12:旅立ち
「この世界には、三柱の神など存在しない。いるのは、この世界を遊戯の盤上とする神と、それに力は劣りながらこの世界の安寧を目指した一柱の神だ。たったの二柱。それがこの世界に存在する神の数だ。この世界を遊戯ととらえて人々を駒として遊戯を楽しむ神を、仮にここで『遊び神』と名付けよう。遊び神とて、争いを巻き起こしたり、人々の輪の中に入りその和を乱し、その様を楽しんだりすれど、人々が滅ぶようなことはしない。せっかく長い年月をかけて育ててきた玩具だ。簡単に崩すことを望んだりしようはずがない。けれど、人間とは、いや生命とはどこまでも度し難い。神の思う以上に、深い争いと、憎しみの輪廻を築いてしまった。神とて、強大な力をもてど万能ではない。遊び神には、もはや戦いを穏和に止めるすべはなかった。そこで力を貸したのが、私や君に力を与えた神だ。我らが神は力劣るがゆえに知恵には長けていたようだ。そして生み出されたのが、贄、君たちの言うところの怪獣だ」
時に、と男はトーリのほうに話を振ってくる。
「君は、創世神話について聞いたことはあるかね」
それに頷きながらトーリは答える。思い出すのは、ラローナの話を聞いていた時に感じた違和感だ。
「軽くな」
「そうか。では、違和感を感じなかったか?」
確認するように訪ねてくる男に、トーリもまた自分の感じた違和感を思い出しながら答える。
「違和感は多かったな。なぜ亜人がこの世界に対する異物なのか、とかな」
そう答えると、男は興味深そうにトーリを見つめた。
「なるほど、君はそこに違和感を感じたのか。しかし、その点はあながち間違いでもない」
「なに?」
予想外の答えに鋭く問い返したトーリに、男は説明するように言葉を重ねる。
「あってもどうということのない程度だが、異物であることに変わりはない。違うのは、神々がそれを排除しようとした点だ。その言い伝えのせいで亜人は人々から疎まれ、迫害を招いているのだ」
そこで気を取り直すように男は咳払いをする。
「話がそれたな。とにかくまあ、亜人が異物という与太話は、怪獣の出現に対する適当な理由づけだ。実体は全く違う」
そこでもったいぶるように間を置く男に、じゃっかんイラッとしながらトーリが言う。
「もったいぶらないで話せ。俺は聞かなくてもいいんだ」
「本当にそうかな?まあいい。あれはな、この世界への。恒久的な脅威の解放だ」
自分が話の続きを聞きたがっていることを気づかれていると感じ、不機嫌そうに男の説明を聞いていたトーリは、予想外の男の言葉に固まった。
「脅威の恒久的解放?」
その言葉に、男は手を広げ、この世界そのものを指し示すかのように天を仰ぐ。
「なぜ、人々は争うと思う?それは、自らの身の安全が守られているからだ。常に怪獣という脅威におびえる世界において、小規模なせめぎ合いはあれど、どちらかが滅ぶような争いはほとんど起きない。それがこの世界であり、そこに生きる人々の醜い点だ。同時に、今現在まで人々を生きながらえさせてきた性でもある」
そこまで言い切った男は疲れたように息を吐く。
「ここからが本題だ」
「この世界には、人々の伝承にすら残らない太古の昔、怪獣などとは比較にならない脅威が存在した。我らが神を上回り、遊び神と同格の力を持つ存在がな」
「それがあのお前にも支配できない怪獣を生み出したってのか?」
先を急ぐように訪ねたトーリに、男は手をかざして止める。
「そう急くな。私にもペースというものがある」
再び一度息をつくようにした後、男は再び話始めた。
「その存在の名は邪神。わかりやすく我らの世界の敵というわけだ。その力はあまりにも強大、ゆえにこの世界の存在は遊び神ですら太刀打ちできなかった」
「何だと?さっき同格の力だと」
とっさにそう口をはさんだトーリの言葉を見透かしていたように男は続きを口にする。
「邪神が一体だったらな。正確には邪神族。十体の主神とそれに従う神が数千体。立った一柱で太刀打ちなどできようはずもない」
「しかし、この世界にはもう一柱関与する存在があってな。何者かはわからぬが、神よりも強大な力を持つそれが、人間やそのほかの種族に力を与えた。結果発生したのが古の大戦。すでに伝承には残っていないが、その影響は今も残っている。人間やそのほかの種族に時におきる英雄と呼ばれるものの誕生。そのほとんどはその時に与えられた力の残りだ」
そこまで言うと、男は深い深い息を吐いた。
「さっきから息を吐いてどうした?」
トーリがそう尋ねると男は苦笑気味に返す。
「二百年も生きれば年も取るさ。本来なら人としては死んでいる身だ。今はかすかに残る力を糧に生きているに過ぎない」
(なるほど、それで弱体化とか言ってたのか)
先ほどの男の思わせぶりな言葉に何か気になるものを感じていたトーリはそれで納得した。勿体つけて呼び出された割には三大葬士とやらの力はしょぼかったのだ。
「ここまで聞いて貰った上で、君にこれからを託したい」
「何を?」
トーリが静かに聞き返すと、男はその瞳を見つめ、静かに答えた。
「この世界をだ。この世界には邪神と呼ばれる存在が再び目覚めようとしている。そうでなくても人間は争いを巻き起こす。その行く末の一端を、君にも託したい。この力とともに」
男が言うとともに、男の体から光の粒子が立ち上る。立ち上った粒子はやがて集まると、一本の剣となった。
「ファントムソード。神の使途に神が与える剣だ。もちろん私に関しては、だがな。私にとっては無用なものだったが。何せ戦いのほうはからっきしでな」
空中にとどまっていた剣は、やがて静かにトーリのほうに飛んできた。トーリは迷うことなくその柄をつかむ。危険だ、未知のものだという考えは浮かばなかった。剣に呼ばれている気がしたのだ。もしかしたらそれこそ神の力なのかもしれない。
剣をつかむと同時にその剣が消え、代わりに半透明の様々な武器が体の周囲を取り巻くように浮かぶ。
「これは…」
「それがファントムソード。君が望んだ時にだけ現れる。その剣はもう君のものだ」
そういうと同時に男は倒れこんだ。
「おいっ!」
慌てて駆け寄ったトーリが抱き起すと、男は楽しそうに笑った。
「何がおかしい?」
トーリがそう尋ねると、男はせき込みながらもこたえる。
「これが…笑わず…に…いられる…ものか。散々誤ってきた人生…その、最後、の、選択は、間違っていな…かった…と思うとな」
男に何かを言おうとするトーリの腕をつかみ、真剣な顔に戻った男は言う。
「この世界を頼む。人が…人で、生き…られる、ように…」
そういった男は、静かに眠るように目を閉じる。直後男の体が朽ちるように消える。後に残されたのは、託されたことの実感のなさに戸惑うトーリだけだった。
________________________________________________
怪獣の襲撃から三日。あの日の被害は、結局街には出なかった。多くの冒険者が身代わりとなり怪獣をひきつけ、街に近寄らせなかったのだ。騒ぎになっているのは、大きな被害を受けた冒険者ギルドと街の自衛組織だけで、他の部分では、それまでと何ら変わりのない生活が続いている。
「人が死んでも、世界は変わらず、か」
俺もまた、この三日間は大変だった。主に心の整理という点でだ。男が死んだ直後に、あの男の記憶が流れ込んできた。物理的にというわけではないが、それが表現として一番しっくりくるだろう。二百年と男が言った機関の、全ての記憶が、俺の心に焼き付けられたかのようだ。すべての場面を見たわけではないのに、何が起きたかは心が知っている。
何を託されたのかも、まだ正直わかっていない。ただ、何が言いたかったのかは分かった。あの男は、俺にある種の英雄になれ、と言っているのだろう。いや、英雄というのとは違うかもしれない。ただ、大きな力を持ったものとして、今度は俺自身の意志でこの世界に生きろ、ということだろう。
男が、俺に人間を救ってくれとも、争いをとめてくれ、とも頼んだわけではないのはわかる。それなら、初めからあいつが自分でやっている。
「何かしろ、つっても、まだ何がしたいことかも決まっていないしな。ひとまず、この世界を見て回ろう」
この世界に生きるというのなら、この世界を知らないといけない。そして俺がこの世界に何を感じるのかを。この街にこれ以上用事があるというわけでもない。旅に出るには身軽すぎる身だ。
「勇者共にも話しかけておこうかと思ったんだが…。まあまた次の機会とするか」
せっかく話しかけてみようかと思ったものの、今回の戦闘で何名か負傷者が出た勇者連中は先に王都とやらに向かってしまった。
「さて行くか」
街の復興を眺めていた屋根の上から、《瞬動》と心の中に呟く。一瞬後には街の門の外に俺は立っていた。
「何回使っても飽きないな。まるでガキみたいだ」
かすかに自嘲する。奴から与えられた能力だ。それはつまり俺に託された能力である。だった存分に使って構わないだろう。
傍らに突き立っている剣を抜き、それを消す。腰には刀、背中には地図とわずかばかりの食糧の入った袋。服装はいつも通りの軽装。月華はすでに先に行っている。いつまでも待たせてはいられない。
「新しい景色に出会う旅。いいな、心が躍る」
目的地は神の残したといわれる迷宮の一つが残る街、《シドン》。近場から選んだものの、十分に楽しむことができるだろう。
頭上に広がる青空を見上げ、やがて歩き出す。この世界にやってきて、俺の旅は、今真の意味で始まったといっていい。
この世界を楽しんで、いろんなことを知って、そして生きる。目の前に広がる世界の広さに心ふるわせたのはいつ以来だろうか。そんなことを考えながら、俺の旅は始まった。
あと一話でひと段落です。




