48 揺らぐ心(2)
ドリスの店から魔法研究所への帰り道、エルシーはどの道をどう歩いてきたのか記憶が曖昧だった。
イーサンが神殿で龍とともに封印されてから三十七年経っている。己を投げ打って龍を封印した魔法使いとして、エルシーは心の底では彼を尊敬していた。
――イーサンがどんな気持ちで龍を封印したのか、考えてもみなかった。
恋人を残して龍に立ち向かわなければならなかった彼の心中を思うと、魔法使いとして復帰するよう勧めた能天気な自分が滑稽すぎる。穴があったら入りたい。
だが、自分の考えすぎかもしれない。昔からイーサンを知っている人に真実を問い質せばいいのだ。
エルシーが研究所に戻って、最初に訪ねたのはイーサンをよく知る人物だった。
「エルシー、どうしたんだ。今日は外出すると言っていたはずだね?」
「魔法衣の仕立て職人に会ってきたの。それでね、どうしてもテオに教えてほしいことがあって」
少し驚きはしたものの、テオはエルシーを執務室に招き入れた。慣れた手つきで紅茶まで用意してくれる。
「それで、私に教えてほしいこととは?」
エルシーに背を向けたまま、テオはティーカップに紅茶を注いでいた。
「……テオなら、アンジェラさんのことを知ってるでしょう?」
ティーポットを持つ手が止まった。背中越しでもテオが息を飲んだのがわかるほどだ。
「どうしてその名前を……」
「仕立て屋の人が、イーサンの魔法衣を取りにきた女の人の話をしてくれたの。詳しくは知らないけどアンジェラって名前だった気がするって。テオならその人のこと、知ってるかと思って」
振り返ったテオは、真っすぐにエルシーを見つめてくる。エルシーも彼のまなざしから目をそらさなかった。沈黙の間、動いていたのは紅茶の湯気だけだ。
少しして、テオが小さなため息を漏らした。
「もっと早く話しておくべきだったね」
テオは、エルシーにひどく同情的だった。
「昔のことだし、イーサンの私的な事情でもあるから、彼の意志を尊重するべきだと思ってね。でも、君が知りたいなら話そう。君には知る権利がある」
エルシーは無意識に拳を握りしめていた。
「アンジェラは、この研究所で働いていた女性だ。私の研究室に顔を出すイーサンと知り合ったらしい。彼女は私にとっても大事な友人だった」
「そうなんだ」
研究所の職員ということは、条件は自分と同じ人物だと心のどこかで安心した。
「アンジェラは……アンジェラ・ハミルトンは、君のお父上の姉――つまり、君の伯母さんにあたる人なんだ」
「私の伯母さま?」
信じがたいことだが、今にしてみれば「あれは」と思い当たる点がいくつかあった。魔法研究所に就職したいと言ったときの父の激昂ぶり。父の頑なな態度は、姉であるアンジェラの存在が影響しているのかもしれない。遺跡に滞在中、何度もイーサンを探して森をさまよう夢を見た。血縁者であるアンジェラの記憶と結びついている可能性も考えられる。
それにイーサン。エルシーがハミルトンの姓を名乗った際、妙な反応を示した。エルシーがアンジェラゆかりの人間だと気がついていたのか。
「イーサンは知ってるの?」
テオは「ああ」と短く答えてうなだれた。
――そうか、だからイーサンは……
不良魔法使いが、柄にない優しさを見せる理由がわかった。
「伯母がいたなんて知らなかったわ」
「アンジェラは家を勘当されたんだ。魔法研究所で働くためにね。君のお父上は、勘当された姉について子どもたちに話せなかったんだろう」
自分は、伯母と同じ道をたどっている。知らなかったとはいえ、皮肉なことだとエルシーは思った。
「わかった。テオ、ありがとう」
礼を言ってから、エルシーは淹れたての紅茶を慎重に口に運ぶ。喉を通過した紅茶は、なぜか冷たい気がした。
「エルシー。アンジェラの話にはまだ続きがある」
もうアンジェラについて聞きたくはなかった。できれば耳を塞いで逃げ出したいくらいなのに。
「アンジェラは病気で亡くなっているんだ」
イーサンが遺跡で龍とともに眠りについて数年後、彼女は不治の病でこの世を去っていたという。
不良魔法使いは眠っていた三十七年の間に、恋人と死別して、自分だけが周囲に取り残されてしまった。そんな彼を励まして果たしてよかったのか。
エルシーは、自分の行いが正しいのかわからなくなっていた。
凍えた指先をティーカップの熱で温めようとしたが叶わなかった。




