1 はじまり
――まだ早い。
突進してくる巨大なものから目を逸らさず、青年はその瞬間を待った。
ギュオオオン!
叫びながら生物が距離を詰めてくる。大きな震動で神殿の壁の一部が崩れはじめていた。
大穴のあいた天井から日が差し込む。太陽の光に晒されたのは、一頭の龍だった。
全身を覆う黄金の鱗が日光を反射し、形容しがたい輝きをたたえていた。
龍は翼を広げて青年を威嚇する。一度羽ばたいただけで風が吹き荒れた。
青年の着ている魔法衣の裾が強風に煽られる。紫紺の魔法衣に施された文様は、魔法使いによって異なるものだった。それらは古代の魔法文字の形状からヒントを得ていたが、彼の服は破れている箇所も多く、すでに判読できない状態だった。
建物全体に再び龍の咆哮が響き渡り、衝撃が走る。
「ぐ……っ」
青年は歯を食いしばって耐える。体力の限界が迫っており、立っているのがやっとだった。
――チャンスは一度きりだ……
満身創痍の彼を支えているのは、己に課した使命だけだ。
目の前に立ちはだかる龍をなんとかしなければならない。
倒すことができなくても……せめて被害を最小限に食い止めなければ。それが魔法使いである自分の役目だと信じて疑わなかった。
「イーサン!」
自分を呼ぶ声に青年は振り返った。崩れた壁の向こうに一人の女性が立っていた。
「イーサンやめて! 無理よ、戻ってきて!」
「アンジェラ! 来るな!」
駆け出そうとした女性を青年は一喝した。
「おまえがいたら技に集中できなくなる。ケガ人の救護に当たれ!」
「でも」
彼女の双眸から涙があふれている。荒れ狂う風に長い金髪が乱れていた。その光景がきれいだと青年は――イーサンは思った。これが今生の別れだとしても。
彼は、覚悟を決めた。
「アンジェラ……俺の分まで生きろ」
生きていれば、希望はある。
生きてさえいれば――。
「イーサン・ブレイク最期の賭けだ!」
迫りくる黄金龍が大きな口を開けた。両者の距離が最も短くなった瞬間に、魔法使いは掌をかざして叫んだ。
「水よ、唸れ! 光の棺で永遠に眠れ!」
次の瞬間、光が辺りを覆いつくした。
ギャオオオォォン
「イーサン……いやあぁぁっ!」
龍の悲鳴と神殿が崩壊する音に、アンジェラの叫びはかき消されてしまった。