52 夜が明けて
「イーサン、早く!」
翌日。魔法研究所までの道のりを、イーサンは先を行くエルシーの後に続いた。ドリスから土産に持たされた窯焼きパンを早くテオに届けたいらしい。
ドリスは「また嫌なことがあったらウチに気晴らしにきなさい」とエルシーを送り出した。同時に女店主はイーサンに非難めいた視線をよこした。次は容赦しないと言われている気がして悪寒が走った。
しかし、責められても仕方がない。情けない話だが、エルシーの無断外泊がテオの知るところとなり、初めてことの重大さに気づいた。
「イーサン――誠心誠意謝れ! 必要なら土下座しろ!」
テオの言葉は、まるで浮気をした男に対する助言だった。浮気云々と騒がれるのは心外だが、エルシーに特別な感情がないかと問われると――今のイーサンは答えに困っている。
――アンジェラにこんな姿を見られたら笑われるかもな。
日暮れまでの数時間、エルシーがそばにいないということがイーサンの心理に大きな動揺をもたらした。指輪のおかげで居場所は大体わかっているにもかかわらず、ひどく慌てた。
「エルシー」
「駄目よ。パンはテオにあげるの! お詫びに持って行きなさいってドリスさんがくれたんだから」
話したいのはパンのことじゃない。
「アンジェラとおまえの共通点は、俺みたいな柄の悪い魔法使いを相手にしても物おじしない点だ。魔法使いよりも魔法バカといったところか。それ以外は似ていない」
「どうせ私は可愛くありませんよ」
むくれるエルシーはパンが入った手提げつきの籠を大事そうに抱え込む。
「可愛くないなんて言ってない。俺にとってはどちらも大事だ」
よほど意外だったのか、エルシーは立ち止まりイーサンの顔を穴があくほど見つめている。
「アンジェラが死んだと聞かされたときは正直へこんだ。気持ちの整理がつくまで誰かに話す気にもなれなかったんだ」
彼女の血縁者でもあるエルシーに何も説明しなかったことを素直に詫びた。そのうえでイーサンは先を続けた。
「おまえが知りたいなら、俺はできるだけ答えるつもりだ。だからおまえが……」
「アンジェラのこと、愛してた?」
言い終わらないうちに、エルシーは直球を投げつけた。前置きのない問いに、イーサンは一瞬たじろいだが、短く息を吸って魔法使いは答えた。
「好きだった。それが愛かどうかはわからない。おまえだって愛とかわかるか?」
不良魔法使いの問いに、今度はエルシーが押し黙った。好きだの嫌いだのと対照的な感情の区別はつきやすい。逆に「好き」と「愛してる」のちがいなどわからない。愛という言葉は頻繁に使われているが、その正体はよく知らない。
「俺は、三十七年前にアンジェラを悲しませた。龍を封印するために俺自身眠りについたんだ」
自分がいなくても、アンジェラは幸せになれると思っていた。数年で彼女の寿命が尽きるとは知らずに。
「おまえがアンジェラゆかりの人間だから世話を焼いてるわけじゃないからな」
「私に世話を焼かせているのはイーサンのほうでしょう!」
間髪入れずにエルシーの反撃にあい、イーサンは苦笑した。口げんかは女性に敵わないと認めたほうがいいのかもしれない。
「とにかく、聞きたいことがあれば遠慮なく聞け」
もう少し優しい言葉をかけてやりたかったが、イーサンはそんな言い方しかできなかった。これが不良魔法使いと呼ばれる所以の一つだろう。
「どっちも大事って、アンジェラと同じくらいに?」
「そうだ」
比較することさえ考えられない。どちらもイーサン自身には大事な存在である。
「それなら、もういいや」
エルシーは籠を抱えたまま歩き続けた。その横顔が清々しくて、目が離せなくなった。彼女の長い白金色の髪が揺れる。
――どうしたものかな。
神殿で出会ったときには子どもっぽい少女だと思っていたのに。いつの間にか手に負えない女性としてイーサンの隣りに立っている。
わかっているのは、エルシーを守ろうとしている自分自身の意志だ。
大切なものを見失わないためにも。
「……?」
気のよどみにイーサンはわれに返った。
「エルシー、下がれ!」
前方を歩くエルシーに追いつき、彼女の体をその腕に閉じ込めた。
「光の炎の精霊、わが盾となりすべてを遮らん」
シュワアアァァァっ
イーサンが呪文を唱えた直後、風の刃が二人を襲う。防御壁は何ものも受け付けず不良魔法使いたちを守った。




