37 イーサン
エルシーは、鳥の囀りで目を覚ました。
「ん……」
もう少し睡眠を貪りたいという誘惑に負けそうだ。しかし、誰かが自分の頬に触れた感触が気になって重いまぶたを持ち上げた。
「誰?」
「誰だと思う?」
若い男の声に、エルシーはベッドから飛び起きた。
黒髪の男がベッドの端に座ってエルシーを見つめている。記憶のなかの「彼」よりも、だいぶ顔色がいい。
想像していたとおり目つきは鋭く、琥珀色の目は引き込まれそうな不思議な魅力を持っていた。
「あなた、イーサンなのね?」
魔法使いイーサン・ブレイクの本来の姿だとエルシーは確信した。
「ああ。やっとお目覚めだな」
魔法使いは座っているにも関わらず、エルシーを見下ろしている。思いの外イーサンの背が高くてエルシーは驚いた。今まで、彼が横たわっている姿しか知らなかったからだ。
だが、体が衝動的に動いた。
「イーサン!」
気づいたときには、彼の胸に飛び込んでいた。
「うぉっ」と小さな声をあげたイーサンだが、エルシーの体を難なく受け止める。
「自分の体に戻れたのね、どうやって戻ったの?」
「え……いや、なんとなく――」
しどろもどろになっている魔法使いの態度に違和感を覚え、思わず彼の顔をのぞき込んだ。
イーサンの瞳が、自分の姿を映し出している。同時にエルシーもまじまじと彼の顔を観察してしまったが……慌てて飛び退いた。
寝間着のままで異性に抱きついた自分の大胆さに気づいたからだ。淑女らしからぬ行為だった。
「ごめん! でも、戻れてよかったね」
距離を置いたとたん気恥ずかしくなった。
「イーサンはローブの男に会った?」
「ローブの男?」
エルシーは、研究所内で遭遇したローブ姿の男について話した。
「そいつは同業者らしいな。俺は、おまえの指輪が反応したから研究所に駆けつけたんだ」
「やっぱり……」
恐怖心を掻き立てられる存在だった。あの男はなぜ研究所に現れたのだろう。
「イーサンの体を狙ってたのかな」
「それはどうかな。俺がウィルに憑依してることに気づく人間はそういないと思うが……」
イーサンの言葉に、エルシーは大事なことを忘れていると気がついた。
「ウィル……ウィルは? あなたが自分の体に戻れたってことは――」
「彼も目を覚ましたよ。別の部屋で休んでいる」
戸口にはテオが立っていた。
「元気そうで安心したよ。ここで十分静養してくれたまえ」
エルシーたちがいる屋敷は、テオが個人で所有しているものだという。
「どうしてテオの屋敷に避難したの?」
エルシーの問いに、テオはちらりとイーサンの顔を盗み見た。当の魔法使いは居心地が悪そうに目をそらす。
「職員宿舎も一時的に閉鎖するしかなくてね。誰かさんが火事を消した魔法が強力すぎて、宿舎の建屋にまで被害が出たんだ」
「ええぇっ、そんなに被害が大きいんですか?」
「肩慣らしにはちょうど良かったけどな」
――肩慣らしで、宿舎を壊したっていうの?
あっけらかんとしたイーサンの態度に、エルシーは軽いめまいを覚えた。龍を封印したことといい、彼は桁ちがいの魔力の持ち主のようだ。
「エルシー、通路を挟んではす向かいの部屋にウィルがいる。顔を出してみるといい」
もちろん少しでも早くウィルの無事を確かめたい。しかし、この足でウィルが休む部屋へ直行するわけにはいかなかった。
「えぇと、まず着替えないと……」
もじもじするエルシーに、イーサンがチッと小さく舌打ちした。
「イーサン」
テオがたしなめるように目で合図する。イーサンは無言で顔を背けた。
「ほら、イーサン。部屋から出よう」
ふてくされたイーサンは、テオにどしどしと背中を押されて部屋から出て行った。
テオが用意してくれた服に着替えて、教えてもらった部屋の扉をノックする。すると「はい、どうぞ」と穏やかな返事が聞こえてきた。
――ウィルだ。
毎日研究所で聞いていた彼の声。
エルシーは吸い寄せられるように扉を開き、部屋の中へ入っていった。




