53 急襲
イーサンの呪文で発動した防御魔法は、ドーム状の防御壁――結界を作るものだった。
風の刃が防御壁に直撃すると、鈍い震動だけがエルシーたちの体に伝わってくる。しかも、彼女はイーサンの腕に抱き締められており、最初何が起きたのかわからなかった。
「な、なに? 何が起こったの?」
「どっかのバカがけんかを売りにきただけだ」
間近に聞こえる不良魔法使いの声は落ち着いている。
――売りにきただけって、緊急事態じゃない?
早朝ということもあり、人の往来がない路地で幸いした。魔法が発動しても他人を巻き込まずに済んだのだから。
しかし、喜んでばかりはいられなかった。
風の刃は防御壁に衝突するたび火花が散る。攻撃が止む気配はない。何者かが続けざまに攻撃魔法を発動させているにちがいなかった。
「今度はかくれんぼか……卑怯な手ばかり使いやがって!」
イーサンの言葉に、エルシーは可能な限り周囲を観察した。
肝心な敵がいない。魔法を発動させている魔法使いがいるはずなのに。
「エルシー、ここから一歩も動くなよ」
「えっ、イーサン?」
イーサンの腕がエルシーを解放した。結界から抜け出したイーサンは昨夜と同じ魔法で建物の屋根へと飛び上がった。
高いところから相手を探す気でいるようだ。すると、結界に仕掛けられていた攻撃がぴたりと止んだ。
イーサンが視界から消えても、結界ドームは維持されている。
――研究所に放火した魔法使いかしら。どうして私たちを狙うの?
静まり返った通りは、朝は極端に往来が少ない場所だった。うまくすれば誰一人被害が出ずに済む。
ミャウン
猫の鳴き声にエルシーはぎょっとした。
「ルーカス?」
金茶色の猫がエルシーに向かってとことこ歩いてくる。
「こっちに来ちゃだめ!」
猫が結界に弾き飛ばされると思い声をあげたが、猫の体は防御壁をあっさりと通り抜けてきた。
「どうして……?」
――大丈夫、僕には結界が効かないんだよ。
頭の中に疑問の答えがもたらされた。直接響いてくる不思議な声。
「ルーカス……あなたの声なの?」
足元で自分を見上げる猫がニャアンと鳴いた。
――そう、僕の声だよ。今は君にしか聞こえていない。黒髪の魔法使いとは色々あってね……必要以上話しかけないようにしてきた。
たしかに、盗賊に拉致されたとき、魔法研究所が火にのまれたとき、エルシーが危険な状況に陥っているときにしか声は聞こえなかった。
「イーサンのことを避けてるの?」
――向こうから歓迎されないのがわかっているからね。
どういう意味かわからなかった。だが、猫との会話が成立している状況を考えると、ルーカスはただ者ではないのだろう。
「あなたは何者なの?」
ルーカスはそれには答えず、とがった耳をぴっと立てた。警戒状態に入っているらしい。
ドガッ
大きな音にエルシーは身をすくめた。
目の前には三階建ての居住棟。屋上から黒い影が落ちてきた。
「なんなの?」
それは影でなく黒いローブだった。ローブの裾がはためき、体は地面にたたきつけられることなく宙に浮く。
「あのときの魔法使い……!」
研究所に火を放ち、イーサンや自分を危険にさらした魔法使いだ。地に降り立ったローブ男は、目深にかぶったフードの奥に舞踏会用の白いマスクをつけていた。口元の動きだけが見える。これも何かの遊戯だと思っているのだろうか。
フーッとルーカスが全身の毛を逆立ててローブを着た魔法使いを威嚇した。相手の口がゆがんだのがはっきりと見えた。
「ルーカス!」
エルシーは籠を放り出してルーカスの体を抱きかかえた。
「目障りな猫め」
ローブ姿の男はエルシーたちに向かって手をかざす。
「光よ、刃となって守りの盾を突き破れ」
光がほとばしり、イーサンが張った結界の表面をじりじりと溶かしていく。
「結界を破ることができる?」
仮面の下の口元が嫌な形に弧を描く。笑ったのだ。
シュワアアァッ
結界が完全に消え去る瞬間、エルシーはきつく目を閉じた。
「もうだめ……!」
「エルシー!」
頭上からイーサンが飛んできたのと、ルーカスの目が光ったのはほぼ同時だった。




