26 お守り
イーサンが、終業時間を過ぎても一人で研究室に籠るようになった。エルシーを職員宿舎に送り届けてから研究室に戻っているらしい。ウィルが研究室に寝泊まりすることは常態化していたので、周囲から怪しまれることはない。
しかし、イーサンはウィルとちがって狭い研究室に引きこもるのが苦手な性質だ。
考えをまとめるために外へ散歩に出たがるし、食事と睡眠は必ずとる。それなのに、今はウィルの生活様式に収まっているのがエルシーは不思議で仕方がない。
――ウィルは研究のことで頭がいっぱいだったけど、イーサンは何を考えているのかしら。
ある日、魔法使いは午後から出かけてくると言い残し、小一時間留守にしていた。
「私が出歩く時には同行するくせに、私にはついて来るなってどういうこと?」
エルシーは、一人での外出禁止を言い渡されたのが面白くなかった。中断を余儀なくされた魔法衣の仕立て職人探しの捜索も再開したい。自由に行動できないエルシーの不満は募る一方だった。
「悪い、少し遅くなった」
イーサンは研究室に戻ってくるなりエルシーに声をかけた。彼のほうから素直に謝るなんて「らしくない」。不満以上に気になって、エルシーは直接疑問をぶつけた。
「イーサン……毎晩研究室に居残ってるみたいだけど、何か気がかりなことでもあるの?」
イーサンはきちんと質問の答えを用意していた。
「エルシー、手を出せ。片手でいい」
不審に思いつつも、エルシーは利き手とは別の左手を差し出した。するとイーサンは上着の内ポケットから取り出した指輪を、エルシーの薬指にはめる。
魔法使いが無言で進める動作に、エルシーは目が点になった。
「この指輪は?」
「魔除けというか、お守りだな。ここ何日か研究所に残ったのは、それを作る準備をしていたからだ。魔力を持った者がおまえに近づくと反応するように作ってある」
宝石はついておらず、銀製の指輪に古代魔法文字が彫られている。
「災いから、守りし者……?」
エルシーにはすぐに文字の意味も読み解けた。彼の言うとおりお守りということだ。
「イーサンには反応しないみたいだけど」
「作り手にいちいち反応してどうする。俺以外の魔法使いには確実に反応する」
部屋の照明に当ててエルシーはじっくり指輪を観察した。
研究の邪魔になるので指輪をはめたことは一度もない。
「反応って……どんな風に?」
「そのときが来ればわかる」
――それが怖いから聞いてるのに。
「指輪を当てにせず、自分で疑わしいと思ったやつからは距離を置け」
「距離を置け……って、出かけていいの? イーサンと一緒じゃなくても大丈夫なの?」
あからさまに喜んでしまい、イーサンが渋い顔をする。
「俺とはよほど一緒に歩きたくないってか? まあ、おまえの不満が爆発しても困るからな。だが、あまり研究所から遠くへ行くなよ」
「うん、わかった!」
エルシーだって普段の生活は活動的とは言えない。移動は研究所と宿舎の往復がほとんどで、休日は自分の部屋で読書をするか本屋へ出かけることが数少ない楽しみだった。それが一切禁止されては鬱憤も溜まるだろう。特に奔放に行動しているイーサンがそばにいると自分への制限を窮屈に感じてしまうのだ。
「これでやっと出かけられるのね」
「そんなに行きたい場所があったのか?」
「うん。まあ……えへへ」
エルシーは笑って誤魔化した。昔気質の仕立て屋を見つけ出せる確証はない。正直に話したところで、前と同じように必要ないと突っぱねられるかもしれない。
首尾よく結果が出てから報告しようとエルシーは黙っておくことにした。
「エルシー先輩、どうしたんですか、その指輪!」
昼食に食堂へ行くと、サラが目ざとくエルシーの指輪に気づいた。
彼女とは、食堂で顔を合わせることが増え、その度に他愛ない話題で会話するようになった。年齢もエルシーのほうが一つ年上なので「エルシー先輩」と呼ぶようになり、少しばかりエルシーを困らせた。
「えぇと、これは知り合いの魔法使いからもらったもので……」
「えっ! エルシー先輩がお付き合いされてる方って魔法使いなんですか!」
サラの甲高い声は、混み合う食堂で一際大きく響きわたった。周囲の視線が痛い。
「私はてっきりウィルさんが彼氏なのかと思っていました」
「いえ、そうじゃなくて」
サラは指輪をくれた相手が恋人だと勘違いしている。何を否定するべきなのか、エルシーは混乱した。魔法使いと付き合っているなんてとんでもない誤解だ。一般的には指輪を贈ってくれる異性といえば、特別な人だと考えてもおかしくはないのだが。
これまでの経緯をすべて話すわけにもいかず、エルシーはまともな弁解ができなかった。退治されたはずの龍が、今もこの空の下のどこかで生きている。それが意図的に隠蔽されたとなれば、魔法院や魔法研究所の存続を脅かすことにもなりかねない。
「エルシー先輩が選ぶくらいだから、素敵な方なんですね」
「素敵?」
現実とかけ離れた言葉にエルシーは気が遠くなる。
サラの誤解に振りまわされ、いつもより昼食を食べはじめるのが遅れてしまった。固めのパンをかじったとき、エルシーはあることに気づいて愕然とした。
自分がウィルの恋人と思われていたことを素直に喜べなかったのだ。それはエルシー自身が望んでいたことだったのに。
――魔法使いと付き合ってるなんて言われたから……
気が動転してしまったのだと自分に言い聞かせる。
エルシーは、誤解を招いた左手の薬指からしばらく視線を外せなかった。




