40 魔法の魅力
シャルブルーム王立魔法研究所の火事から二日後。
エルシーは無言で研究所を見上げた。太陽に晒された建物からは、死を覚悟させた炎の恐怖はかき消されていた。
屋内の被害に比べて、外壁は煤けた程度で済んだ。内部も、建物全体を支えている主要な柱に致命的な損傷はなかったという。まさに不幸中の幸いだ。
けれど、エルシーの心にはぽっかりと穴が空いていた。
ウィルの魂が体に戻れたことは喜ばしい出来事だ。しかし、エルシーは彼の変わらない態度に距離を感じるようになっていた。
「エルシーさん」
同僚のサラが駆け寄ってくる。
「元気そうでよかった! あの火事の中から助け出された時はどうなることかと……」
彼女も、火事のあった夜に研究所に駆けつけて状況を見守っていたらしい。
「ツイてませんでしたね。残業中に火事だなんて」
「えっ、ああ、そうね。ひどい目に遭ったわ」
テオは、エルシーが残業中に火事に巻き込まれたのだと周囲に説明していた。
なぜ防御魔法に守られていた研究所が火事に見舞われたのか、真相を話せないことがもどかしい。
サラは、研究所の最も破損の激しい外壁を観察していたイーサンの姿に視線を送る。
「エルシーさんも隅に置けませんよね。あんな素敵な人を隠していたなんて」
「ふぇ?」
サラの意味ありげな言いまわしにエルシーは目を丸くした。
イーサンと「素敵な人」という単語がすぐに結びつかなかった。だが、精悍な顔立ちに加え、謎めいた魔法使いという要素がイーサンの魅力を底上げしているらしい。
「あの人ですよね、指輪をくれた魔法使いって。本当に素敵な彼氏さんじゃないですか!」
やはり大きな誤解が生じている。
「たしかに指輪をくれたのは彼だけど、私たちはそういう関係じゃなくて」
「またまたまた~! 照れないでくださいよ」
サラはエルシーに耳打ちした。
「彼氏さん、研究所で火が消えた直後にエルシーさんを抱えて外に出てきたんです」
身振り手振りを交えてサラはそのときの状況を説明した。
「エルシーさんをお姫さま抱っこして研究所から出てきたんですよ。本当に王子さまみたいでカッコよかったなぁ」
サラは火事の夜に目撃した光景を思い出してうっとりしている。
「本当にちがうのよ。彼とは……イーサンとはそういう関係じゃないの」
「えーっ、火事の現場に居合わせた人たちは、みんなお二人が恋人同士だと思ってますよ」
火事の野次馬となっていた研究所職員はどれほどの数だろう。誤解を解くのは難しそうだ。だからと言って誤解を容認するわけにもいかない。
遠巻きにこちらを見ていたイーサンが手招きするので、エルシーはサラとの会話を適当に切り上げて魔法使いのもとに向かった。
「おまえの見た魔法使いは、性格は悪いが、なかなかの腕前だ」
「黒いローブの人、本物の魔法使いだったのね」
イーサンはうなずきながら、外壁が崩れている部分に注視した。
「俺の力も加わってるが、かなりの力技に持ち込んでる。精霊が抵抗していたのにな」
精霊の声を聞きとることは、上級魔法使いの条件とも言われている。
ローブをまとった男は、精霊が拒んでも魔力で従わせたという。
「まさか人間まで操ったりはしないわよね?」
「暗示にかかりやすいヤツが相手なら可能だ」
半信半疑だったエルシーだが、イーサンの答えに背筋を震わせた。
――魔法使いにも色々いるのね。
あの場で危害を加えられてもおかしくなかった。イーサンのような魔法使いばかりではないということだ。
「それじゃ、はじめるか」
「何を?」
とっさに出たエルシーの問いに、イーサンは不敵な笑みを浮かべた。
「後片付けだよ」
イーサンは深呼吸する。目を閉じて壁に向かって右手をかざした。
かすかにイーサンの唇が動いている。
「光りよ、塵をあるべき姿に還えせ」
彼の唱えた呪文は、まるで詩の一節のように聞こえた。
「イーサ……」
エルシーが声をかけようとしたとき、地面にあった大きな塊が宙に浮いた。崩れた壁の一部だ。呼応するように複数の塊が、壁に空いた穴へと吸い寄せられていく。
周囲にいた人々がその光景に息を飲んだ。
欠けているパズルのピースが埋められていくかのように、塊が壁を構成していく。その継ぎ目にできた隙間を小石や砂が埋めていった。
破壊された外壁が、あっという間に修復される。時間が巻き戻されていくようにも見えた。
「すごい」
――これも、ううん。これが再生魔法なんだわ。
物体を再構成できる魔法もある。イーサンが使ったのはその一つだろう。
イーサンが目を開き、穴の塞がった外壁を確かめている。彼が詰めていた息をぷはっと吐いた直後、周囲から割れんばかりの拍手が湧き起こった。
周囲と同じように感激していたエルシーとは対照的に、イーサンはじつに冷静だ。
「ここの所長であるテオドール・クルスに修復を頼まれている。俺には構わず他の片付けにまわってくれ」
要件だけ言い放ったイーサンは、次の修復するべき場所へ移動しはじめた。エルシーは慌てて彼の後に続いた。イーサンの魔法に圧倒されたのか、興味本位で追いかけてくる者はいない。
「みんなついてこないね」
「当たり前だ。金魚のフンみたいについてこられてたまるか」
不良魔法使いらしい物言いにエルシーは溜息をついた。ふと足を止めてイーサンに確かめた。
「誰もいないほうが集中しやすい?」
魔法は、使い手の精神状態が技の完成度に影響を及ぼすと言われている。エルシーはそれを心配した。
「邪魔ならば、私も研究室の片付けに行くから」
「別に――おまえならば邪魔しないだろ」
短く答えると、魔法使いは次なる現場へと急ぐ。
少しは彼に信頼されているのだろうか。エルシーは気分がよくなって余計なことを口走ってしまう。
「私、イーサンが魔法を使っているのを見て感動しちゃった」
やっとイーサン・ブレイク自身が魔法を使う姿を見ることができた。
「やっぱり私は、イーサンに魔法使いを続けて欲しい」
歩みを止めたイーサンは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔でエルシーを見つめた。




