モブ中のモブ令嬢の策略
秋の終わりの風が頬を撫でる。馬の背から見る風景は王都とは全く違うものだ。まっすぐに伸びていく道とまばらに建つ家。放牧された羊たち。
はるか道の先には国と国の境となる壁が左右に伸びている。
僕は本当にちっぽけな人間なんだなあ……。
*
三か月ほど前に王都の学園で開かれた舞踏会。
僕が仕えていた元王太子殿下は、学園で出会った男爵令嬢に恋をして婚約者の公爵令嬢に婚約破棄を突きつけた。
側近として元王太子殿下に忠誠を誓っていた僕たちも、なぜだかその男爵令嬢に恋をしていた。だから、彼女に嫌がらせをする婚約者たちを見限った。
だけど、見限られたのは僕たちの方だった。
*
一か月の停学処分の間に、僕たちは家の後継から外されることが決まった。
そして復学すると、そこは針の筵だった。あれほどちやほやしていた者たちが遠巻きに冷たい視線を投げかけてくる。
僕たちがこんな扱いを受けるなんて。
最初は憤ったものの、それほどのことをしたのだと徐々に後悔の念が押し寄せた。
……なぜかレンドリックだけは、しばらくすると『運命の人と出会った!』とはしゃいでいたが……。
むかつく。
そして今、僕は『後継から降りた』ことを報告するために、領地であるこの地に戻ってきている。
*
馬にも僕の気持ちが伝わっているのか、とぼとぼと進む。
「そのまま国境を出るつもり?」
後ろから声をかけられ、はっと顔を上げる。
牧歌的な放牧地を抜けた街道は、国境の門に近づくにつれてどんどんと人が増えている。夕方に門が閉まる前に隣国へ抜ける商人たちだ。
声のした方に目を向けると、簡単な男ものの服を着て栗色の長い髪の毛をポニーテールにした女の子が馬にまたがり、猫を思わせる緑色の瞳でこちらを見ていた。
「ロベール・ジェスタでしょ?」
なぜ名前を……、というか呼び捨て?
「私はシンシア・ダルカンよ」
シンシア・ダルカン……。どこかで……、あっ!
「シンシア? シンシアなのかい?」
シンシアはにこりと笑って頷く。夕日に照らされたその笑顔に少しどきっとする。しばらく、こんな笑顔を向けられていなかったからだろうか。
「やっぱり覚えていなかったのね。……長いこと帰ってこなかったものね、ロベールは」
僕が元王太子殿下の遊び相手として王都に向かったのは十才の時。その頃シンシアはまだ七才だった。
ということは今は十五才? ……見えない。すごく落ち着いていて大人っぽい。そして、馬にまたがるその姿はきりっとして綺麗だ。
シンシアは父の代わりにこの領地を管理する代理人ダルカン子爵の娘で、僕の幼馴染でもある。
女の子ってしばらく見ない間に変わるんだなあとぼーっと見ていると、「父たちが心配しているから迎えに来た」と言うシンシアの言葉に気持ちはずん、と下がった。
*
古めかしい屋敷の古めかしい執務室の中、領地を管理している代理人や使用人たちを前に父から告げられた言葉は思いもよらないものだった。
「え、シンシアと婚約?」
驚いてシンシアの顔を見るが、なんだかすんと無表情だ。
「え……と、なぜですか?」
「お前はもう宮廷での要職には就けない。それはわかっているな?」
「はい……」
「そして、この土地の重要性は理解しているな?」
この地はふたつの国と国境を接している。王都からこの地を貫いている大きな街道は、隣国へ抜けて大陸全土に広がるマティス教の大教会がある聖地へと続く。その街道からもう一つへの国へ分岐する道もある。
我が領土は商業的にも文化的にも、有事の際には軍事的にも重要な土地なのだ。
「だからこそ私たちジェスタ公爵家が治め、外交の要職も担っている」
ジェスタ公爵家の創始者である祖父は前国王陛下の王弟である。つまり元王太子殿下と僕は又従兄弟にあたる。そして祖父の代からこの地を賜り外務大臣を務め、父もまた現在外務大臣の任についている。
それほどまでにジェスタ公爵家は王家から信頼されているのだ。
僕は王太子がなにか間違ったことをしそうな時に諌める立場だった。あの生徒会において諌めることができたのは、身分的には僕だけだった。それなのに……。
僕は改めて恥入って俯いた。僕は正しいことを見極められなかった。
「ジェスタ公爵家の跡取りはお前一人。お前を廃嫡とするならば養子を取るしかない」
「……はい」
それは覚悟していた。だがそれとシンシアとの婚約となんの関係が?
「けれどお前は外交の勉強を続けていたし王家とも繋がりがある。これはおいそれと断ち切れるものではない。……よってシンシアをジェスタ公爵家の跡取りとする。そしてお前はその夫となって支えるんだ」
「は?」
父は眉を下げて「ふふっ」と笑った。
「シンシアは天才なんだよ」
僕は呆然とする。ズタズタになったプライドを横に置いて整理しようとするが頭が真っ白になる。
混乱している僕をよそに父は構わず口を開いた。
「シンシアはこの西部の中心にある学園を飛び級で十二才で卒業し、隣国へ留学して語学も堪能だ。この地の重要性もよく理解している。この一年はダルカン子爵とともにこの地を管理していたから実務に関しても問題ない」
え、十才で入り八年学ぶ学園を二年で卒業? ええ? 幼い頃、僕の後をついてまわっていた、あの小さな女の子が?
そして、領地を管理していた?
シンシアをまじまじと見ていると、彼女はにっこりと微笑んだ。
「そういうわけなの。よろしく」
そういうわけって……。僕は恐る恐る聞いた。
「君はいいの? シンシア」
僕に反論の余地はない。だけど……、と確かめてみると、シンシアは明るく笑った。知的な美しさを持つシンシアが笑うと、途端に華やかになる。
「私は小さな頃からロベールが好きだったもの。子爵家の私があなたと結婚できるなんて、思いがけない幸運ね」
その言葉を聞いた僕はじわじわと顔が熱くなるのを感じた。
ああ、そうだ。あの栗色の髪の小さな女の子は『大きくなったらロベールと結婚する』と言い、僕が王都に出る日にはわんわんと大泣きしていた。
僕は華やかな王都や王宮での生活に染まり身分に相応しい婚約者を得て王太子殿下の側近になると、この土地を顧みることはなかった。でも、その間にシンシアは固い蕾を割って輝くばかりに花開いていたのだ。
「心配しないで。私が当主になってもあなたを尻に敷くことはないわよ」
あまり交流がなく会えばつんけんしていた元婚約者とも天真爛漫だった男爵令嬢とも違う、まっすぐに自分の足で立っているシンシアがいる。
「うん……。こちらこそよろしく」
僕は、シンシアがすっと出した右手を握り返した。
きっと尻に敷かれるんだろうなあと予感しながら。
* シンシアのつぶやき *
私の名前はシンシア・ダルカン。前世読んでいた「小説」の中に名前さえも出てこなかったモブ中のモブ。おまけのように記されたロベールの生い立ちエピソードで、彼の優秀さと優しさを表現するために描かれた小さな女の子が私。
気づかれましたか? そう、私は転生者です。
幼い頃の初恋の相手ロベールが、いわゆる「断罪」後の「ざまぁ」をされることは知っていました。小説では王太子の取り巻きたちがその後どのようになるのか描かれていないので、私は父を通じてジェスタ公爵に計画を持ちかけました。
ロベールをこの地に誘導して私と婚約すれば全て丸く収まりますよ、と。
私が「天才」の名を得るために必死に勉強したのはこのため。この地の領主にふさわしくなるために努力したのです。一応、前世では経営学を学んでいた学生だったのでなんとかなりました。
それからもちろん、外見を磨くことも頑張りましたよ。ますます素敵になっているであろう彼にふさわしくありたいし、宮廷で美しい人に見慣れたロベールに好かれなければ意味がありませんからね。
……全てはロベールを手に入れるために。
【終わり】
シンシアは「内容を知ってる」系令嬢でした。