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第二話「イタズラな糸」



 黒い饅頭を追いかけて、路地裏を走り回ることしばらく。ぽんぽん弾むように跳ね回る饅頭は、いつしか俺の視界から消えていた。


「くそっ……み、見失った……」


 見失った。見失ってしまった。そもそも俺よりずっと身軽なモンスター相手に、運動不足でスタミナもない俺が走って追いつけるわけがない。ただ翻弄され、体力を消耗しただけ。大事なじいちゃんのお守りは、奪われてしまった。悔しくて、苦しくて、じわりと涙が滲み出す。


「……ごめんよ、じいちゃん。俺、俺……」


 みっともなく泣きそうになりながら、ふらふらと歩く。曲がりくねった細い道がどこまでも続く、複雑な路地裏。何度目かも分からぬ曲がり角を曲がると、同時に俺はあっと声を上げる。



「ンギャギャギャ」


 路地の中に開けた広場。いくつかの柱に囲まれて佇む巨大な女神像と、その足元で声を上げる饅頭。奴はどうやら、女神像の指先から吊り下げられた宝石らしきものを狙っているようだが、宝石に飛びつこうとはせず、ただ頭上を見上げて声を上げている。


「(なんで、あんなところに宝石が……?)」


 その光景に、そんなことをぼんやり考える。あいつは恐らく、輝く宝石の類が大好きなのだろう。なんにせよ、これはツイてるぞ。


「コラ!いたずら饅頭め。追いついたぞ」


「ンギ」


 饅頭は俺に気づいて身構えるも、逃げ出しはしない。ちらちらと女神像の水晶玉を見ているあたり、どうしてもあれが気になるらしい。足止めは出来ている。だが、捕まえようとすれば恐らくまた逃げてしまうだろう。


 何か、もうひと押し。俺から詰め寄るのはダメだ。向こうから俺の方へ近づいて来てくれるような、何かがあれば……。


「そうだ。これなら」


 俺はすぐさまポーチを開き、「それ」を取り出す。小腹が空いたときのための、俺の非常食。ポテチの袋。ガサガサ鳴らせば饅頭が顔を上げる。よく見れば、ストラップの尻尾がその口からはみ出ている。良かった。まだ飲み込まれていない。だが吐き出されてもいない。咥えてるのか?いや、違う。牙に挟まってるんだ。


「く、食うか?ほら、おいで。美味いぞ」


「ヴ」


 声をかけつつ、ひと掴みのポテチを地面に撒いてやると、短い足がその身を運ぶ。俺を警戒しながらも、饅頭は近づいてくる。やがて伸ばされた舌がポテチをツンとつつくと、饅頭は一瞬驚いたようにその身を強張らせたが、すぐさまポテチを舌で絡め取って口へと運んだ。食いついた。ストラップはすぐそこ。手を伸ばせば届く距離だ。


「(そおっと、そおっと……)」


 地面に膝をついて、手を伸ばす。俺の指先が、ストラップの尻尾を掴む。その瞬間。俺の手とすれ違うように放たれた饅頭の舌が俺の顔を掠めて、俺がもう片方の手で抱えていたポテチの袋にくっついた。


「あっ」


 思わず声を上げる。俺の手を離れ、宙を舞う袋。ばら撒かれるその中身。しかしそのうちの数枚は、地面に落ちることなく虚空に留まった。


「な、なんだ……?」


「ング。ング」


 地面に落ちたポテチに食らいつく饅頭を横目に、俺は虚空に留まるポテチにそっと手を伸ばす。ピンと張り詰める手応えと共に、何かが俺の指に引っ付いた。


――糸だ。女神像と周りの柱の間に、糸が張り巡らされている。



「と、取れねえ」


 俺の指にくっついたそれは、蜘蛛糸のような限りなく細くて柔らかい糸。なのに、切れない。剥がれない。これは、あれだ。逃げようとすればするほど、逃げられなくなるやつだ。まずい。これはまずい。俺は体重をかけて腕を引っ張るが、糸はかすかに伸び縮みするばかりで俺の指から離れない。


「(……や、やっちまった)」


 冷や汗が頬を伝う。思えば初めから不自然ではあった。女神像の指先から吊るされた宝石。そして、その周りに張り巡らされた糸。これは、ひょっとして、こいつ(・・・)を捕まえるための……。


「ウフ」


「!」


 ハッとして振り返る。逆さまの顔がにんまり笑う。そこに居たのは、糸で逆さまに吊られて揺れる黒いドレスの女の子。真っ黒な四つの眼がぱちくりと瞬き、くふくふと笑うその口は大きく裂けていて長い牙がはみ出ている。その子もまた、人間でないことはひと目で分かった。


「(い、いつの間に……さっきまで、いなかったよな?)」


 よく見ればその子は長さの異なる二対の腕を持っており、短い方の二本は口元へ、長い方の二本は丈の長いスカートの裾を押さえている。その頭には髪の毛の代わりに紫色の甲殻がショートボブに似た形を作っており、肌の色は灰色掛かった薄紫色。明らかに人間ではないのだが、それでもどこか『可愛い』と思える顔つきの少女であった。


「ンフフ……ラ・フュル~レス……エゥル、フルルゥーマァ」


 いたずらっぽく囁きかけるような、艶っぽい声。やはり言葉の意味は分からないが、何となく、俺をからかっているんだろうということは分かる。何というか、そんな表情(かお)をしてる。あの眼は、そんな感じの眼だ。


「……っ」


「ウフ」


「あー……えっと。やあ、どうも。こんにち……じゃなくて、は、ハロー?なんて通じるわけねえよな。ええと、その……」

 

 俺がとりあえず適当な言葉を連ねると、饅頭を抱き上げてモチモチとこね回していた少女がはっとして目を丸くする。


「ヘロゥ?」


「えっ」


 ハローという言葉に、反応した。ひょっとして、英語が通じるのか?いや、そんなまさか。ここは異世界だ。英語が通じるわけがない。だが、間違いなく今、彼女は俺の言葉に反応を見せた。


「!」


 逆さまの体がくるりと一回転。少女が身を翻して地面に降り立つその瞬間、そのスカートの中から六本の細長い脚がそのつま先を覗かせる。蜘蛛のそれと似た、鋭いつま先。毛やトゲのようなものはなく滑らかで、黒光りする針のような歩脚。すぐに再びスカートに隠れて見えなくなったそれは、しかし俺の脳裏にくっきりと焼き付いた。

 

「(あ、脚が……)」


「クィール。ヘロゥ?リィ、ヘロゥ?」


 少女は饅頭を小脇に抱えたまま何かを問いかけるような様子で俺の方へ詰め寄り、そのドレスの裾や袖を見せつけるように広げる。相変わらず言葉の意味はよく分からないが、俺と彼女との間で何らかのすれ違いが生じていることは分かる。


 やはり、英語じゃない。


 俺の知るハローは挨拶だが、この様子を見るにこの世界のハローは挨拶じゃない。似たような発音の、異なる単語。俺の知るそれとは意味が違うのだ。


「ええと……」


「……ヘロゥ……ラ・イーリァ……?」


しゅんとした表情。彼女のつぶらな四つの眼が、じっと俺を見つめる。目は口ほどにモノを言うとは、よく言ったものだ。俺はしばし考え、再び口を開く。


「あぁ、そうだね。ハローだね。すごく……ハローだ……」


「!」


 こちらの世界におけるハローという言葉の意味は分からない。分からないが、彼女がその言葉を求めていたことは何となく察しが付く。言葉は理解できずとも、声の調子や表情から読み取れるものはある。


「あぅ……ンフ。フフ……」


 照れくさそうな声。ちょっぴり恥ずかしげな仕草。その反応を見て、俺はピンと来た。そうか。わかったぞ。この言葉、これは恐らく、褒め言葉。「かわいい」だとか「きれい」だとか、そんな感じの、女の子が喜ぶような褒め言葉であろう。そう考えれば、彼女の仕草にも説明がつく。


「クルィース、トゥ……イーリス。ンフ」


 俺の手が糸にくっついたままであることに気づいて、少女はまたくすりと笑う。俺がどれだけ頑張っても剥がすことも切ることも出来なかった糸は、少女の指が触れた途端にぷちりと途切れてしまった。


 糸に引っかかったままのポテチも、少女の手によってぽいぽいと地面に落とされ、そしてそれはすぐさま伸ばされた饅頭の舌に絡め取られる。


「エントルゥ、ルゥルン」


 少女は短い方の手で饅頭を抱いたまま、長い方の手で俺の手を掴む。その長く鋭い爪に一瞬どきりとしてしまうが、少女は爪が俺の肌に触れぬよう、その手のひらで俺の指先を念入りに揉む。一瞬握手かと思ったが、違う。俺の指に絡まっていた糸の切れ端を取り除いてくれたのだ。


「あ、ありがとう」


「アルィガルト?ンフフ。ルゥミィ……アリューゲルタ?」


 少女は俺の言葉を聞いてクスクス笑いながら饅頭を地面に下ろし、似た言葉を口にする。名詞だろうか。それとも動詞?その言葉の意味はよくわからないものの、その口ぶりから察せるものはある。今の口調は、まるで俺の言い間違いを訂正してくれたような、そんな雰囲気だった。


「ありゅーべる……?なに?」


「ンフ。……アン・リュウ・ゲ・リュータ。ルゥエントリィ、アリューゲルタ」


 恐らくは俺が聞き取りやすいように、ゆっくりと同じ言葉を繰り返しながら少女は空を指差す。ほら、あそこに居るよと言うようなその仕草に俺もはっとして顔を上げ、その指が指し示す方に目を向ける。


 そうして目を向けたエメラルドグリーンの空には、白い軌跡。雲を貫き、飛翔する閃光。まさか、飛行機?いやそんな、まさか。


「アリュ~!レーィ、アリュ~!ヘイルゥカローン!」


 少女は遥か上空を横一文字に切り裂く光に向かってその長い手を振り、声を上げる。呼んでいるのだ。あれを。だが、あんなところまで声が届くはずがない。空を横切る光は、軌跡だけを残して空の彼方へ――



「(…………いや。こっちに来る!)」



 世界樹のほうへ向かったかに思われた光とその軌跡は、大空に弧を描いて戻ってくる。きらりと輝く銀色が、こちらに向かって飛んでくる。「やばい」と思ったその瞬間。それは訪れた。


「っ」


 飛来する影。戦闘機のようなシルエットが広場に突っ込むその瞬間、俺は咄嗟に顔を覆って身を屈め、押し寄せる衝撃の余波に備えた。



「……?」


 静寂。意外にも、衝撃や音が押し寄せることはなかった。俺の身を吹き飛ばすほどの衝撃波もなければ、瓦礫が飛んでくることもなく、これなら身構える必要もなかったかもしれない。なんて考えながら目を開くと、そこにはくすんだ銀色の球体らしきものが微かに揺れていた。


「アリュ~!レーィ、トゥル~ミ!」

 

 虫の少女が球体に駆け寄ると、球体が花開く。四枚の翼が音を立てて開き、人影が立ち上がる。鋼のような輝きを放つその翼の持ち主の姿を目の当たりにした俺は、ハッとして目を見開いた。


 それは、腕の代わりに翼を持つ「首なしの鎧」。女性用の鎧であることは分かるがその中に肉体はなく、その下半身には鳥のそれと似た銀色の脚が三本生えている。腕の代わりに鳥の翼を持つモンスターだ。いわゆる、ハーピーというやつだろう。だが「それ」は、俺のイメージするそれとは大きく異なる姿をしていた。


「ンギギ」


「あっ、お前……」


 翼を広げて立ち上がった鎧の女性の足元には、饅頭がぺちゃんこになって呻いている。踏み潰されたのか。いや、違う。あいつは今さっきまで、俺の足元でポテチの破片を舐めていた。彼女が飛来した瞬間、自らその足元に飛び込んだのか。下敷きになったんだ。その落下の衝撃を、和らげるために。


 あれだけの速度で飛来したにも関わらず、広場にはひび割れ一つない。衝撃も、轟音すらなかった。あいつが、その身で全て受け止めたのだ。

 

「アリュー。エントゥ、イルーザ。クルルィラ。ヘロゥ、トゥーリス。ンフ」


「……」


 鎧の女性に嬉々として何か話しかける虫の少女。親しい友人なのだろう。鎧の女性は広げた翼のうち一つでその肩を抱き、その背を撫でるような仕草を見せる。羽根の一枚一枚は、包丁のように鋭い。羽根の隙間から時折に煙を吹き出すその様は、冷たい鋼鉄の兵器そのもの。だが少女と触れ合うその姿は、異形ではあれど心優しき女性のそれであった。


 アリューというのは、彼女の名前と見て間違いなさそうだ。アリューゲルタというのが、本名。あるいは正式名称であろうか。


「!」


 ふと、鎧の女性――もといアリューの胴体となっている空っぽの鎧の中から、白くてモコモコした小鳥らしきものがわさわさと溢れ出て飛び立ってゆく。同時にどこからかチャイムのような音が響き渡り、街からも同じように小鳥たちが集まってくる。飛んでゆくものと、集まってくるものとが入り混じり、無数の小鳥が広場に渦を巻く。冷たい輝きを放つ鋼の翼は小鳥たちの止まり木となり、その体は白いモコモコに埋め尽くされた。


「(か、かわいい……)」


 俺の指にも止まってくれた小鳥と見つめ合い、思わず頬が緩む。確か、北海道にこんな鳥が居たような気がする。なんてぼんやり考えていると、いつの間にやら広場には大小様々なモンスターたちがぞろぞろと集まってきていることに気がついた。


「アリュー!」

「ルゥエントリィ。アリュ~」


 広場に集まってくる人々の目的は、どうやら彼女。広場に集まってくる住民たちの手にはそれぞれ巻物のようなものが握られており、皆が期待に目を輝かせているように見える。まるで、彼女の到着を心待ちにしていたかのような。


 ひょっとして、彼女は何か、街の人々にとって重要な役割を担う人物なのだろうか。モンスターたちはあっという間にアリューを囲み、小さな広場は異形の影で溢れ返る。


「お、おぉ……」


 虫に似たもの、獣に似たもの、人に似たもの。大きなもの、小さなもの。同じ姿をしたものは、一人もいない。広場に集まるモンスターたちに気圧され、後ずさり、俺は女神像の土台を背に呆然と立ち尽くすことしか出来ない。


「(な、何なんだ……?何が始まるっていうんだ)」


 虫の少女の姿も、人混みの向こうに消えてしまった。ほんの少し前までがらんとしていた広場は、今や大小様々なモンスターたちの芋洗い状態。身動きが取れない。これをかき分けて広場を出るのも、難しそうだ。そんな中、わいわいと賑やかに渦巻くモンスターたちの話し声の中に、俺は虫の少女の声を聞き取ることが出来た。

 

「メリエッタ、ロココ、マホローティ、アトラ、――……」


 次々に聞こえてくるそれがモンスターたちの名前であることは、すぐにわかった。名を呼ばれたであろうモンスターたちが返事らしき声を上げ、人混みをかき分けて広場の中央――アリューと虫の少女が居る方へ向かってゆくのが見えたからだ。


「(ここからじゃよく見えないな。もうちょっと、高いところから……)」


 俺は女神像の土台によじ登り、広場の中央に目を向ける。アリューを中心とした人だかりの中、虫の少女がモンスターたちに何かを手渡しているのが見えた。


「……?」


 たくさんのモンスターたちが見守る中、虫の少女はアリューの首からその鎧に手を突っ込み、中から取り出した小包や巻物をモンスターたちに手渡している。同時に、モンスターたちが持ってきた小包や巻物がアリューの足元に積み重ねられてゆく。そんな様子を見て俺は、ピンと来た。


「(なるほど分かったぞ。彼女は……郵便屋か!)」


 見たところ、アリューは高速かつ長距離飛行が得意なモンスター。その力を活かして、遠い場所に住むモンスターたちを繋ぐ架け橋となっているのだ。


 空洞の体に贈り物や手紙を詰めて空を飛び、遠い地区に住むモンスターたちへそれを届ける。そしてまたその地区に住むモンスターたちから贈り物や手紙を受け取り、また別の地区へ。彼女は、そういった役割を担うモンスターなのだろう。


 それならば、街の人々が彼女の到着を心待ちにするのも納得である。この光景は、きっとそういうことなのだ。


「(そうか。そういうモンスターが、いるんだ……)」


 垣間見えるモンスターたちの日常。異世界の文化。ほんの少しでもそれに触れられたことが何となく嬉しくて、ほっとしてしまう。いや、ほっとしてる場合じゃないのだが。


「……アトラ?アトラ~?ヘイルゥ、エントリィ」


 ふと、また虫の少女の声が聞こえてくる。誰かを呼ぶような声。広場がざわつき、モンスターたちが辺りを見渡しているのを見るに、先程彼女が名を呼んだ人々のうちの一人が、まだ来ていないのだろう。レストランなんかで、呼ばれた客がいない時の雰囲気だ。


「!」


 やがて、モンスターたちの視線が俺の方へ向く。だが、俺はすぐにその違和感に気づく。彼らが見ているのは、俺じゃない。俺の後ろ。何か大きな影が光を遮って、俺の周りが暗くなる。俺はごくりと唾を飲み、恐る恐る振り返る。



「…………れぅたるぅ。あとら、えんとろ~」



 俺を覗き込む巨人が、にこりと笑って首を傾げた。


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