4 ウィルの暴走
「いつもの人たちとちがうみたいだけど」
昼前に、麓から食材を運んできた人間を見かけてエルシーは不思議に思った。
調査隊は、麓の村と定期的に物資を運んでもらうように契約を交わしている。
「あれは麓の村の人たちですか?」
その日、物資を運んできた男たちは、初めて見る顔ばかりだった。二人くらい新顔が含まれていることはあっても、全員が初対面なんてことは一度もなかった。
「問題ないよ。持ってきた納品書もいつもと同じだったしね」
調査隊の最高責任者である副所長ケインは、男たちから預かった納品書をひらひらとかざす。だが、エルシーは妙な胸騒ぎを覚えた。
麓の村人たちは愛嬌のある者ばかりで、はるばる王都から調査に来たエルシーたちを歓迎してくれたのだ。
それなのに、この日に限って物資を補充しに来た者たちは、無口な男ばかりだった。表情からしておかしい。険しい目つきを見ただけでエルシーは身がすくんでしまう。
やってきた道を下っていく一団を見送っても、不安は解消されなかった。
「ところでエルシー、ウィルは一緒じゃなかったのかい?」
「まだ戻ってきてませんか?」
遺跡のはずれで発見した石碑の一部を回収し、そこに彫られた文字をウィルと解読する予定だったのに。
回収した他の破片と組み合わせてみたいと、ウィルは先にテントへ戻ったはずだ。まさか――嫌な予感がした。
「行き違いになったのかも……探してきます!」
エルシーは、自分の不安を拭い去るために急いだ。行き先は、立ち入りを禁止されている神殿だ。
「ウィル!」
案の定、ウィルを見つけたのは神殿の入り口だった。今まさに神殿へ侵入するという場面に遭遇したエルシーは彼の名を叫んだ。
「エルシー、どうしてここに?」
「あなたを止めるためよ! ここは……ここにだけは入っちゃ駄目!」
全速力で駆けつけたエルシーは、息を整えながらウィルを引き止めた。
ウィルは研究所内でも残業を好む人物として有名だ。研究成果を認められている一方、規則を軽んじている節がある。
「ケインさんに見つかったら大変よ!」
「処罰されるのが怖いから、折角のチャンスを後からくる連中に譲れって言うのか?」
納得できないと彼の顔に書かれている。
ウィルは珍しく険しい表情でエルシーをにらみつけた。
――また暴走している。
一度探求心に火がつくと、ウィルは理屈を受けつけなくなってしまう。エルシーは、そんな彼の状態を「暴走」と呼んでいた。
「エルシー、頼むよ。君ならばわかってくれるだろう?」
エルシーは、ウィルのすがるようなまなざしに答えをためらった。真っ先に拒絶するべきだったのに。
ウィルはその隙を見逃さず、神殿への階段を駆け上った。
「ウィル!」
追いかけて中に入れば、自分まで規則を破ることになる。だが、ウィルが素通りした大きな円柱に刻まれた印を見つけて愕然とした。
エルシーは、一目見て印が装飾の類ではないと気づいた。
魔法文字の一種で、呪文の略字だ。魔法使いが術を強化するために書き記すことがある。
「ここで強力な魔法が使われたの?」
エルシーが容易に読み解けた略字は、ここ百年以内の常用魔法文字を崩したものだった。
神殿の出入りを警告する石碑に彫られていたのは古代魔法文字。対して柱に彫られている魔法文字は比較的新しい。
「三十七年前の――」
エルシーは、立ち入り禁止区域になるまでの経緯を思い出して、神殿に足を踏み入れてしまった。
この遺跡付近で龍が暴れ、国から遣わされた魔法使いたちがそれを殲滅した。いうなれば龍退治が行われたのだ。その舞台が神殿だったとしてもおかしくはない。
だからといって、魔法院が神殿を封鎖する理由になるだろうか。
――嫌な感じがする……ウィル!
立ち並ぶ円柱に一定の間隔で魔法文字の印がつけられていた。エルシーはそれを道標に奥へと進む。
途中、分厚い壁に大穴が空いているのを見つけて足がすくんだ。経年劣化といった崩れ方ではない。瓦礫が放置されているのも気になった。
エルシーは意を決して壁の大穴を潜り抜けた。ようやくウィルの姿を見つけて駆け寄る。
「ウィル、早く戻りましょう。何かおかしいわ……ウィル?」
ウィルは棒立ちになって、視線は壁に釘付けになっていた。興奮を抑えきれない彼の息づかいに、エルシーの不安は頂点に達する。
「エルシー、これを見てごらん」
ウィルは視線を固定したまま、エルシーにも眼前の壁を見るように促した。
「この壁に何が――」
妙な仕掛けがあるのではないかと目を凝らす。壁の正体に気づいたエルシーは息を飲んだ。
「うそ……」
壁ではない。
二人の前には、氷山のように大きな氷の塊が立っていた。その中に見つけたのは。
「龍?」
氷の中に封じ込められていたのは、一頭の黄金龍だった。