表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/8

第一話「出会いと別れ」





 いつも通りの朝だった。いつもと同じ一日が始まるはずだった。だけどその景色は、明らかにいつもとは違っていた。



「……んぁ」



 まず疑ったのは自分の目。次に頭。ほんのり寝ぼけたままの俺の意識は、目に映るその光景を理解することが出来ない。間の抜けた声を吐き出して、ただ立ち尽くす。そのまま、数秒が過ぎた。

 

「なんだよ、これ」


 そんな言葉が、こぼれ出る。俺を出迎えたのは、赤と白を基調とした可愛らしい景観。ネットでしか見たことのないようなメルヘンなレンガの街並み。当然ながら、俺は日本生まれの日本育ち。親元を離れ、都会ではないが別に田舎というわけでもない、ごく普通の町で一人暮らしを初めたばかりの平凡なフリーターである。こんな街に引っ越した覚えはない。というか、明らかに日本じゃない。


 昨日までは、こんなじゃなかった。

 扉を開ければ、ボロボロのコンクリ塀がすぐ目の前にあったはず。だが今、眼の前に広がっているのは、ずらりと並ぶレンガの街並みと、広々とした石畳の路地裏。寝ぼけていた意識は徐々に目を覚まし、俺は少しずつ冷静になる。


「(夢じゃ、ないよな)」


 膝をついて、石畳を撫でる。ざらりと硬く、ひやりと冷たい。数歩足を踏み出して、眼の前に佇む赤茶色の壁に手を伸ばす。地味なコンクリ塀とは違う、小洒落た凸凹の感触。間違いなくレンガの壁だ。見間違い、もとい勘違い。その可能性も無くなった。


「……どうなってんだ……?」


 考えれば考えるほどに、理解が出来ない。思考が追いつかない。だがこんなときこそ落ち着いて。まずは深呼吸だ。


「!」


 ふうと一息。落ち着いて辺りを見渡した俺は、空を見上げて息を飲む。後ずさって、転びそうになる。



「な、んだあれ……」


 木だ。木の幹。天まで届く巨木が、街を見下ろしてる。建物に挟まれた路地裏からでも見えるくらいの、とんでもなくでかい木が見える。樹齢何千年とか、そんなレベルのでかさじゃない。その幹を中心に、雲が渦巻いている。凄まじく巨大な魚のような影が、雲の中に見えた。



「(…………なるほど。そういう、ことね)」


 それを目の当たりにして、ようやく俺は状況を理解する。


 薄々感づいてはいたが、ここは日本じゃない。ましてや地球でもない。異世界だ。世界樹が見下ろすメルヘンな街。いいね。とてもいい。すごくファンタジックな世界だ。訪れたことはないが、別の意味で馴染み深い雰囲気。ゲームでよく見た光景じゃないか。


 ようやく理解出来た。ここは、そういう世界なのだと。


「(て、ことは。だ)」


 辺りを見渡す。街があるなら、住民がいるはず。この景色からして、中々に発展した世界であることは間違いない。どうやら路地を抜けた先は広い道に出るらしく、遠くに人影もたくさん見える。やはりか。ここは、間違いなく活気のある街だ。人も大勢いる。


 さてどうしたものか。どうしたことか。しばらくその場に立ち尽くし、考える。探検してみるか?いや、まずは……。


「帰ろう。一旦帰ろう。まずは家に帰って、色々と整理しないと……」


 そう言いながら、俺はくるりと振り返る。そこにあるものは、見慣れた鉄の扉ではない。かまぼこのような半円状の形をした両開きの扉。木製の立派な扉だ。この扉が俺の真後ろにあるということは、俺は、この扉を通って外に出てきたのだろう。ならばそのまま引き返せば、家に帰れるはず。ごくりと唾を飲み、俺は扉を開け放つ。


「!」

 

 扉を開けた俺を出迎えたのは、大きな丸い扉が転々と並ぶ薄暗い廊下。ここは、俺の家じゃない。俺は間違いなく、この扉から外に出てきたはずなのに。立ち尽くす俺を横目に、床に沈んで漂う煙が外へ逃げてゆき、ふんわりと甘い匂いが俺の鼻から脳裏に染み渡る。その匂いに、俺は思わずはあと息を吐いた。


「(……焼き立てのパンみたいな匂いだ。いい匂いだけど……なんか……変な感じ)」


 視界が揺らぐ。目が回る。すぐに意識もぼーっとしてきて、まぶたが重くなってくる。急に眠くなってきた。だがうとうとしてる場合じゃない。俺は自らの顔を叩いて強引に眠気を吹き飛ばした。


「(あんまり、吸わないほうがよさそうだ)」

 

 よく見てみれば、煙は廊下に並ぶそれぞれの扉の隙間から漏れ出ている。あの扉の奥、部屋の中には、一体何があるのだろうかと、そんなことを考えるのと同時に、扉の一つが音を立てて開いた。


「……っ」


 もくもくと溢れ出す煙と共に廊下に出てきた「それ」を見た俺は、飛び出しかけた悲鳴を押し殺して後ずさる。


 ヒトと似たシルエット。だがヒトではない。ホワイトチョコで塗り固めたような、不気味なほどに白い女体。その胸の真ん中にはひび割れた裂け目があり、内側は真っ赤に輝き、血のような液体が流れ出ているのが見える。その頭は、胸の内側と同じ色に輝く宝石のようなもので形作られていた。顔も、髪も、全て輝く宝石で出来ているのだ。


 その起伏の少ない滑らかな顔つきは、昔、親と共に訪れた宝石店のショーケースに飾られていたクリスタル製の女神像のそれとよく似ていた。


「(なんだ、あれ……)」


 生き物と呼ぶには無機質な、しかし物体と呼ぶには生々しい。そんな気配を身にまとう異形の人影。そいつは廊下に出ると長い手を広げ、胸の裂け目にあの煙を吸い込んで吐き出しを何度か繰り返す。そのたびに胸の裂け目から溢れ出す血のような液体は、その腹から足へと伝う途中で白く固まり、白い肌の一部となった。


「!」


 そうこうしているうちに、同じ部屋からもう一人、異形のシルエットが姿を表す。一歩遅れて出てきたそれは、紫色に黄色の斑点が散らばるキノコの帽子を被った女性。否。どちらかと言えば女性の形をしたキノコと言うべきか。キノコの傘に隠れたその顔はよく見えないが、彼女があの煙を吐き出しているのが分かる。


「……エントルゥ、クルィース……トゥ……エルフォ~……」


「――……」


 聞いたことのない言葉。キノコの女性は宝石の女性に何か囁きかけるように話しかけ、宝石の女性は高く透き通る鐘の音のような声を返す。それから二人は互いの手のひらを合わせ、それぞれ左右に首を傾げた。


「(何してるんだ……?会話……挨拶か?)」


 扉の影からその様子を覗いていると、やがて宝石の女性がキノコの女性に別れを告げるような仕草と共に振り返る。まずい、こっちに来る。俺は慌てて踵を返し、その場を後にした。


 

「くそっ、どうすりゃいいんだよ……」


 あてもなく、俺は静かな路地裏に足を踏み入れる。俺の家に繋がる扉は、なくなってしまった。帰れなくなったのだ。家にはもう、帰れない。その現実が、何度も脳裏を跳ね返る。これからどうすればいいのか。俺はまず、その答えを見つけなければならない。



――の、だが。



「…………」



 歩みが止まる。視線の向きは、斜め上。間抜けな声すら、出てこない。


 大きな手。とても、とても大きな青白い手が、屋根を掴んでいる。その光景を目の当たりにして凍りつく俺の視線の先で、大きな影が家屋越しに顔を出し、路地裏を覗き込む。青みを帯びた肌に光る紋様。額から突き出た二本角。銀色の髪がさらりと流れて、大きく揺れる。


「嘘だろ、おい」


 それは、女の子。とんでもなくでかい女の子が、その大きな眼を丸く見開いた。


「…………れぅ……たるぅ……?」


 聞き慣れない言葉。体の大きさに似合わぬ舌足らずな声。そのふっくらとした頬から首へと流れる紋様が、鈍い黄金の輝きを放つ。はあ、と大きな吐息が一つ。その表情が、驚きに染まる。


「いや、いやいや……ちょっと待っ、あいてっ」


 後ずさる。巨人だ。とんでもなくでかい巨人が、街の中に。俺は段差に躓いて尻もちをつく。連なる家屋の向こうから顔を出したその巨人は驚いたように目を見開いたまま、屋根越しに身を乗り出して、あろうことか俺の方へゆっくりとその手を伸ばしてきた。


「れぅたるぅ……あぅ、くぃーろ……」

 

「っ」


 その瞬間。俺の体は、思考を置き去りにして走り出していた。巨大な手を咄嗟に躱して、すぐさま猛ダッシュ。その反応は、恐らく本能的なものであろう。自分より大きなものに対する恐怖。捕食者に対する本能的な恐怖が、俺の体を動かしていた。


「(やばい、やばいやばい!なんだよ、アレ!?)」


 声も出ない。ただ、走る。何度も躓き、足を滑らせ、転びそうになりながらも、俺はがむしゃらに走り続ける。正真正銘の、全力疾走。こんなに走ったのは、寝坊した高校受験の朝以来だ。そんな言葉を思考の渦に巻き込みながら俺はいくつもの角を曲がり、細い路地裏を駆け抜ける。


 どこへ向かっているのかなど、分からない。ただ前へ。少しでも遠くへ。その瞬間、角の向こうから大きな人影が俺の前に現れた。


「どぅおわっ!」


 ぼふんと柔らかな、優しい衝撃。何かとても大きな柔らかいものが俺の頭を跳ね返し、俺は軽く仰け反るようにして数歩後ずさり、はっとして目を見開く。そこに居たのは、俺より頭ひとつほど背の高い、豊満な女性であった。


「ソルーニャ。あぅ……アーリエ?」


「あ、あ……」


 で、でけえ。真っ先に浮かんだ言葉が、それだった。いや、単純な大きさでいえばさっきの巨人のが何倍も大きいが、そうじゃない。そこじゃない。両手をぽんと合わせて首を傾げ、ゆったりと謝るような仕草を見せたその美女の頭には、曲がりくねった角が一対。そしてその立派な角よりも目を引く暴力的なまでのたわわに、俺は恐れ慄いてさらに数歩後ずさる。


「(や、やわ……ってか、でっか……スイカでも詰めてんのかよ)」


 なんて、考えてる場合じゃない。ぶつかっちまった。女の人に。あ、謝らないと。けど、なんて言えば。


「ア、アルルソルーニャ。ルゥーミ、ヘルーミオ……」


「あ、いや、す、すいませんっ!俺、つい飛び出しちまって……えっと、その……」


 まずい。何言ってるのか分からない。分からないけど、謝っているのは間違いない。俺も慌てて謝罪の言葉を返し、頭を下げる。女性は見るからにおろおろとしていて、俺を心配してくれていることは分かる。


「(……綺麗な、人だ。いや、人間じゃあ、ないだろうけど)」


 ふんわりと柔らかそうなプラチナブロンドの髪。長身かつ豊満な、見るからに優しそうな顔つきの美女である。よく見てみればその背後には尻尾が揺れてるし、耳も長い。立派な角は言わずもがな。その足元に目を向けてみれば蹄のようなものがスカートの裾から覗いている。


「お、俺は、大丈夫です。あの……」


「…………?」


 困ったような表情。女性は首を傾げて、俺を心配そうに覗き込む。やはり、言葉が通じてない。そのまま、謎の沈黙がその場に漂う。日本語も英語も分からない外国人に話しかけられた時のような、どうしようもない焦りが俺の胸に突き刺さる。そんな時。連なる家屋の向こうにまた大きな影が見えた。


「!」


 さっきの巨人だ。何かを探すように路地を覗き込みながら、向こうの大通りを歩いている。その顔がこっちに向いた途端に恐怖が蘇り、気がつけば俺は再び走り出していた。


「す、すいません!それじゃ!」


「ァ……」


 別れの言葉を交わす余裕もなく、俺は路地裏に飛び込む。行き交う異形の人混みを避けて路地裏のさらに奥へ。奥へ。触手やら翼やらいろんなものが見えた気がするが、直視している余裕はない。後ろを振り向く勇気もない。どこに向かっているのかすら分からぬまま、ただ走り続ける。


 だが――


「はっ……はっ……はあ、ぁ……ゲホッ、ゲホ」


 何となく察しはついていた。全力疾走など、二分と持たない。すぐに足が重くなって、胸が苦しくなって、走れなくなる。みっともなく息を切らして、姿勢が崩れる。膝に手をついて、息を吐き散らすことしかできなくなる。運動不足だ。


 肉体労働系のバイトを避け続けてきたツケが、こんなところで回ってきやがった。もう走れん。もうだめだ。もう逃げられない。ひとまず俺は大きく息を吐いて、ようやく背後に目を向けた。


「……いない」


 巨人の姿はない。どこにも見当たらない。ほっと胸を撫で下ろすのと同時に、俺はどうしようもない不安に飲み込まれそうになる。


 右を見ても、左を見ても、知らない景色。目に映る看板らしきものに書かれた文字は読めず、行き交う異形の人々は立ち尽くす俺を横目に、何か挨拶らしき言葉を口にしながら通り過ぎてゆく。いや、異形は俺の方なのかもしれない。ここでは、彼らこそが「普通」なのだ。


 どこかヒトと似た、しかしヒトではない異形の人々が住まう世界。見知らぬ街。見知らぬ文字。友達も家族も、知り合いの一人すら居ないこの場所に、俺はたった一人、放り出されてしまった。


「(俺はこれから、どうすればいいんだ……?)」


 ただ、立ち尽くす。力が抜ける。俺はふと目についた木箱に腰を下ろし、頭を抱える。


 どうすればいいのかなんて、分からない。


 こんなときに役立つ知識なんかないし、ポーチの中には財布と、ポテチが一袋とペットボトルのお茶くらいしか入ってない。何か特別な力でもあれば話は別だが、どうやらそんな気の利いたサービスもないらしい。


「(おまけに、家には帰れない……と)」


 そう、それが問題だ。家に帰れない。帰れないなら、どうする。ここで生きていくのか。寝る場所はどうする?メシは?着替えは?文字も読めないし、言葉も分からないんだぞ。俺はこれから何をすればいい?何から始めれば良いのかすら、分からない。


「どうすんだよ……マジで……」


 自分自身に問いかけるようにそんな言葉を呟きながら、俺はポーチにつけたガラス玉のストラップを指先に転がす。これは、ずっと前に死んだじいちゃんが俺のために作ってくれた、手作りのお守り。光を当てると七色にきらきら輝く綺麗なやつだ。辛いことがあった時や、悩んで行き詰まった時は、いつだってこの輝きが俺を癒やしてくれたっけ。


「じいちゃん……俺、どうすれば……」


 ふと、その時。俺が腰掛けた木箱の裏でゴソゴソと音がして、俺はハッとして背後に目を向ける。木箱の裏から出てこようとしていた黒い影が、勢いよく引っ込んだ。


「……ッ!?」


 何か居る。すぐそば、木箱の裏の隙間に潜り込んだ黒い影が、その眼をぱちくりと瞬かせる。俺が慌ててその木箱から離れると、その影はぬるりと木箱の上によじ登る。黒い、スライム状の生き物。モンスターだ。木箱の上で饅頭のように丸くなって、尻尾らしきものを揺らしている。その尻尾の先端には指のような突起が生えており、腕のようにも見える。


「ンギェアオ。ンオオ」


 饅頭のような体がぱっくり割れて、無数の牙と蛇のような舌が顔を出す。ちょっぴり可愛げのある顔だと思いきや、これだ。丸っこい見た目に騙されちゃダメだ。こいつは、モンスター。化物だ。変な声で鳴きやがって。

 

「な、なんだお前……や、やる気か?悪いがこいつは渡さないぜ。ロクなもん入ってねーけど、今の俺の全財産なんでな」


「ンング……」


 俺はポーチをぎゅっと抱えて防御姿勢を取る。黒いモンスターは何やら呻きながら舌を引っ込め、口を閉じたかと思うと、次の瞬間。突如として短い四本の足を生やし、木箱から壁へ。壁から俺の頭上へと飛びかかってきた。


「う、うおぁっ!?」


 俺が驚いて尻もちを付くのと同時に、黒いモンスターの体が裂けて黒い手が俺に降り注ぐ。熱くてぬるりとしたものが頬を掠めて、それから――――



「――……?」



 それ、だけ。何もしてこない。触れられている感触もない。恐る恐る目を開くと、黒いモンスターは俺の足元に居て、そのでかい口をもぐもぐさせていた。


「なんだ……?お前、何、食べて――」


 ハッとする。一瞬開いた口の中に、きらりと光るもの。見覚えのある輝き。すぐさまポーチを見やると、俺の大事なお守りが根本からむしり取られていた。


「お、お前……やりやがったな。か、返せ。コラ!それは、大事な……!」


「ン」


 俺は慌てて黒いモンスターに手を伸ばすも、黒いモンスターは俺の手をぬるりと回避。そのまま一目散に逃げてゆく。



「ま、待て!おい、待ってくれ!……くそっ、逃さねえぞ!!」



 逃がすわけには、いかない。俺は歯を食いしばり、再び路地裏に走り出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ