高級ホテル殺人事件 第1章8節
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一部グロテスクな表現があります。ご注意ください。
「オリビア、オリビア、起きて」
「クロエ?どうしたの」
「ごめん、起こして。誰かがずっとノックしているの。何か声もして…でも怖くて」
クロエにそう言われ、オリビアは耳を立てる。
ノックの音と共に何か声が聞こえる。
ぴったりと身を寄せながら、2人はおそるおそる扉に近づく。
スコープを覗くとそこにはアリスがいた。
慌てて扉を開けると、アリスは扉を開けた衝撃で、勢いよくこちらに倒れこんだ。
「アリス?どうしたの、1人で。エマは?」
アリスは動揺しているようだ。涙を流しながら、震えた手でオリビアの腕を掴む。
「エマが…1時間くらい前にお風呂に入ったんだけど、出てこないの。シャワーの音もしなくなって、何かあったんじゃないかって思ったの。声をかけたんだけど返事がなくて。それに何か金属が落ちる音がして」
オリビアは背筋が冷たくなるのを感じた。クロエも同じことを感じたようで、表情が硬い。
「アリス落ち着いて。とりあえず、エマのところに行こう」
3人でアリス達の部屋に向かうと、そこは恐ろしく静かだった。
浴室の扉を開けようとしても鍵がかかっていて、開かない。
「エマ?エマ、大丈夫?」
返事はない。耳をすますと、僅かに水滴の音が聞こえる。
オリビアも友人の安否が不安になり、同時に恐怖を覚えた。そしてリアムが何かあったら内線で繋げ、という言葉を思い出し、アリスの部屋の受話器を手に取った。
「はい。リアム・アルベールです。どちら様ですか?」
「夜分遅くにごめんなさい。私、オリビアです」
声色で分かったのか、リアムはどうしたの、と声を硬くして尋ねる。
「友人のエマが浴室にこもったまま、1時間出てこなくて。返事もないし、何か金属の落ちる音がしたみたいで」
「わかった。ロイさんとそちらに向かうよ。部屋はさっきの部屋かい?」
「はい、アリスの部屋にいます。12階の1204号室です」
「すぐに行くから待っていて」
その言葉にオリビアは少し安心した。浴室の扉の方を見ると、アリスは泣きじゃくり、クロエも不安そうにアリスの背中を撫でていた。
しばらくして、扉がノックされた。
開けるとそこにはリアムと形相を変えたロイが立っていた。
「ロイさんがマスターキーを持ってきてくれた。今から浴室の扉を開けるから、みんな一旦離れて」
オリビア達は浴室の扉から離れ、ロイは急いで鍵を開けた。
開けた瞬間にむわっと鉄のような匂いが蒸気とともに室内に溢れた。
「エマ!」
アリスは悲痛な声をあげた。
浴室を開けるとそこには血で赤く染まった浴槽に血の気のなくぐったりしたエマが浸かっていた。
リアムは至って冷静に脈を取った。
「…残念だけれど。遅かったみたいだ」
オリビア達は急な友人の死にどうしていいのか分からず、ただその場に佇むしか出来なかった。
リアムは脈を取った時に違和感を感じながらも手元を見る。
手元にはいくつもの深い切り傷、浴槽の近くには血がべったりとついた果物ナイフ。おそらく部屋に備え付けてあるウェルカムフルーツ用のものだろう。そしてナイフの先に湿った紙があった。紙を開くとそれは遺書だった。
あの人のことが許せなかった。でもその罪に耐えることもできなかった。ごめんなさい。
遺書には短くそう書いてあった。
リアムは読み終わると、ふと浴槽内に携帯電話が落ちていることに気づいた。
浴槽から取り出してみると、その携帯電話は割られており、水没もしていた為、電源はつかなかった。その携帯電話を見たロイは思わず短く声を出す。
「その携帯のカバー、リュカのものです」
「支配人の携帯電話ですか?」
「ええ、珍しいデザインだったので覚えてます」
では、とリアムはエマに向き直る。
本当に彼女が支配人を殺したのだろうか。
リアムが考えていると、オリビアが現場に入ってきた。
「…あまり見ない方がいい」
「いえ、友人の無念を晴らすためにも見なければならないんです」
必死に涙を堪えながら、オリビアはエマの身体を検め、文章を読む。
オリビアの真摯に事件と向き合おうとする姿にリアムの感情が揺れた。リアムにとってその感情はすぐには理解できなかった。
その時、クロエの悲鳴が聞こえた。振り返るとアリスが倒れていたのだ。
「アリス!」
近くにいたロイが慌ててアリスの状態を確認する。
「気を失っただけだと思います。私がベッドに運びます。マルタン様、デュボア様を見ていていただけませんか?私は従業員にこの件を伝えに行ってきます」
「分かりました」
アリスをベッドに運び、ロイはやや駆け足で部屋を出た。
リアムはアリス達に気を取られていると、ふとオリビアの様子がおかしいことに気づく。
「オリビア?大丈夫かい。あまり無理をしない方が良い」
「ええ…大丈夫です。あの、リアムさん。この携帯のデータが復元できるか見てみませんか?」
「ああ、そうだね。ロイさんに頼んで、携帯会社に電話して試してみるよ」
「今から頼みましょう」
「今からかい?私は構わないが、君は休んだ方が良いんじゃないか?」
「いえ、早いうちに取り掛かりましょう。とりあえず内線でロイさんに頼んでみます」
オリビアはそう捲し立て、電話のある方に向かう。
オリビアの態度に疑問を感じながら、エマの方を向く。
オリビアは内線の電話で1時間程浴室から出てこないと言っていた。
「それなのに死後硬直が既に始まっているのは極度の緊張のせいなのか…?」
浴室で呟いた声はひどく反響した気がした。




