3:交わる記憶
数日前から体調を崩しているローガンに呼ばれた。本人はもう寿命だと言っているが、俺の見立てではまだまだ生きられそうだ。半分くらいは希望も入っている。この世界に落とされて、初めて助けられた人間だ。初めて仲良くなった人物でもある。そんな人物に死んでほしくない、と言う希望だ。
「呼んだか?」
部屋に入り、床に伏したままのローガンに声をかける。それにしてもこの部屋、こんなに寒かっただろうか。
「ああ、お前に渡したいものがある。いや、返さなきゃならないものかな」
「返さなきゃならないもの?」
疑問を返した俺の言葉に答えず、ローガンはこちらを見て言う。
「強く生きろよ、トウリ。俺は途中で見るのをやめちまったが、この世界は、思ったより綺麗なもんばっかだった」
記憶が拡張する、世界が光に包まれる。それが、ローガンから俺に記憶を伝えるときの動き。誰のやったことかはわかる。こんな、人の頭の中に入り込んでくるのは、神の、あの空間にいた何者かだけだ。
頭の中に流れ込んでくる情報は、一つの事実を示していた。
ローガンもまた、俺の先駆者、俺の力をかつて持ってこの世界を生きたものであるということを。
そしてまた、俺の中の起こりえた未来の存在も、頭の中に流れ込んできた。この世界に召還された瞬間に分かたれたもう一つの運命、今の俺と違う道を選んでしまった俺の運命が。
『“調停者の鍵”の解放を確認。記憶の扉が解放されました。業“時の箱”が譲渡されました。前任者の権限により、強制展開、並びに、失われた記憶の強制定着を行います。』
俺の、桃李の頭の中で、もう一人の、俺とは違った道を生きた男の記憶が、その軌跡が頭の中で再生され、今の俺も、いつの間にかその中に流れ込むように溶けていく。
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異世界に召喚されて、何か月がたっただろうか。あの時に、神の戯れか何か知らないが、ただ一人力を消された俺が、召喚され、勇者と呼ばれる彼らの中から、はみ出していくのは当然だ。そんな状況に文句を言う程度の力ぐらいは残しておいてほしかった。そんな希望も、どこかへ消えて行ってしまった。
「立てよ、出来損ない。お前だけ、召喚された勇者の中で使い物にならねえんだ。役立たずは役立たずなりにできることをしないとな」
鎧を着た下級兵卒に命令され、それに従うしかない。それが今の俺の立場だ。不運は、こいつらにすら逆らえない俺の非力さだろうか。それとも、兵士の中でもたちの悪いこいつらのような存在に目を付けられたことだろうか。様々な力を持ち、圧倒的ではないまでも、確実に人々の役に立ち、この世界でも力強く生きていく少年たちとは違う、まさにゴミのような、そんな命。だからと言って、俺本人にはかけがえのないこの命。
希望とはなんだったろうか。そもそも、感情とはなんだったろうか。楽しさも、嬉しさも、すべてを奪われても、人は死なないと、自らの体でもって知った。ただ、それは生きていると言えるのか、それとも死なないだけというのか。それはわからない。ただ、死にはしなさそうだ。そんな状況でも、命を保とうと体は修復されていくのだから。
「魔族が攻めてきたぞーー!」
毎日のように続く兵士からの攻撃に、意識を保つのに必死な俺の耳に、何かの羽ばたく音が聞こえてくる。それとともに、悲鳴と、争うような音も。
「こっちだ!いたぞ!」
必死の思いで顔を上げた俺の顔に移るのは、全力で戦う勇者たちと、それを圧倒する一体の魔族。人とは違う黒い肌に、翼と、赤い瞳を持つ怪物。人間は、ただ蹂躙されるしかない。そんな生物。ただ、そんな存在も普通の兵士も、俺にとっては等しく敵でしかない。それも、まったく立ち向かえない敵だ。
「リーダー達は!?」
「遠征に行ったままだ!まだ帰ってこない!」
勇者たちの主戦力が、遠征に出ているところを狙ってきたのだろう。そもそも、遠征の情報すら知らない俺に、そんなこと知れる道理もない。この場にいるのが危険だとわかっていても、逃げるる力が残っていない。
「勇者様、ここはいったん引かれて下さい!」
「けど、こいつが……!」
「そいつは、こいつに囮になってもらいましょう」
その声は、俺の背後から聞こえてきた。腕をつかまれ立たされる。見上げた男の顔は、残念ながら、恐怖に染まっていた。愉悦に染まっていたなら、まだ怨めただろうに。中途半端に人生を生きているもんだから、大事なところで、命を惜しくしてしまう。その兵士は、最後まで俺の中では的で、俺の生を妨害する敵でしかない。
「死ね……」
息を吐き脱すように呟いたその声も、彼らには届いていないだろう。
魔族は、強者を狙ったりしない。そこに獲物がいれば、それに手を出す。瀕死の俺でも十分に囮になれるだろう。そういう性質の生き物だ。
俺を魔族の前に放り出した兵士が、特殊な魔道具によって、転移門を形成する。
「勇者様、今のうちです!」
勇者と呼ばれた少年少女たちは、迷うことなく男の形成した転移門に駆け込んでいった。最後に残された俺とに、魔族が近づいてくるのを見ながら、最後に残った兵士の男は言った。
「すまねえ、こうするしかないんだ……」
そう言って門に消えていく男を見て、もはや声の出ない口でつぶやく。
「(初めから俺のことを何とも思ってなかったじゃねえかよ……)」
近づいてくる魔族を見上げていると、恐怖が浮かび上がってくる。
死にたくない 何で俺が こんな所で 召喚されないほうがましだった
もはや、死を待つしかない俺の前にしゃがみ込ん魔族の瞳に見えるのは、憐れみ?
「アワレダナ。人間ハ、仲間スラ見捨テルノカ」
「(うるせえよ、てめえのせいだろ……)」
まさか唯一俺を憐れんでくれたのが、人類の敵であるはずの魔族とは。何とも傑作だ。こんなクソな人生。認めるのは、人間にとってのまさに悪である者だけか。
「スグニ死ナセテヤロウ」
俺の体を持ち上げ、胸の前に爪を構える魔族の姿に、俺が、最後に漏らしたのは、
「死に…たく、ねえ……、よ……」
という何ともかっこ悪いせりふだった。
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そんな、この世界に召喚されてからの、俺であって俺ではない誰かの記憶が、流れ込んできた。同時に、ローガンの残した、俺のスキル、“業”と呼ばれる、それの力も。
ただひたすらに、何度死んでも甦る空間で、遅いくる敵と戦い、その強さが認められるまで、死に続けるという何とも狂ったスキルだ。これなら“業”と呼ばれるのもうなずける。いや、精神も壊れないから狂えないのか。
「つくづく、ついてねえな、月華」
俺と同様に巻き込まれてしまった月華はまだ幼い。それでも、俺と一緒に戦えというのが神様の言いたいことだろう。
「まあ、死ぬまでやってみるか」
元の世界に戻ってきて、復讐を終えて、全力で生きて、そしてもう一度死ぬまで。