55 疑惑
研究所に帰ると、エルシーはテオのところへ出向いて謝罪した。理由はどうあれ無断外泊は事実だ。
処分されることも覚悟していたが、テオは「おかえり、ゆっくり休めたかい?」と軽く声をかけただけで無断外泊をとがめ立てしなかった。反省文を書かされたが、あくまで形式的なものだった。
逆にイーサンは、エルシーがドリスの店にいる間にこってりと油を絞られたらしい。
テオは、魔道具の効果ゆえにイーサンの作った指輪が反応しなかったと説明すると「なるほど」と納得していた。
「身に着けることで自分の魔力を遮断できる魔道具がある。一般人には無意味なものだが、魔法使い同士の目くらましということならば有効だね。やられたな、イーサン」
テオは友人に意味ありげな視線を送った。裏をかかれたと言いたいのだろう。
「せこい手を使いやがって……」
エルシーから見ても、不良魔法使いが口元をゆがめたのがはっきりとわかった。
ローブをまとった魔法使いの襲撃から三日が経った。
「エルシーさんって神の足跡山脈の調査に参加していましたよね? 途中で退去命令が出たんですよね?」
一緒に昼食をとっていたサラが、珍しく仕事の内容について尋ねてきた。彼女は真面目だが休憩時間は仕事の話をほとんどしない。故郷の家族や友達のこと、休日に見つけたお気に入りの店など、私的な時間を有効に使っていることをうかがわせた。
「ええ。魔法院からの命令で慌てて帰ってきたの」
「魔法院の人が呼び戻しにきたんですか?」
それはちょっとちがっていた。王都から早馬がやってきて調査隊長に退去命令の文書が届けられたのだ。国王、魔法院の院長の署名があった。早馬は王国専用と聞いたことがある。
「魔法院の職員は来なかったわ。遺跡調査はもう一ヶ月以上前なのに、今になってどうしてそんな話を?」
「同じ研究室の人が調査隊に参加してたんですけど、戻ってくる途中にマッケンジー院長の馬車を見かけたって言うんです。ディーキントンあたりで」
ディーキントンは、遺跡のある山脈から一番近い大きな街の名前だ。行き返りとも休憩に立ち寄った覚えがある。サラの同僚は、そこでマッケンジーの馬車を目撃したという。
「本当にマッケンジー院長の馬車だったの?」
魔法院からの馬車が来ていたら、年配の研究員たちが気づいたはずだ。実際は馬車の存在すら気づかない者がほとんどだった。
「私用の馬車なんだそうです。見つけたのが上流貴族のお家に詳しい人で、すぐにわかったそうです。家紋が付いていないお忍びの馬車なんですって!」
――紋章のない馬車。
エルシーは思わず声をあげそうになった。セドリックが乗っていた馬車にちがいない。見たことがあるどころか、自分はその馬車に乗せてもらった。ハリソンに魔法衣の注文を断られた帰り道に。
「ですから、魔法院直々に調査隊を連れ帰るとすれば大袈裟だなってみんなと話していたんですよ」
サラの言うとおりだ。魔法院の人間が直接現地を訪れたことはなかった。
調査隊の休憩先に偶然マッケンジー家の馬車が居合わせたとは思えない。
食事を済ませ、サラと別れた後もエルシーは馬車のことが引っかかっていた。ウィルの研究室に向かう間も頭から離れない。
――ただの見間違いよ。マッケンジーには無理。セディーも魔法が使えないんだから……
エルシーは自分の中に生まれた疑問を何度も否定する。
――あの人間は魔法が使えるよ。とても力のある魔法使いだ。
「……え?」
また、直接頭のなかに声が響いてきた。
しかし、あたりを見まわしても誰もいなかった。廊下や、扉の空いた研究室にも人の気配はない。
――エルシー、外を見て。
言われるままに、一番近い窓から外を見た。コナラの木々の間に横たわる朽木の上にルーカスが鎮座している。
思わず窓枠に手をかけたが、飛び越えられるほど窓自体大きくない。
「待って……そこから動かないでね!」
エルシーは猫に向かってそう叫ぶと、研究所の出入り口へと急いだ。
息を切らしてコナラの木にたどり着くと、猫は先ほどと同じ場所でエルシーを待っていた。
「よかった。逃げたと思った――」
――僕は君から逃げたりしないよ。ただ魔法使いと相性が悪いから隠れてる。
「魔法使いってイーサンのことでしょう。何があったの?」
ルーカスはエルシーの質問には答えなかった。優先すべき話があったからだ。
――あのセドリックという人間は、腕の立つ魔法使いだよ。
猫の言葉に、エルシーは言葉を失った。




