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第三話「大きな手のひら」


 にこりと笑って、俺を覗き込む巨人。その人懐こい笑顔に、俺の顔が引きつる。


「っ」


 青白い肌に、金色の紋様。銀色の髪。何より俺はこの子の顔を覚えている。間違いない。さっきの巨人だ。俺を追いかけて、こんなところまで来たのか?いや、待て。虫の少女に呼ばれていたのはこの子か?だとすると、この子は他のモンスターたちと同じようにここへ来ただけで、俺を追ってきたわけじゃないのか?


「あぅ、くぃーろ」


 ハッとして身構える。大きな手。迫りくる手のひらに、忘れかけていた恐怖が蘇る。にこやかな表情からして、敵意はないのだろう。だが、やはり大きなものは恐ろしい。俺は半ば無意識のうちに、一歩後ずさる。



――そこが、台座の上であることも忘れて。



「!」


 ぐらりと、バランスが崩れる。台座から足を踏み外した俺の体は、背中から地面に落ちる。巨人の少女が目を見開き、モンスターたちがざわついたその瞬間。地面から吹き上げる風によって俺の体はふわりと浮き上がる。いくつもの手が俺の背を押して、タコのそれと似た触手が視界の端に蠢き、足にゼリーのような、頭にはふわふわした毛皮のようなものが触れた。


「っ」


 突如として押し寄せた感触の津波。俺の視界に尾を引く眼光と、振り抜かれる巨大な手。巨人の少女の手のひらが、虚空に浮き上がった俺の体を横からすくい取る。


「はあ……」


 俺の体を包み込み、ぎゅっと握りしめる大きな指。安堵らしきため息。歓声のような、モンスターたちの声。硬めの毛布に巻かれたような圧迫感に思わずうっと声が漏れる。俺の全身を締め付けるその指は、しかし俺を握りつぶすことはなく、やがて両手で作られたお椀の中に俺の体は転がった。


「れぅたるぅ……あう、くるーす、ふぉ~……」


「あ、ありがとう……助けて、くれたんだよな。何が起こったのかよく分からないけど……助かったよ」


「ん……」


 言葉が通じていないことは分かっている。だが、言葉が分からなくとも、感情というものは案外伝わるものだ。手のひらのお椀の外から俺を覗き込むモンスターたちも、もちろん巨人の少女も、皆で俺を心配してくれているのが伝わってくる。台座から転げ落ちそうになった俺を、皆で助けてくれたのだ。見ず知らずの、俺みたいなやつを助けようと、皆が動いてくれたのだ。


「(俺は何か、誤解していたのかもしれないな)」


 俺は、こんなに優しい人々に怯えて逃げ回っていたのか。何も怖いことなんかないじゃないか。この世界の人々は、俺が思っていたよりずっとずっと親切だ。


「アトラ!エントルゥ、クルィーラ。ルゥルゥ」


「おー」


 すると、よじ登ってきたらしい虫の少女がひょこりと顔を出し、その長い手で抱えた箱を手のひらのお椀にぽんと置く。俺とその箱を片手に移した巨人の少女がその蓋を開くと、中には黒くて小さな果実のようなものがぎっしりと詰まっていた。

 

「(なんだこれ……ブドウ?ブルーベリー?)」


「トゥイップル!エントゥイーリァ?」


「えんとぅ」


「ルゥルン!ンフフ」


 巨人の少女と何やら言葉を交わし、虫の少女はその黒い果実を手に取ってぽいぽいと口に放り込んでゆく。どうやら中には果汁がたっぷり詰まっているらしく、頬を緩ませる虫の少女の口からは真っ赤な果汁が滴り落ちる。周りから俺を覗き込んでいたモンスターたちも嬉々としてそれを頬張り、笑顔を交わした。小鳥たちにも大人気だ。


「(皆、これが大好きなんだな……きっと、すごく美味しいものなんだろう)」


 そんな印象を受ける。巨人の少女の大きな手では掴むのが難しそうな、小さな粒状の果実。虫の少女がその粒を一掴み、巨人の少女の口に放り込む。とびきり大きな笑顔が咲いた。


「ンギャギャオオ!」


 すっかり聞き慣れた奇妙な鳴き声。遅れてよじ登ってきた饅頭がモンスターたちの頭から頭へ飛び移り、果実の箱へ飛び込む。赤い汁が飛び散った。


「コラコラコラ、がっつきすぎだろお前!」


「ルー!ミュンミュン!ミュ~ンミュン!」


「ング……ムグ……」


 饅頭は虫の少女の手によって箱から抱き上げられるも、既に箱の中身の大半を頬張ってしまっている。モンスターたちも「あーあ」といった様子で肩をすくめ、顔を見合わせて微笑み合う。虫の少女の腕に抱かれる饅頭の体をつついたり、撫で回したりする者もいる。どうやらこいつは、街の人々にも可愛がられているようだ。


 こいつも、立派な街の住民なのだろう。自分たちより何倍も大きな巨人の少女に対しても、怖がっているような者は一人もいない。それどころか大きな友人として、とても親しまれているようにすら見える。


この街では、姿形に関わらず皆が仲良く暮らしているのだろうか。だとすればそれはまるで、楽園のようではないか。


「(なんか、良いな。そういうの……)」


 ふと、広場に目を向ける。アリューがその身に詰めて運んできた手紙や贈り物はモンスターたちに一通り配り終わったらしく、広場のあちこちでモンスターたちがそれぞれ受け取った小包を開き、中に詰められた果物のようなものを互いに食べさせ合っている。なんとも、微笑ましい光景だ。


 そんな広場の中央では、アリューが数名のモンスターの手を借りて荷物をその体に詰め込んでおり、一緒に小鳥たちもその体に潜り込んでいるのが分かる。


 あの小鳥たちも、荷物と共に遠くへ運ばれるのだろうか。ひょっとしたら、あのモコモコの体が緩衝材のような役割を果たすのかもしれない。などとぼんやり考えていると、俺はその光景にどこか違和感を感じた。


「(なんだろう。どこか変だ。……ほのぼのしてて、すごく平和な光景だけど、何か……)」


 巨人の少女の手のひらの上から広場を見渡しながら、しばし考える。やがて俺は、ハッとしてその違和感の正体に気づいた。


「(……男が、いない)」


 道理で違和感を感じるわけだ。そう、男が居ないのである。広場にモンスターはたくさんいるが、皆女性のような姿をしている。人間とはかけ離れた異形のシルエットばかりではあるが、胸の膨らみがあったり、女性らしい顔つきをしていたり、すらっとした手足を持っていたり……皆、どこかしらに女性の特徴を持っているモンスターばかりだ。


 あの食いしん坊の饅頭や小鳥なんかの小動物のようなモンスターにはそういった特徴は見られないが、かといって男性らしい特徴も見受けられない。ひと目見て「あぁ、これは男だな」という造形のモンスターが一人も見当たらないのだ。


「(気の所為、じゃないよな)」


 改めて広場を見渡す。しかしやはり男性らしいモンスターは見当たらず、小動物型のモンスターと、女性型のモンスターしか居ないように見える。


「(そういえば、街を走っていたときも……)」


 あぁ、そうだ。と思い出す。居なかった気がする。一人も、がっしりとした男らしい体格のモンスターとはすれ違わなかったような気がする。


 街で見かけたモンスターたちも皆すらりとしていて、異形ではあれど、どこか可愛らしくて……ここに来てから一度も、男性型のモンスターには出会っていない。もしちらりとでもそれらしいものを見ていれば、その迫力が記憶に残るだろう。俺だって男だ。男らしくてかっこいいモンスターが居たら、つい目を奪われていたはずだ。


「れぅたるぅ」


 ハッとして振り返る。巨人の少女は、果実が詰まっていた箱を俺の足元にすいと寄せてくる。その中身は饅頭が殆ど平らげてしまったが、箱の中にはまだいくつか残っている。これは、食べてもいいよということだろうか。


「お、俺も食べて良いのかい?」


「えんとぅ」


 その言葉は、何度か聞いた覚えがある。ついさっきも、虫の少女との会話で同じ言葉が出た。ええと、彼女はなんて返事をしていたっけ?ああ、そうだ。確か――


「る、るーるん?」


「ん」


 にっこり笑顔。なるほど分かったぞ。この言葉。これは恐らく「ありがとう」だ。誰かに物を貰った時の返事として、これ以上ふさわしい言葉はない。良かった。これでまた、意思疎通がしやすくなる、俺はほっと胸を撫で下ろして、箱の中に転がる果実を一つ取って頬張ってみる。


「!」


 噛んだ途端に、口の中でぷちりと弾けて溢れる甘い果汁。食感はブドウのそれと似ているが、味はとてもまろやか。バナナミルクのような優しい甘さが舌に染み渡る。見た目と味の違いにちょっぴり頭が混乱するが、だが美味い。


 実を言うと俺はあまり甘酸っぱいものが得意ではないのだが、これなら食べやすい。モンスターたちが喜んで食べるのも納得だ。


 小さな粒にたっぷり含まれた甘い果汁をごくりと飲み干せば、すっきりとした後味と優しい香りが鼻から抜ける。ほうと息を吐くと、にこにこしながら俺を見つめる巨人の少女と目が合う。自然と俺も笑顔になる。どうやら、味覚はそう違わないらしい。またひとつ、不安の種が減った。


「(果物を美味しく食べられるなら、料理も……)」


 期待出来る。この世界の食べ物は、問題なく食べられる。少なくとも、モンスターたちが食べているものは俺も食べられると思っていいだろう。


「ん」


 ふと、近くを通りかかった人影に目が止まる。巨人の少女の足元をテクテク歩いていく少女らしき人影。とんがり帽子とゆったりしたローブを着込んだ、まあよくありがちな「魔女っ子」である。その後ろ姿は、何の変哲もない人間のそれであった。


「(人間、だよな。あの子……)」

 

 少なくとも、モンスターには見えない。この世界にも人間がいるんだ。そう思うと、なんだか嬉しい気持ちになる。そうして、何気なく遠ざかるその子の背を見ていた俺は、やがてぎょっとして目を見開いた。


「!?」


 目が合った。彼女が振り向いたわけじゃない。彼女の帽子のとんがり部分に、突然大きな目が開いてギョロっと俺を見たのだ。俺は慌てて目をそらして巨人の少女の手のひらに腰を下ろし、ちょうどそこにあった果実をまた口に運ぶ。


「(び、びっくりした……そうだよな。普通の人間なわけない。しっかりしろよ、俺。ここは、モンスターたちの世界なんだぞ)」

 

 口の中に溢れる優しい甘さに、ほっとする。そしてまた顔を上げると、魔女はそこに居た。


「っ」


 意識が凍りつく。巨大な眼が蠢くとんがり帽子を被り、ツギハギだらけのローブを着込んだ魔女。巨人の少女の手のふちに立って、じっと俺を見下ろしている。光のないその眼は、沼の底のように黒く渦を巻いていた。


「ぁ……あ……えと、その……」


「……」


 魔女は何も言わず、カクンと首を傾げる。よく見るとその眼は俺ではなく、俺の隣の箱へ向けられていることに気がついた。


「えんとぅ」


 巨人の少女がまたそういうとほぼ同時に、魔女はその腕を伸ばして箱の中に突っ込む。その長い袖の中には手ではなく口があり、箱の中に残った果実を箱の中で直接貪っているのが分かる。やがてその手がずるりと箱から抜かれると、箱の中は空っぽで、その「袖口」からだらりと流れる真っ赤な果汁はまるで血のように見えた。


「(なるほど。こういうのも、いるんだな……)」


「……」


 帽子の目玉の下に大きな口が開き、太くて巨大な舌がでろりと出てきて汚れた袖口を舐める。


 人間のように見えたが、違う。この子は人間じゃない。いや、ひょっとして、この服そのものがモンスターであってこの子自身は人間なのか?だとしても人間味がなさすぎる。表情はまさしく「無」であり、感情の色は一切ない。光のない眼は瞬き一つしないでじっと俺を見てるし、そもそもあの距離を一瞬で移動してきたというのが信じられない。


「は、はは」


 魔女の虚ろな目と見つめ合っているのがなんだか気まずくて、巨人の少女にちらりと目を向ける。巨人の少女はにこりと笑って、首を傾げるばかり。


「レーィ、マホローティ!ヘイルゥ、エントゥーラ!」


 また虫の少女の声が聞こえて、そちらに目を向ける。魔女は既に彼女の元へ移動していて、その手に抱えられた野菜のようなものをバリバリと貪っているところであった。


「ンギャアアア」


「……」


 その足元では、饅頭が必死に鳴き声を上げている。魔女はやはり饅頭には見向きもしないが、その帽子の眼は足元の饅頭をじっと見ており、今まさに頬張ろうとしたカブのような野菜を足元にぽいと落とした。


「(独り占めとかは、しないんだな……ちょっと不気味だけど、結構優しい子なのかな?)」


 なんて考えていると、魔女は何かを感じ取ったかのようにハッとして顔を上げ、広場から家屋の屋根へと一飛び。そのジャンプ力に驚く暇もなく、そのままどこかへ跳んでいってしまった。


「れぅたるぅ。いーりす、ぐろーふりぃ……りす、えんとぅーら。みー?」


「え?あ、ええと……」


 巨人の少女は何やら言葉を連ねるが、何を言っているのかはよくわからない。俺に何か質問をしているようにも聞こえるが、俺は返事をすることが出来ない。どうにかして、俺がこの世界の言葉に疎いことを伝えられれば良いのだが……。


「……?」


 数秒の沈黙。俺はただ、笑顔を返すことしか出来ない。そうこうしているうちに、虫の少女が広場で声を上げた。


「ヘイルゥ、アトラ!リスエントゥーラ。グロゥフロゥ!」


「おー。えんとぅかろ~ん」


 アトラ。何度か聞いた単語。これは名前だろうか。だとすると、そうか。なるほど。少しずつ分かってきたぞ。どうやら名前の呼び方に関しては俺の知る言語のそれと似ている。少なくとも、巨人の少女がアトラという名前だということは分かった。ひょっとしたら、この世界の言語はそれほど複雑ではないのかも。


「っと、と」


 巨人の少女――アトラは俺を手に載せたままゆっくり立ち上がり、虫の少女に続いて広場から伸びる路地へと足を踏み入れる。大通りに比べると細く狭い路地裏は、しかしアトラの体がギリギリ通れる程度の広さに作られているようだ。



「(どこ行くんだろ……ってか俺、このまま乗ってていいのかな)」


 そんなことを考えてみるも、下ろしてくれとは言えず、降りることも出来ず。結局のところ、俺は大きな手のひらに身を委ねるしかなかった。


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