70 種あかし
王都に龍が飛来した話は、瞬く間に国内外に広まった。
神の足跡山脈の遺跡で生き残っていた龍が、ともに封印されていた魔法使いと再び戦い、人間が勝利した――ということになっている。
息子の罪が露見したマッケンジーは、自ら魔法院院長の職を辞した。そのため三十七年前の罪を派手に暴き立てる者はいなかった。
龍の殲滅部隊の殉職者として扱われていたイーサンは、失われた権利や資格を取り戻した。
しかし、すべての問題が解決したわけではなかったのだ。
研究所の職員宿舎の廊下を歩くエルシーの後ろを金茶猫がトテトテと追いかける。
なんとか追いついた猫が、ギャウゥ~っとエルシーの足元にまとわりついてきた。
――エルシー、もう機嫌直してよ。
「いやよ! かまってほしいならイーサンのところに行けばいいでしょう。一緒にお芝居するくらい仲がいいんだから!」
――エルシー~!
ルーカスが名実ともに猫なで声で話しかけてくるが、エルシーはとり合わなかった。今回ばかりは頭にきているのだ。
三日前のことを思い出して、再び怒りが込み上げてきた。
マッケンジー邸で龍が退治されてから数時間後のこと。エルシーはイーサンと黄金龍(猫姿だが)から龍退治そのものが芝居だったことを明かされた。
騎士隊からの事情聴取を終えたイーサン、猫の姿になって現場を逃げおおせた黄金の龍。両者と落ち合えたのはテオの屋敷だ。
テオの書斎で話を聞いたときは、馬鹿みたいに大口を開けていたにちがいない。
「いつの間に決めたの?」
「セドリックをぶっ倒して、騎士隊たちが押しかけてきた直後だ。こいつが死んだように見せかけないと追い回されるって言い出してな」
猫がイーサンの頭に直接話しかけてきて、エルシーが知らない間に段取りが決まっていたというのだ。
「私にも話しかけてくれればよかったじゃない!」
不良魔法使いか、黄金龍のどちらかが命を落とすかもしれないと、本気で心配した。龍が死んでしまったと思い、みっともないほど大泣きしたというのに。
「おまえはすぐ顔に出るからな。全部芝居だとわかってて、まわりの人間をだましとおせるか?」
「それは……」
正直自信がなかった。理由はどうあれ嘘をつくのは苦手だ。彼が言うとおり、動揺を隠せなかったのは事実である。
――エルシーがあれだけ取り乱してくれたから、まわりの人も僕が死んだと信じて疑わなかったと思うんだ。
黄金龍は素直にエルシーに感謝している。
しかし、面白くない。全然面白くない。
「終わりよければ、すべてよしって言うだろ?」
「よくない!」
弱々しい平手打ちとは対照的な、ありったけの力を込めてイーサンの頬をたたいた。不意打ちを食らったイーサンが尻もちをつくほどの勢いだ。同席していたテオでさえあっけにとられている。
「私の涙を返して! 人のこと散々振り回して……あなたたちだけで好きにしなさい!」
怒りが限界を達し、エルシーは絶交宣言をして自分の宿舎に帰った。
それから三日間、猫は度々エルシーの機嫌をとりにやってくる。テオも廊下で顔を合わせれば気を遣って声をかけてくれる。
問題のイーサンは、それ以来研究所にも顔を出さなくなった。魔法使いを廃業して雲隠れしたのではと不安になってきたのだ。
「怒ってるのかな」
派手に殴られたのだから、彼のほうが怒っているのかもしれない。だからといって謝る気もなかった。イーサンのような人間には、不満をぶつけないとわかってもらえない、気づいてもらえないとわかってきたのだ。
自分から伝える努力を怠ってはならない。
それに、エルシーは自分の気持ちをすべて伝えきっていないのに。
――早く仲直りすればいいのに。
子どもの独り言のように猫がつぶやいている。エルシーは思い立って猫に尋ねてみた。
「あなたの本当の名前は? イーサンはあなたの体がまだ小さいほうだって言ってたし、子どもの龍なの?」
――生まれてから五十年くらいだから、子どもかも。名前は、龍族の言葉だから人間では発音できないんだよ。だからルーカスのままでいい。でも、どうしてルーカスなの?他にいくらでも名前があるのに。
猫の尻尾がぴんと立つ。
「両親が、男の子が生まれたときに用意していた名前なの。私の兄か弟のために考えたものなんだけど、女の子しか生まれなかったから……私の家では家族の名前なのよ」
なぜか両者の間に不思議な沈黙が流れた。エルシーは不安になってルーカスに問う。
「気に入らない? 他の名前にしたほうがよかった?」
――ううん。そのままで……ルーカスがいい。
彼はエルシーからもらった呼び名が気に入ったらしい。ニャウッとひと鳴きしてエルシーの足に擦り寄った。ふとルーカスは、廊下に面した窓に目を凝らした。
つられて窓の外に目をやると、青玉色の魔法衣を身にまとった黒髪の男が立っている。
「イーサン……うそっ?」
エルシーは驚かずにはいられなかった。普段から服を着崩している彼が、魔法衣を違和感なく着こなしている。
絶交中なのも忘れて、エルシーは慌てて外へ飛び出していた。
イーサンを目指して。




