪いの痛みが、ほんの少しだけ和らいだのだ。
——その時からだった。
オルフェンが彼女の存在に惹かれていったのは。
それからオルフェンは何度も銀樹の森を訪れた。
「君はなぜ、この湖にいるんだ?」
単純な疑問を抱き、彼女に問う。
「ここが私の生まれた場所だから。精霊は聖約を結ばない限り、自らの存在が生まれた場所を離れることができないの。」
悲しそうな顔をして空を見上げる。
「そうか……それは、寂しくはないのか?」
リュミエールはふっと微笑む。
「寂しいと思ったことはなかった。でも……今は、少しだけそう思うわ」
オルフェンの胸の奥が疼いた。
そんな中王宮では、オルフェンの変化に気付く者が出始めていた。
「最近、賢者様の顔つきが柔らかくなったな」
「確かに……前よりも穏やかになった気がする」
周りの魔導士達が疑問に思い始めているころ、オルフェンの親友である騎士団長レオナや宮廷魔術師シリウスは、彼の不在が増えたことを不審に思い始めていた。
「どこに行ってるんだ?」
彼らはオルフェンが休日に遠出をする度にこう尋ねた。
しかし、毎回のようにオルフェンはその問いに対する答えを誤魔化した。
自ずと彼らの疑念は膨らんでいく。
「まさか……誰かに会っているのか?」
ある夜、レオナが問い詰める。
「オルフェン、お前……何を隠している?」
「……何のことだ?」
オルフェンはレオナを睨みつける。
「お前、最近どこへ行っている? 戦争の最中に、何度も姿を消して……」
レオナは心配した様子で彼に尋ねる。
「それは俺の問題だ」
「ふざけるな! 俺たちは仲間だろう!?」
今まで場を見守っていたシリウスが割って入る。
「オルフェン、言ってくれ。何があった?」
シリウスの言葉に呼応するようにレオナがたたみかける。
オルフェンは遂に口を開き
「……俺はただ、呪いを抑える術を探しているだけだ」
と言った。
しかし、
「それだけじゃないだろう」
レオナが鋭く詰め寄る。
「お前……誰かに会っているんじゃないのか?」
「............」
オルフェンの沈黙が答えだった。
レオナとシリウスは顔を見合わせる。
彼らはオルフェンに聞こえないくらいの声量でこう言った。
「……ついていくしかないな」と。
こうして、仲間たちはオルフェンの秘密を突き止めるために、彼のあとを追うことを決めたのだった。
ある夜、満月の光が銀樹の森を静かに照らす中、オルフェンとリュミエールは湖畔でひっそりと逢瀬を重ねていた。
湖面に映る二人の影は、柔らかな光に包まれ、まるで時が止まったかのような静謐なひとときだった。
互いの温もりを感じながら、オルフェンはリュミエールの優しい微笑みと、
言葉にできぬ安らぎに心を満たしていた。
しかし、その時、森の奥からかすかな足音が響いた。
その正体はレオナとシリウス。彼らはふとした拍子にその場所へと足を踏み入れたのだ。
親友である二人は静かにオルフェンの後を追っていた。
二人はオルフェンが何度も銀樹の森へ足を運んでいる事実に、次第に疑念を募らせていたのだった。
森の薄暗い小道に、レオナの鋭い声が響く。
「オルフェン……お前、一体何をしている!」
その声に驚き、オルフェンはすぐさま振り向いた。
湖畔には、密やかな逢瀬の最中にあったはずの二人の姿が、仲間たちの硬い視線の前に露呈していた。
リュミエールは一瞬、動揺の色を見せたが、すぐに冷静さを取り戻し深い瞳でレオナを見返した。
「どうして、ここに……」
レオナは怒りと失望を滲ませながら問いただす。
シリウスもまた、厳しい口調で加える。
「オルフェン、あなたは王国の賢者だ。国を守るための義務があるはずだ。こんな秘密の逢瀬にふけって、何を考えている!」
オルフェンは胸に溜まった感情を押さえながら、重い口を開いた。
「皆……聞いてほしい。俺は、この呪いに苦しむ中で、ただ一筋の光を求めているだけだ。リュミエールは……ただの幻や罠ではない。彼女は、俺に生きる希望を与えてくれる唯一の存在なんだ!」
レオナは激しく憤りながら叫ぶ。
「希望? お前は、精霊と人間の間に何があるというのだ! その存在は、突然現れてはお前を惑わし、国を危険に晒すに違いない!」
オルフェンは一瞬、瞳を伏せるが、やがて毅然とした声で反論する。
「リュミエールは悪い者ではない。彼女の微笑み、柔らかな声、そしてその優しい魔力は、俺にとって救いそのものだ! どうして、皆がそれを理解しようとしないんだ……?」
シリウスは深いため息をつきながらも、仲間たちの懸念を口にする。
「我々は、お前のことを心配している。あまりにも突然に変わってしまったその姿に、国の安全すらも脅かされるのではないかと……」
レオナの目には、怒りと共に涙が滲むように見えた。彼女は、オルフェンを守りたいという思いと、同時に彼に対する深い愛情から、己の感情をぶつけようとしていた。
「お前を守りたい。それだけは確かだ。でも、この関係が、国のためにあるべき使命を果たす邪魔になってはいけない! お前が、誰かに心を奪われてしまうのなら……!」
オルフェンは、心の中で葛藤しながらも、リュミエールを守るための覚悟を込め、静かに答えた。
「俺は……ただ、リュミエールの存在を皆に認めてもらいたいんだ。彼女は、俺を救ってくれる。だから、どうか信じてほしい。彼女は悪い精霊ではない!」
しばらくの間、森の中には重苦しい静寂が流れた。仲間たちは互いに顔を見合わせ、怒りと不信、そして深い心配が入り混じる表情でオルフェンを見つめた。レオナはついに口を開いた。
「……分かった。だが、我々はお前のことを守るためにも、真実を確かめねばならない。お前が言う『希望』が、本当に国とお前自身を救うものならば……」
その一言に、オルフェンの心は僅かに救われる思いがした。リュミエールは静かにオルフェンの手を取り、優しく微笑む。その笑顔は、どんな言葉よりも強く、確かなものだった。
逢瀬の露見と激怒の対立の後、森は一瞬の静寂に包まれた。だが、その静寂は長くは続かなかった。数日後、銀樹の森にかすかな不穏な空気が漂い始めた。霧が深く立ち込め、枯れ葉が風に舞う中、レオナ、シリウスが、まだ疑念と不安を胸にオルフェンの足取りを追って森の奥深くへと進んだ。
森の奥では、オルフェンがいつものようにひっそりと歩んでいた。
その表情には先日の口論の痛みと、リュミエールへの変わらぬ想いが滲んでいた。
仲間たちは、彼の背後に隠された真実を確かめようと、密かに後を追っていたが、
心の中には「本当に彼は、何を守ろうとしているのだろうか」という疑念が渦巻いていた。
突如、森の静寂を破るかのように、地面がかすかに震え、低い唸り声が辺りにこだました。その瞬間、仲間たちはとっさに構え、周囲を警戒した。次の瞬間、森の奥深くから巨大な魔族の群れが現れ、闇の中から獣のような姿で襲いかかってきた。
「くそっ、これは……!」
レオナが叫び、剣を抜いた。シリウスは杖を握りしめ、魔法の準備を始めるが、魔族の勢いは凄まじかった。敵は容赦なく、次々と仲間たちに迫り、仲間たちは絶体絶命の状況に追い込まれていった。
そのとき、絶望的な光景の中から、オルフェンのもとに重々しい声が響いた。
「皆、私に任せろ……!」
オルフェンは、かすかな決意とともに、手に宿る漆黒の魔力を解き放った。闇と炎が交錯する中、敵の猛攻は一瞬にして粉砕され、地面に崩れ落ちた。
その瞬間、森の奥から、月光のように輝く姿が現れた。
リュミエールだった。
彼女は優雅に、しかし力強く、乱れ狂う魔族の群れに向かって歩み寄り、手をかざすと柔らかな白い光が放たれた。その光は敵の攻撃を跳ね返し、仲間たちの身を守るかのように広がっていった。
「皆、安心して!私たちがいるわ!」と、
リュミエールの声は澄み切っていた。
仲間たちは、戦闘の混沌の中で一瞬立ち止まり、彼女の力強い姿に目を奪われた。
レオナは、かつて感じた疑念が溶けていくのを感じ、涙をこらえるようにして呟いた。
「……あの精霊は、本当に……この男の側にいるにふさわしいんだな。
彼女は悪い者じゃない。むしろ、私たちを救ってくれた。」
シリウスもまた、震える手で杖を握りしめながら、静かに頷いた。
戦闘が収まると、森にはしばらくの間、重苦しい静寂が戻った。仲間たちは互いに顔を見合わせ、深い息をつきながらも、心の中に新たな感情が芽生えているのを感じた。レオナはオルフェンに近づき、厳しい口調で問いかけた。
「オルフェン、リュミエールのことを、もう少し信じてもいいのかもしれない……だが、なぜお前は彼女を、そんなにも大切に思うんだ?」
オルフェンは深い溜息をつき、目を閉じながら、しっかりとした声で答えた。
「彼女は……俺にとって、呪いの暗闇の中で差し込む唯一の光だ。彼女の存在が俺の心を温め、苦しみの中に希望をもたらしてくれる。どうか、信じてほしい。リュミエールは、俺たちにとっても必要な存在なんだ。」
その言葉と、リュミエールの無垢な表情、そして力強くも優雅な魔法の光景は、仲間たちの心に深く刻まれた。彼らは、これまでの不信や怒りが、自らの心配から来るものであったことに気づき、やがてその気持ちは理解と信頼へと変わっていった。
「……よし、俺たちも、もう一度彼女の力を信じよう。」
シリウスが静かに呟いたその言葉は、仲間たちの胸に深く染み渡り、やがて全員が頷いた。
こうして、銀樹の森での激しい戦闘の中で、仲間たちはリュミエールの真価を認め、彼女を信頼するターニングイベントが訪れたのだった。オルフェンとリュミエールの関係は、もはや単なる秘密の逢瀬ではなく、仲間たちとともに未来を切り拓くための希望の象徴となった。
※神話の時代→神話の時代では、現代以上に魔族と人間の争いが絶えまなく発生していた。
その時代的背景にはその頃天空神が地上に定期的に降臨していた時期であり、魔族を根絶やしにしろと命じていたからだと言われている。