トライアングルレッスン【ジェラシー】
「ユイコちゃんさ、僕を彼氏にしない?」
夕焼けの茜色が教室の中にも滲みていく。
図書委員会で遅くなった教室には誰も残っておらず、その提案は一緒に図書委員をしているクラスメートからの唐突なものだった。
「へっ?」
私は咄嗟の反応が出来ずに固まる。
彼は陸上部に在籍しながらも、ミステリー小説が好きなんだと進んで図書委員になってくれたいい人で、話も合う。
そんな彼が、仔犬のような人懐っこい笑顔で聞いてきたのだ。
冗談だろうかと思いつつ、夕陽に照らされた長い睫毛がとても綺麗でつい、その影に目が吸い寄せられる。
するといたずらっ子の笑みでハグをされ、そしてコソコソ話の如く耳元に畳み掛けてきた。
「僕にハグされて嫌な気持ちにならなかったら、結構相性いいと思うんだけど。どう?」
耳へ突然降りかかる吐息に思わずびくっと反応してしまった、その時。
「おいっ!ユイコから離れろ!」
焦りも含んだ突然の怒号は、顔を真っ赤にしたタクミだった。
逆上した勢いで手を奪われ、荒々しくタクミの教室に引っ張られる。
そして教室に入るなり両肩を掴み、更には壁際に追い詰められた。
「男に簡単に抱かれんな!お前は昔っから危なっかしいんだよ!」
「ち、違うよ?あのね、」
「聞きたくねぇ!」
「!」
反論をタクミの唇が塞ぐ。
嵐の様にむさぼるそのキスは離れる事を許してくれず、未経験の私は呼吸の仕方も分からない。
唇からタクミの熱が伝わる。
熱い…
「そこまでだよ、タクミ。」
不意にヒロシの柔らかい声がタクミの後ろから聞こえ、動きを止める。
ヒロシはタクミをゆっくり引き剥がし、私の顔を覗き込む。
「大丈夫?」
顔を上げられない。
するとヒロシの右手がさらりと私の後頭部に伸びる。左手は顔の形を確かめるように輪郭を包み、更にその親指はそっと唇を拭う。
そして耳元にふわりと囁きが届く。
「ね。俺の目、見て。」
おずおずと顔を上げる。
微笑むヒロシと目が合う。
「ふ。かわいい。」
あれ、でもなんか怒って…
と思った直後。今度はヒロシに唇を奪われ頭が真っ白になる。
始めは覆い被さるように唇を包み込まれ、かと思えば下から掬い上げるように。欲しくて欲しくてたまらなかったものの様に夢中で求められ、胸が締め付けられる。
更にヒロシの左手は脇を通って腰に絡みつき、こっちは堪らず身をよじる。湿度が上がる。
「ヒロシっ!お前!」
タクミも直ぐには状況を飲み込めず噛み付くのが遅れたが、ヒロシの鋭く光る目がタクミの動きをまた制する。
「タクミ、あんな事俺が平気でいると思ったか?そんな訳ないだろ!」
それでも力尽くで私から剥がされたヒロシは意外にも泣きそうな顔だった。
タクミもさすがにたじろぐ。
「もう…無理だ抑えられない。いっそ決めてもらわないと可怪しくなりそうだ。タクミだってそうだろ…?」
「…あぁ、そうだな…。ユイコ。俺かヒロシ、どっちなのか選んでくんね?」
背後には壁。
目の間には見た事のない二人の表情。
あぁだめだ。逃げられない。
心臓が早鐘を打つ。
いつかは伝えようと思ってた想いはある。
だけど選ばれなかった方はどうなる…?
この先も幼なじみを続けられるだろうか。片方を独りにはしたくない。いや、こんな事を考えているからこれ程までに拗らせたのではないか。
二人の覚悟は痛みを伴って伝わる。
とにかく答えなければ。
仕方ない。
大きく息を吸って宣言する。
「…保留です!」
・・・んっ?
「はぁっ?保留!?」
「この状況でそのセリフを言えるのは流石だな…結構追い詰めたつもりだけど?」
「う、うるさい。むしろ、この状況だからよ!
私を置き去りにして、二人で話を展開させて。
お仕置きの意味も込めて保留です!」
「うーわ。やっぱユイコだわ。」
「だな。一筋縄ではいかないな。」
「あっ。じゃあ僕も保留でいいや!」
「えっ?」
思いもよらないところから声がし、見るとすっかり忘れていた図書委員の彼。
「あっ!お前!いつから!?」
「酷いなー。そもそも先輩が僕達に割り込んで来たんでしょ。
ユイコちゃん。また明日、教室でね。バイバイ!」
呆気にとられる私達を尻目に、廊下を走り去る彼は速かった。さすが陸上部。
「調子いい奴だな!」
「……厄介そうだ。」
「まっ、まぁまぁ。取りあえず帰ろ?」
陸上部の彼のお陰でなんとか空気は有耶無耶になり一息付く。……だが平静を装ってはいるものの、初めての経験に上ずった心の内は鎮まらず、体温の上昇が止まらない。
衝撃が強すぎた。とにかく一旦逃げたい。
白状すれば、『保留』は自分が冷静になる時間を確保する為でしかない。こんな場面で自分を優先してしまう図々しさに自己嫌悪も加わる。それにしても何で二人とも平静でいられるの…
・・・だけど、あれ?
胸がざわつく。また別の警笛の様な胸騒ぎ。
そうよ!二人とも、何故キスがエロい?
どこでそんなキスの仕方を知った?
え?経験豊富なの?
いつ?
だ、誰と?
「…ユイコ、ごめんもう勘弁して。恥ずい…。」
「うん、俺もタクミもそんなに余裕ないからさ。」
「へっ?」
「さっきから心の声が漏れてる。なぁ?タクミ。」
「あほユイコ。」
「うぐっ…」
夕陽に照らされた顔は三人共ほの紅く、気まずさを纏ったまま黙々と帰路をたどる。
脇を元気な小学生が走り抜く。その勢いに気圧されつつも自分達の過ぎた歳月を思う。
(((もう、小学生じゃないんだよな…)))
偶然にも同じ思いになっている事を三人は知らない。
背後は薄いながらも夜の色が始まっている。
構成作家さんの「もう一人登場人物を増やしても」と、巽さんの「ドロドロのジェラシー」を取り入れました。さらに下野さんで聴きたい声を集めたらこうなりました(笑)
私の想像としては、タクミもヒロシも映画やドラマでやり方を勉強したのではないかと。結局ユイコ一筋ですもの。そう願いたい。
そしてむっつりヒロシはイメトレもしていたはずです。そんなヒロシが大好きです。