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葉山家

 富美島でのフラワーアーティスト補助という名目の仕事は難しくなかった。特に雅貴は花屋での長年のアルバイトの経験がある。経験に裏付けされた知識とノウハウがあるので、これまでのアルバイトの延長のような形で業務ができた。一緒に働く相手も雪乃とみのりの二人だけ。雪乃は物腰丁寧で穏やかだし、みのりはぶっきらぼうな言動をするが、面倒見はよかった。円滑な人間関係を築くのが苦手な雅貴にとっては願ってもない環境である。労働時間が短いので、給与は安いが、離島の、しかも山の中にいる身では大した使い道がないから気にならなかった。必要なものは東京にいる姉か叔母が送ってくれることになっていた。

雪乃とは、最初の挨拶と、仕事の初日の時に業務の流れと指示を聞いただけであとは会っていない。彼女はめったに部屋から出ないので、仕事中はほとんどみのりの指示に従っている。はじめブーケ作りの手伝いを主にする、と言われていたが、ブーケを作ったのは初日のみだった。あとはもっぱら花の管理と加工が主である。

「単純にブーケの依頼が来ていないんだと思うわ」

ある程度みのりと打ち解けてきたころ、雅貴はその疑問をぶつけてみた。答えは実にあっさりとしたものだった。

「依頼が集中していれば、ほぼ一日中、ブーケを作って発送して、の繰り返しだもの。奥様がデザインで悩んでいれば私たちを呼び出して意見を求めるし。今の時期って案外暇なのよ。これが連休明けから六月になったら殺人級に忙しくなるわよ」

 名家のお屋敷に仕えているのに、みのりは砕けた話し方をし、しぐさもフランクだった。雅貴にしてみればそちらの方がかえって気楽なのだが、みのりの経歴を考えると意外だった。みのりは小学校から短大までカメリア女子学院で学んでいる。エスカレーター式にずっとカメリア女子で学んだ卒業生は大抵身のこなしも言葉遣いも格式ばって丁寧であると聞く。私的なことなので雅貴は何も聞かないが、蓮子と同様に学校の理念と合わなかったのかもしれない。どちらにせよ、雅貴にしてみれば、冷ややかな丁重さで接する雪乃や豊美とは違い、年齢も近く形式ばらないみのりとは話しやすかった。

「それなら僕が来る必要ってあったんですか?」

 姉と叔母に懇願され、仕事をキャンセルしてまで来たのに『暇だ』と言われてさすがの雅貴もむっとした。

「あるわよ。おおあり」

 みのりは大きい目をさらに大きくして答えた。

「暇って言うのは、繁忙期と比べたら暇ってことよ。全然仕事がないって言うことじゃないの。私一人じゃ 回らないでしょ。奥様は足が悪いから動き回れないし、誰か手伝ってくれる人がいないと」

 雪乃が足に障害があることは、勤務一日目の真夜中にかかってきた蓮子からの電話で知った。二十九歳の時に、交通事故に遭ったのだ。歩行はできるが、痛みが強いのであまり長い距離は歩けないという。足を引きずり、杖が欠かせないのだそうだ。そのために花の世話をする人が必要なのだ。みのりはお屋敷の家事もしなければいけないので一日中温室で過ごすわけにもいかない。

「だから雪乃さんはデザイン専門なんですね」

「それもあるけど、一番はやはりセンスの良さよね。うちで作ってるブーケは大体結婚式用に作るもので、 奥様は花嫁さんに一番似合うようにデザインしてくれるの。その人の写真を見ただけでね」

「ああ、その人を一度見ただけで内面まで見えるっていう、、、そういう感じですか」

 内面まで見透かす人物が苦手な雅貴は身震いを禁じえなかった。雪乃はそうは見えないが、大抵その手の人間で今まで関わりを持った人たちは、洞察力と悪意を兼ね備えているか、人のあら捜しばかりするタイプだったからだ。

「そこまではしないわよ。彼女は他人が何を考えているかなんて興味ないわ。ただ、お客様の顔うつりが一 番いいブーケのデザインをしてくれるっていうだけ。奥様はここに来られる前はずっと芸者さんだったか らデザインの勉強はされていないのにね、こと花に関しては、そこらへんのデザイナーより断然いい腕を 持っているのよ」

「姉が言うにはお花を習われていたとか」

「そんな話も聞いたことがあるわね。確かあなたのお父さんに教わってたんじゃないかしら?九本長政、確 かそうよね?」

「そうです。奥様が彼に手を出されなかったのは幸いでしたね。彼は、優柔不断なくせに女癖が悪いから」

 雅貴は父親との関わりが薄いのにも関わらず、蓮子よりも父に対して嫌悪感を抱いていた。有名華道家である父の女性遍歴を何かあるたびにメディアで知らされたからだが、成長するにつれて外見や性格の一部が父に似てきたと感じることが多々あったということが大きい。そのせいかどうか、雅貴は人間関係を上手く築くのが苦手である。異性はもとより、同性でも気の合う友人は片手で収まるくらいしかいない。恋愛経験はないわけではないが、いつもパートナーと距離を置きすぎていたので長続きしなかった。蓮子にも涼子にも言わなかったが、武蔵間屋敷に来ることを拒んだのも、女性従業員が多いのがネックだったからだ。

「でも、九本先生って言い寄ってきた人しか相手にしないんじゃなかった?それなら奥様は何もされてない わよ。あの人は自分からアプローチなんてしないもの」

 確かに、と雅貴はうなずいた。父の長政は、蓮子・雅貴姉弟の母と別れた後、数度結婚と離婚を繰り返している。母の葬儀に来た時に同伴していた奥方は母と別れるきっかけになった女性とは別の人物だという。夫の操縦法を弁えているのか、その女性と何度目かの結婚をしてからは父の女癖も落ち着いてきたという評判だった。その女性とは、かなり結婚生活が続いているので、このまま添い遂げるだろうという見方が大半である。雅貴は父の私生活には別段興味がなかったが、息子ということもあってか嫌でも父の噂を聞かされる。

「奥様はご結婚されないんですか?」

 これ以上、父の話はしたくなかったので、雅貴は雪乃のことを聞いて、話を別の方向に向けた。末端の分家とはいえ、名家の子女ならば何らかの縁談があってもいいはずだが、雪乃は浮いた話一つなく山奥の屋敷で逼塞している。姉によると雪乃は三十五歳。名家の血筋と彼女の美貌なら、適齢期と言われる二十代のときに縁談があってもおかしくない。

「若いときに、一度結婚されたわよ。確か、奥様は二十代の後半くらいだったと思う。本家のご当主がおぜん立てした結婚で、私もお手伝いをしてね。一年ちょっとで離婚しちゃったけど」

みのりは雪乃が結婚していた時は、本来の雇い主である葉山本家の当主の指示で、夫婦の住まいがあった八王子で通いの家政婦をしていたという。雪乃は結婚後も事故に遭うまでは芸者を続けていた。雪乃が富美島に来たのは離婚後のことで、これまた当主に言われてのことだった。雅貴はこの移住が、育ての母で、雪乃が在籍していた置屋の女将が亡くなったことも関係しているということを姉から聞いていた。蓮子によれば雪乃の悲嘆はすさまじく、女将に関する話題は今でもタブーだとのことだ。姉からは、例の真夜中の電話で、雪乃から話題を振らない限り、置屋の女将のことは言うなと、口を酸っぱくして言われた。

「不思議だったのよね」

みのりが突然言い出したので、雅貴は我に返った。

「何がですか?」

「葉山家って言ったら名家でしょ。だから、どれだけ末端の分家でも、冠婚葬祭は派手にやるのよ。少なくとも世間一般よりはね。でも、奥様のときは規模も小さくて控えめだった。近親者、ご当主、雪乃さんの関係者は母親代わりの置屋の女将さんと、私とお母さんだけ。結婚式も地味だったし、披露宴も食事会同然でね。美晴姉さんだって、雪乃さんと面識があるし、親しい間柄だったのに参列を許してもらえなかった。たぶん、あなたのお姉さんもそうだったと思う」

「僕は芸者としての姉のことは知らないので、わかりません。でも、他に芸者さんたちが呼ばれていないな ら姉も参加できなかったんじゃないでしょうか。姉は、奥様と姉妹のように仲が良かったと聞いてますか ら、奥様の結婚式に参加しなかったのは変だなと思いますけど。でも、今は地味婚も流行ってるし、新郎 新婦の意向だったのかもしれませんね」

「馬鹿ね、何言ってるのよ。葉山家は当主の権限が強いのよ。家のことに関することは、すべて当主の意向 で決められるわけ。だから、奥様の結婚式もご当主の意向なの。雪乃さんご夫婦が派手にやりたかろうが 地味にやりたかろうが関係なく、最終決定はご当主の判断によるわけ。だから、あの地味な結婚式はご当 主の意思よ。私が変だと思ったのは、他の親族の時は呼べるだけの関係者を呼んで盛大にお式も披露宴も したのに、奥様の時だけ参列者も限られた、あまりに質素な式だったからよ」

「ご当主にしかわからない事情があったんでしょう。姉のためには残念だと思いますけどね。姉は雪乃さん のことを随分慕ってますから、ご結婚となったらお祝いしたかったでしょうしね」

 みのりは片眉を上げて、ぼそりとシスコン、とつぶやいた。雅貴は聞こえなかったふりをした。

「たぶんね。私が生まれる前の話だから、詳しくは知らないけど今のご当主と雪乃さんのお母さんの間に何 か因縁があったという話よ」

雅貴は興味がそそられたが、心配性が勝ってみのりに尋ねた。

「話の腰を折るようですけど、来たばかりの人間にそういう話をして大丈夫なんですか?」

 みのりは再び片眉をあげた。

「あなたから話題を振ったんじゃないの」

「そうですけど、まさかそんなところまで話が飛躍すると思わなかったので」

「別に大したことじゃないわよ。話の大筋はみんな知ってるから。今のご当主は葉山蘭子さんといって、カ メリア女子学院の理事長をされてる人なの。あなたでも名前くらい聞いたことがあるわよね?」

 葉山家とは何の関わりのない雅貴でも、名前と顔は知っていた。教育界では有名な人物で、仕事で彼女の教育法に関する記事を翻訳したことがある。蓮子が在学していた時は古典の教師だった。特に女子教育界ではカリスマと言われている。会ったことはないが理知的で厳格、生徒に対する責任感が強いと評されている。美男美女が多い葉山本家出身だけあって、顔立ちは端麗で実年齢より一回り以上若く見える。が、笑顔を見せることがほとんどないため、顔写真のほとんどは冷酷な女王のような風合いがある。雅貴が苦手なタイプの女性だった。彼女が書いた論文からでも、そのプライドの高さが滲み出ていた。

 彼女の姿は、雅貴には母親を彷彿とさせる。母も教師で、公立の学校に勤めていた。蘭子ほど誇り高いタイプではないが、仕事への姿勢や生徒との向き合い方は似ていた。多感な時期の生徒相手に容赦なく厳しい態度を取っていた母は、近隣の学生たちの間では、鬼教師と言えば汐谷和美と言われ恐れられていた。

「葉山先生は、誇り高い人よ」

 みのりは語気を強めていった。給料がいいから彼女の下で働いているが、そうでなかったら死んでも彼女のもとでは働かないと、彼女は憚ることなく言い切った。

「葉山家の生まれであるというプライド、教育者としてのプライド。そりゃ、葉山家は由緒あるお家だし、ご当主は仕事もできるわよ。当主として一族をきちんとまとめているし、彼女が学院の役職に就いてから、カメリア女子さえ卒業すればどこの業界でも一流の人間として活躍できると言われるくらい学校の格が上がったものね。そのプライドを自分だけのものにしておくぶんには問題ないのよ。ただ、それを学校の生徒や職員にも持たせるの。カメリアに入った以上はその名に恥じぬようふるまいなさいってね。付き合う友人を家柄で選ばないといけないし、在学中に恋愛なんてしようものなら徹底的に迫害されるわよ。さすがに大学とか短大ではそういう縛りはなかったけれどね」

「葉山先生は、色恋に関しては潔癖症のようですね。前に仕事で先生の論文を扱いましたけど、恋愛に関し ては否定的でした。一時期教育系のニュースで話題になっていましたよね」

 みのりはいかにも軽蔑しきった様子でフンと鼻を鳴らした。

「ばかばかしいったらないわよ。若いうちから恋愛経験を積まなきゃ、結婚適齢期までにどうやっていい男を見る目を養うの?ご当主の経験に裏付けされたくだらない持論よね。そのくせ結婚はしろって言うんだも の」

「彼女が恋愛に縁遠いようには見えませんけどね。ご結婚もされてお子さんもいますよね。下世話ですけ

ど、若いときの葉山先生なら選び放題でしょ」

「そこにね、奥様のお母様との因縁があるらしいのよ。なんでも奥様のお母様と同じ人を好きになって 負 けたとか」

「そんな少女漫画みたいなことがあるんですか、、、」

「好みが被ることってよくあるわよ。ほら、少女漫画でヒロインが好きになる男の子は大抵似たような感じ じゃない」

 自分から例として挙げたものの、雅貴が少女漫画を読んだのは一度切り、それも仕事の一つとして、海外向けに一作品を翻訳しただけだ。よくある恋愛を主軸にした学園もので、ヒロインとその相手の男の子を中心に複雑な三角関係や四角関係に発展していた話だった。ヒロインが恋する相手は雅貴にはあまり受けがよくなかったが、女子学生はこういうのが好きなんだろうな、と割り切ったのを覚えている。

(つり合いの取れていない相手と付き合って楽しいのだろうか)

 ヒロインがおめでたく意中の男子と結ばれたのちも、次々ライバルが現れたり、自分が恋人でいいのかとヒロインが不安になったりするという展開になったのを見たとき、雅貴はフィクションにも関わらず、つい彼女を心配してしまったものだ。自分だったら、高嶺の花と言われている存在んには手を出さないと思う。ただ遠くから見て満足するだけでいい。終始、誰かに奪われたり、自分と釣り合っていないとかなんとかで悩むよりは精神衛生にはずっといいだろう。

 引っ込み思案だが、見た目だけは端正で清潔感のある雅貴は学生の時はそれなりに女子からデートに誘われたり、放課後呼び出されたり、手紙をもらったりしていた。が、人気のある子や家が裕福な子、家庭に恵まれている子とは距離を置き、自分に釣り合いそうな、おとなしめの子を選んで付き合った。好きかどうかは二の次だった。付き合っている期間はそれなりに楽しかったが、いつも長続きしなかった。何を犠牲にしても自分のものにしたい、と思うほどの子はいなかったし、そもそも男子でも女子でも教師とでも、人と距離を置いておきたかった。親友と呼べるほど深い付き合いをしている友人はいないが、もし二人で同じひとを好きになったら、雅貴は自分から身を引くだろう。そして、そうなっても大して辛いとも思わないこともわかっていた。基本的に多くの女性を泣かせてきた父と支配的で口うるさい母の影響で、雅貴の人付き合いは淡泊なのだ。

「葉山先生が男を取り合うなんて想像できないですけどね」

「お母さんが言ってたけど、若いときはもうちょっと少女らしい、かわいらしい性格をしてたらしいわよ。赤毛のアンみたいな感じ」

「で、失恋して鉄の女になった、と」

「そんな感じ」

「その、ライバルっていうか、雪乃さんのお母様ですけど、その人は葉山先生とはどういうつながりがあるんですか?」

雅貴は親友か何かだろうと思っていた。なぜか、件の少女漫画が頭にちらついていた。

「事実はもっとえぐいわよ。二人は姉妹なの」

「姉妹?」

 みのりによれば、雪乃の母・貴和子は蘭子の異母姉に当たるという。先代の当主である蘭子の父は雅貴の父も顔負けの女好きだったという。正妻との間に生まれた子供は蘭子一人だが、貴和子をはじめ、あちこちに愛人を作っては、子供を設けたらしい。分かっている限りでは二人だが、もっと隠し子がいるに違いないと世間は見ていた。

 前当主の直系の孫にあたるので、本来なら雪乃も本家の人間であるはずだが、母親が庶子であること、生まれてすぐ、置屋の女将の養女になった経緯もあり、本家からは一応親戚としてみなされてはいるが、扱いは分家の末端なのだという。雪乃をはじめ、豊美もみのりもそのことに関しては不満はないのだが。

「なんせ当主が変わってから、締め付けが厳しくなってね。もちろん本家のお屋敷で働いたほうが待遇はいいけど、精神的に疲れるのよ。初めから良家の子女で、花嫁修業で働くのならいいんだろうけど」

「で、お二人はどうされたんです?」

 話を聞く限り、雪乃へのこの扱いは、蘭子の異母姉への恨みが反映されているように思えてならなかった。蘭子が失恋したとなったら、しかも父が愛人に産ませた娘に負けたとなったら、誇り高い彼女には屈辱だろう。

「私は相手のことは知らないけどね。蘭子さんには幼馴染がいて、その人をとても気に入っていたんだけど、結婚話が出た時、彼は蘭子さんとの縁談は断り、貴和子さんと一緒になったそうよ。ほとんど駆け落ち同然だったみたい」

「そうだったんですか」

「雪乃さんの生みの親だけあって、貴和子さんも相当な美人だったからね。貴和子さんはもともと本家では疎まれていたので、若いうちに家を出たんだけど、蘭子さんの縁談をつぶしたというので勘当されたの。あちこち転々として最終的に八王子で芸者をして、途中から女優に転向したんですって。私は世代じゃないけど、すごく有名だったみたいね。日宮ときわって知ってる?」

 雅貴はその名を知っていた。誰でも彼女を知っている。主に映画や舞台で活躍した伝説の女優だ。蓮子は彼女に憧れて芸者になった。雅貴が生まれる前に故人になっているが、命日が近くなると彼女の主演映画が放送されている。母も姉もファンだったから、家には映画のDVDばかりか往年のVHSまであった。どちらかと言えば、ふんわりした雰囲気でしとやかな女性だったが、迫力ある演技のせいか芯の強さをうかがわせるただずまいだった。その辺は娘である雪乃にも通じるところがある。

「雪乃さんは、お母様には似ていませんね」

 たった二度だけしか目にかかったことのない美女の顔を思い出しながら、雅貴は言った。母や姉がしょっちゅう貴和子の作品を観ていたので、雅貴は親の顔よりも馴染みがある。雪乃に会った時にはピンと来なかった。貴和子は顔の作りが大きく、はっきりした華美な顔立ちだった。雪乃はどちらかと言えば控えめな佇まいの繊細な顔立ちだった。

「お母さんの話だと、奥様は父親似なんですって。葉山家では、自分たちと日宮ときわの関係性を内緒にしておきたい、というので貴和子さんの存命中はかなり気を張ってたそうよ。貴和子さんのほうでうまいこと隠してたから、存命中は公にならなかったけれど、亡くなった後で彼女の出自と、娘がいるという事実が一部マスコミの間でひそかに噂になってね、だから奥様はここに移されたのよ。葉山家にしてみれば、奥様を野放しにしておくより、自分たちの一員にして目の届くところに置いておきたかったんでしょう。奥様も置屋の女将さんが亡くなって、これと言った後ろ盾もなくなったのでそうするしかなかったのよね。そうは言っても、ご当主にとっては憎たらしい姉の娘だから、どうしても冷遇しちゃうみたいだけど」

「それじゃ、雪乃さんはとんだとばっちりですね」

「まあ、そうだけど、やけに奥様に同情するわね」

「同じような目に遭ったから、気持ちが分かるだけです」

「あなたはご家族に大切にされてるじゃないの」

みのりは非難するように言った。反抗期の中学生に言い聞かせるような言い方だった。

「みのりさんのおっしゃる僕の家族って姉と叔母でしょ?確かにその二人には随分世話になってますけど、僕が言ってるのは母親のことですよ」

みのりの口調に流されて、雅貴もつい中学生のような言い方をしてしまう。

「お母様?」

「僕が中学に上がるか上がらないかって時から、母からの当たりがきつくなってきて、なんだろうと思ったら僕の成長とともに父の面影が見えるのが辛いという理由でした。父のしたことを考えれば母の気持ちは分かります。でも、遺伝なんですから、僕の力ではどうしようもないんです。ましてや、その時十二歳ですよ、母が嫌がってもどうにもできませんでした。だから、せめて距離くらいは置こうと思って少しずつ母から離れていったんです」

「それで、カノさんと涼子さんのところにいたのね」

カノがお屋敷でネット関係の仕事に就いているからか、雅貴がきちんとした人間だと証明したかったのだろう、カノと涼子、蓮子から雅貴の想像していたよりはるかに細かな情報まで武蔵間屋敷の人間にいきわたっていた。

「なるほどね。確かに、奥様程ではないけど、あなたも家のことで苦労してきたのね」

「ええ。厚かましいですけど、雪乃さんの置かれている状況は他人事とは思えないですね」

「奥様もね、花の仕事はお嫌いではないみたいだけど、他にやりたいことがあるみたいなの。たぶん、あなたにお手伝いを頼んだ個人的な仕事に関係しているわ。でも、奥様は私たちにはそれが何なのか教えて下さらないの。私たちだって一介の使用人だから、あれこれ突っ込んだことは聞けないじゃない?だから様子見するしかないの」

そこで時計が10時半を指した。みのりは昼食の準備をするため、温室をあとにし、雅貴は残った仕事を一人で片付けていった。長々話し込んでしまったが、手を動かしながらだったので、ある程度は片付いていた。なるほど、雪乃の冷ややかな丁重さ、そして、蓮子の推薦とはいえ、見知らぬ男の自分を個人的な仕事のパートナーに選んだわけが分かった。雅貴の身の上を知って、都合がいい人材だと思ったのだろう。人に慣れておらず、打ち解けた人間関係を作るのに時間がかかる雅貴はひと月程度一緒に仕事をする相手に対して、内心興味を持っていても突っ込んだ話をしたりしない。口も堅いから、何かの拍子で雪乃の秘密を知られても他の誰かに広まる心配はない。こちらから壁を作っておけば、雅貴はちゃんと距離を取る。

 富美島に来る前に、雪乃は、生みの母親のことでマスコミや古いファンなどに近辺をうろつかれたこともあるという。事故に遭ったのもジャーナリストと自称する人物の執拗な付きまといから逃げている最中だった。

 雪乃が女優・日宮ときわこと葉山貴和子の娘であるという事実を知っている人物は少ない。葉山本家の人物、武蔵間屋敷の使用人、育ての母である置屋の女将、妹分の蓮子と雅貴、それから涼子とカノ。

姉や叔母には恩がある。経済的に豊かとはいえない状況のなか、大学に行かせてくれ、引っ込み思案な雅貴のために、黙々と一人でこなせる翻訳の仕事を紹介してくれた。だから、なんだかんだ言ってもわざわざ飛行機とフェリーを乗り継いでこんな辺鄙なところまで来たのだ。その上にかなり厄介な秘密まで守らされる羽目になるとは・・・。

(好き勝手させてもらった代償にしてはしんどいな)

 雅貴は口は堅いが、押しに弱い。誰かに強く出られれば、知っていることは洗いざらい話してしまうだろうと自覚していた。

「あなたはスパイには向かないわね」

 大学時代にわずかな期間付き合った女の子からこうからかわれたことがある。悪い子ではなかったが、思い込みが激しく束縛が強い子だった。彼女との別れは修羅場だった。授業のグループワークで同じ班になった女の子と授業で発表するプレゼンテーションの打ちあわせをしていたのを彼女が目にして、浮気したとしつこく責め立ててきたのだ。その打ち合わせが学内なら、彼女もここまで騒ぎ立てなかっただろうが、あいにく外での打ちあわせだった。本当なら四人のグループなのだが、雅貴と女の子が待ち合わせ場所に早めに着いたので他の二人が来るのを待っていた。雅貴やグループで一緒になったメンバーも皆彼女に誤解だと説明したが、彼女は何と言っても聞き入れなかった。何を言っても

「嘘つき」

「浮気者」

となじられた。しまいには雅貴も彼女の追及に疲れ果て、してもいない浮気を認め、別れることにした。彼女は別れたくはないようだったが、雅貴も無実の浮気を利用して

「他に好きな人ができた」

と言って押し通した。

あの子と別れて以来、恋愛からは距離を置いている。そもそも仕事柄、出会いもないが、彼女との最後の言い争いが尾を引いているのも事実だ。なぜ、あの時きっぱりと『違う』と言えなかったのか。そのせいで、直接的な被害はなかったものの、無関係のクラスメイトの印象を悪くしてしまった後悔がある。

(今、もしジャーナリストにしつこく追及されたとして、雪乃さんの秘密を守れるだろうか)

今の雅貴は世間知らずの学生ではない。引っ込み思案の彼なりに社会経験を積み、それなりの処世術を身に付けた。他人の追及だってうまくかわせると自信がある。

だが、

(たまたま運よくここまでこれた、というだけかもしれない)

雅貴は未だに元彼女のような人には恐怖心を持っているのだ。

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