66 記憶の糸を縒って
静かに雨が降りはじめた。
雨粒に頬を打たれてエルシーが目を覚ますと、マッケンジー邸の庭に立っていた。龍は静かに二人を見下ろしている。
隣りにはイーサンがいて、互いに顔を見合わせた。同じ体験を共有したことを確かめたかった。
すべて黄金龍自身の「記憶」らしい。
――人間を傷つけるつもりはなかった。でも、仲間の骸を明け渡すことはできなかったんだ。いにしえからの決まりなんだよ。
エルシーは思い当たることがあった。龍の亡骸は人の目に晒してはいけない。龍族の約束事があると龍百科で読んだことがある。
「今のが事実なら、どうして弁解しなかった? 正当防衛として認められただろう」
イーサンの問いに、龍は笑った。笑ったような気がしただけだが。
――騎士や魔法使いが束になってかかってきたというのに? 事情を説明するため国王のもとに出向いても「龍が王宮を襲撃した」と騒がれるのがオチだよ。
混乱した人間の集団心理は、恐怖心を煽るだけだ。
ルーカスは、山脈に身を潜めて、騒ぎが鎮まるのを待つつもりだったという。
「それでも、俺たち殲滅部隊がきたってわけか」
不良魔法使いは悔しげな表情を見せた。
すべてが誤解で、龍ばかりが悪者にされた。必要のない殲滅部隊が送り込まれ、結果として犠牲者だけが増えたのだ。
払った犠牲もさまざまだった。命を失った者、心身に深手を負って騎士や魔法使いを廃業せざるを得なかった者、イーサンのように長い時間を奪われた者。
「なぜイーサンと戦うことになったの? 遺跡で戦うことになった理由があるの?」
龍が答える前に、イーサンはハッとした。黄金龍を見上げ、頭を振り「くそっ」と吐き捨てる。
「あのとき、騎士が――」
「騎士?」
殲滅部隊はほとんどが騎士と魔法使いで構成されていた。イーサンとマッケンジーもその中に含まれていたのである。
「遺跡に龍が潜んでいると村人からの情報提供があったんだ。確認するために何人か偵察に行かせた。数名の騎士とマッケンジーだ」
マッケンジー自身が言っていたではないか……魔法使いとして名を上げたかったと。自分が龍を退治したと世間をだましたほどだ。
「あいつらが龍に襲われたと逃げ帰ってきたんだ。騎士の一人は瀕死の重傷だった」
――仲間を弔っていたところに彼らはやってきたんだ。龍狩り以上に卑劣だった。いきなり魔法で僕を拘束したうえ、剣で斬りかかってきた。
深手を負った仲間を連れ帰ったマッケンジーは、饒舌だった。自分たちが攻撃をしかけたこと以外は、龍が遺跡をねぐらにしていることも詳しく報告したのだ。
だからイーサンや他の隊員が遺跡に駆けつけた。
「俺は、何をやってたんだ……っ」
イーサンは空を仰いだ。
――君も犠牲者だ。僕を封印したことで君の時間も止まってしまった。君は死を覚悟していたんだろうけど、それよりもつらい結果だったね。あのとき、愛する者のために別れを選んだのだから。
「どうしてそこまで知ってるの?」
エルシーさえアンジェラについて詳しく知らないのに、ルーカスは不良魔法使いのことを熟知しているような口ぶりだ。
黄金龍は、遺跡でイーサンと戦っているときにアンジェラの姿を見たと言った。しかも、龍には氷の中に封印されている間意識があったというのだ。
――氷に閉じ込められた僕たちの前で彼女は泣いていたんだ。それに、君の意識ともつながったことがある。だから、君については詳しいつもりだよ。
「な……何勝手なことしてやがる! 人の頭ん中のぞいてんじゃねぇ!」
「イーサン、やめて!」
イーサンの顔は怒りのあまり真っ赤になっている。今にも龍に殴りかかっていきそうな勢いだったので、エルシーは慌てて不良魔法使いのシャツをつかんで引き留める。
「龍が気の毒に思ってくれてるのよ。イーサンだって反省するところがあるんじゃない?」
ぐっとイーサンは言葉に詰まった。彼も龍と対決するまでの経緯について後悔しているはずだ。両者とも戦いを望んでいたわけではなかったのだから。
今なら龍とイーサンは和解できるかもしれない。
ところが、エルシーの夢見心地の時間は現実に引き戻されてしまった。
マッケンジー家の正門で押し問答がはじまっていたのだ。
「王立騎士隊だ! 庭にいる龍を確認させてくれ!」
「ですから、庭への立ち入りは当家の主に許しを得ませんと……」
王都の、しかも個人の屋敷に龍が現れたのだ。目撃者が然るべきところに通報してもおかしくない。
それが王立騎士隊だったとしても。
魔法院の頂点に立つマッケンジーの屋敷が龍に襲撃されたとなれば、やはり騎士隊が派遣されるのは必至だ。騎士隊の制服を着た男たちが詰めかけ、門番相手にすごんでいる。
「面倒なやつらがきたぞ。あいつらと一戦交えるのは勘弁してほしいな」
国王直属の騎士隊に逆らうのは、国王に背くのと同じことだ。一歩間違えば反逆罪に問われかねない。
「こうなれば龍とは無関係だと証明するしかない」
「えっ、イーサン何を言ってるの?」
イーサンは神妙な面持ちで龍を見上げた。龍は黙って彼の決断を待っているように思われた。
「ここで……騎士隊の前で龍を退治するんだ。今度こそ!」
不良魔法使いの言葉に、エルシーは愕然とした。




