22話 昨日の惨劇と俺の罪
それは最悪の目覚めだった。今も脳裏からあの悪魔が巻き起こした地獄が離れない。生きていることへの安堵なんて些細なものだった。
夢の世界にまた逃げたかった。だが、せめて今回乗り移った人物を確認しようと俺は起き上がって鏡を探した。
しばらくしてそれは見つかった。そこには現実の岸田啓太そっくりの中肉中背の黒髪の男が映っていた。俺は喪服を着ていた。髪はボサボサでクマができている。目には深い影がさし輝きが一切なかった。
改めて今の自分を客観的に見てゾンビのようだと俺は思った。生きる意志などなく深い絶望だけが俺を支配している。
フルーレティに殺された兵士達の顔が目の前に浮かんだよ。存在しないはずの彼らはお前のせいだと俺を一斉に責め立てる。ごめんなさいごめんなさいと謝罪を繰り返しつつも彼らから逃げた俺は気づけば家を出て表の通りに立っていた。
通りはボロボロだったがそこには多くの人が歩いていた。といっても以前の賑わいがそう簡単に戻るはずもない。彼らは俺と同じような全身黒一色の服を着ていた。つまり、喪服であった。
彼らは誰もが同じ方向を向いて歩いていく。その方向にはトレント中央公園があった。そこはフルーレティが直接降り立った最も被害が大きい場所だった。
そこで何か昨日の悲劇を悼む式典が行われるのかもしれない。そうボーッとしつつも考えていた俺に声をかける男がいた。
「……ああ、マイケル。お前もやっぱり行くよな……。お互い生き残れたってわけだ……。でも、俺たちの代わりに何人死んだんだろうな……?
クソっ!、俺がもっと強かったらアランもアレックスもみんな助けられたかもしれないのに……!」
彼は自分を責め続けた。慰めの言葉は何も見つからなかった。そんなことない、あれはしょうがなかった。そんな簡単な言葉ではこの心の傷は癒えないのは俺が何より分かっていたからだ。
俺は黙って彼の肩を叩き彼と並んでトレント中央公園に向かった。彼は涙を流していた。
そうしてやって来たトレント中央公園では戦死者を悼む葬式が行われていた。
一昨日までは青々しく立っていた木々は根元から折れ上から雪が積もっていた。辺りのレンガは雹の影響であちこちが砕けている。幸い血痕は消えていたが昨日の地獄を思い出させるその光景を見るのは俺には辛かった。
ここには死んだ彼らの戦友と遺族達が集まっている。場は当然ながら重い空気が立ち込み白髪の老いた牧師の声だけが響いていた。
「この街を襲ったあの悲劇は決して忘れてはなりません。私達を救い亡くなってしまった彼らを風化させないためにも。彼らは勇敢な戦士でした。彼らとて死を恐れていたはずなのです。ですが、彼らはさながら英雄のようにあの悪魔たちから街を守ってくれた。彼らがいたからこそトレントは守られたのです--」
牧師の前には亡くなった兵士の写真が大きく飾られていた。その中でも中心に一際大きく掲げられていたのはカルロ大佐の写真だった。
「……」
改めて罪悪感が俺の身にのしかかった。来なければ良かった、全部を忘れてどこかに消えれば良かった。そんな考えが頭をよぎった。
「いや、駄目だ。ここには絶対に行かなければいけなかった。それが俺の義務だ……」
せめてもの手向けとして英雄となった彼らを忘れてはいけない。牧師の言う通りだ。俺は並ぶ兵士達の写真と一枚一枚視線を交わした。だが、彼らの目を見ているとどこか後ろめたい気持ちになった。これも戒めの一つなのだろうか。
「しっかり目に焼き付けろ……。これがお前が奪った命、お前が背負わなければいけない命だ……」
式は粛々と行われていった。俺はその間一歩も動かず彼らの顔を目に焼き付けていた。自分の未熟への怒り、多くの命が散った悲しみ、あの悪魔への憎しみ色々な感情が渦巻いては消えていく。
命が失われていく様を俺は初めて見た。それは俺の心には衝撃的すぎた。心のあちこちにヒビが入っていくのが手に取るように分かる。
「はは、俺マジで何してんだよ……!」
いつからかうつむいていたようでひび割れたレンガ調の地面しか俺の目には映っていなかった。彼らを直視できない程俺の心が弱かったからだ。
式が終わり俺はこの体の持ち主の家へ帰っている。いつもならルミナのあの豪邸へ向かうところだが今はそんな気分じゃない。
「俺に人の体を操る資格なんてないんだ。俺のせいでまた多くの命を奪ってしまうくらいならばもう何もしないまま引きこもっておくほうがマシだ。俺みたいなクズが出しゃばっていたのが悪い。俺なんかが生きてたらみんな不幸になる」
家までの距離が長く感じる。俺の歩みが遅いからだろうか。……別にどうでもいい。むしろこのまま永遠にどこにも着かなかったらいい。そう考える自分がどこかにいた。
暗く沈み込んだ気持ちのまま俺は街道を歩いた。というより徘徊した、という方が適切かもしれない。
昨日とは違ってあの雹の嵐はもうない。悪魔の軍勢も消え去ったしフルーレティは死んだ。もうあの地獄は終わった。だというのに俺の目には世界の全てが崩れていくように見えた。
「待って!」
誰かが俺の肩に触れ俺を引き留めた。振り向いてみるとそれはルミナだった。彼女の目は赤く腫れていた。
「良かった……。生きてたのね……」
ルミナは安心したように言葉をこぼした。ルミナには俺が分かるようだった。
今の俺の体は現実の姿に似ている。だが、彼女にはもちろん俺の本当の姿は見せたことがない。だというのに彼女は俺という存在に気づいてくれる。そのことがどこか嬉しくも胸の張り裂けるような思いだった。
だから、もうルミナとは関わり合いたくはなかった。
……彼女のためにも。
「ルミナ……、もう放っておいてくれ。これ以上俺とか関わっていると君まで傷つけてしまう気がするんだ」
「そんなことない!あなたはフルーレティからたくさんの人を救ったじゃない!あなたが身を呈してあのアイスローズから助けた人は何度もありがとうって言ってたわよ?」
「……だとしても俺は自分の身勝手でカルロ大佐を殺してしまった。その他にも沢山の人が死んだ。俺にのうのうと生きていく資格なんてない。じゃあな、ルミナ……」
「待って!啓太!」
ルミナは俺の手を掴み引き止めようとした。
「もういいだろ!?放っておいてくれ!」
だが、俺はその手を振り払いこの場から逃げるように走った。全てを捨ててどこか遠くに逃げたかった。ふと視界に入った地面に座り込んだルミナの姿を見ると涙がこぼれた。
「けど、これでいい。これでいいんだ……」
あてもなく俺は走り続けた。そして気づけば俺はトレントで最も高い時計塔の展望台に立っていた。
街は夕日に照らされて赤く色づいている。しかし、その景色の美しさと裏腹に街の様々な建物が崩れていて行くあてのない子供の泣き声が響いている。その声は俺への呪詛のようにも思えた。
再び昨日の惨劇が頭に浮かんだ。逃げ惑う兵に突き刺さる無慈悲な氷の矢、トレント中に響き渡るフルーレティの高笑い、血に染まる銀世界。体がもう思い出したくないと言っているのか吐き気がしてきた。
「俺は、俺はどうしたら良かったんだよ!頼むから教えてくれよ……!」
この時計台から飛び降りたら楽になれるかもしれない。俺は昨日カルロ大佐を死なせてしまったことさえ忘れて眼下の景色を見ながらそんなことを考えていた。だが、その思考を止めてくれる誰かの声が頭に響いた。
『啓太!?ちょっと!どこにいるのよ!落ち込んでる場合じゃないでしょ! ルミナが大変なの!』
それは同じ境遇の同郷の声で確かな仲間の声でもあった。
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