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弐拾六 悪夢の総力戦! 俺の拳は100万ボルト!

弐拾六 悪夢の総力戦! 俺の拳は100万ボルト!

 その夜、刹那の部屋に忍んで来る人影があった。

「誰だ?」刹那は言う。

「僕だよ兄さん……」

 人影は弟の黎明だった。

「どうしたんだ、眠れないのか?」

「話があるんだ兄さん……」

 黎明はベッドに腰を下ろした。

「何だ話とは」

「あの女の事だよ、兄さんっ!」黎明は叫ぶ。

「あの女、ユミと兄さんの関係の事だよっ!」

 刹那はソファーから立ち上がるとベッドに近付いた。そして黎明の隣に腰を降ろす。

「何だ黎明、妬いているのか?」

 刹那は酷薄な笑みを浮かべる。

「僕は本気で言ってるんだっ! ちゃんと答えてっ!」

「馬鹿な奴だ。俺が本気で愛しているのは一人。黎明、お前だけだ」

「だったらどうしてあんな女と……」

「俺達の関係を周りに知られる訳にはいかない。俺達は男同士、それも兄弟なんだぞ?」

「で、でもっ! 僕、兄さんがあの女とくっ付いているのを見るのが辛いんだっ! あの女が兄さんの身体に触れるのが許せないんだ。それにさっき迄あの女とそのベッドで……」

 黎明が顔を背ける。

「恋人同士の振りをする為だ。それにたまにはあの女も満足させてやらないと何をするか解らん。女の性とは欲深いものだからな」

 刹那がフフッ……と笑いを漏らす。

「僕はもう耐えられないっ! 兄さんとの関係もこれまでだっ!」

 黎明はベッドから立ち上がる。そしてドアに向かって歩き出す。

 だが、その手は刹那の腕に力強く掴まれていた。

「は、離して兄さんっ……!」

 刹那は腕を力強く引っ張る。黎明の身体はベッドの上に勢い良く仰向けに倒れる。

「な、何をするの兄さ……ンッ……ウッ……」

 黎明の唇は刹那の唇に塞がれていた。

「ン……プハッ……やめて兄さん……」

「黎明、お前は俺のものだ」

 刹那の手が黎明のシャツを引き裂く。

「や、止めて兄さんっ! あの女が寝ていたベッドでなんてっ!」

「フフッ……。そんな事を言って何だこれは?」

「あぁっ! や、止めて兄さん。そ、そこは……」

「嫌といいながらあの女の匂いの残るベッドで、己も組み敷かれる屈辱的な興奮を感じているんだろう? お前のエクスカリバーは既に抜き放たれているぞ?」

 そう思っていると突然刹那は黎明の見ている前でツナギのホックをはずしはじめたのだ……!

 ジジー。

「やらないか」

「アーッ!」

 その時だった。

 黎明の右手に隠された能力が発動されたのは。

「お、収まれ俺の右手っ……!」

 黎明が右腕を押さえている。その右手の甲には古代魔術で使用された古の文字が、青白く浮き上がっている。

「れ、黎明っ!」刹那が叫ぶ。

 だが黎明の右手に浮かぶ古代文字は益々光を強くして輝く。

 右手の能力を発動する訳にはいかなかった。何故なら発動したら最後、黎明でさえも制御する事は不可能な能力だったからだ。

 そう、その右手に宿る力は時空すら超越する力なのだった……。

 かつて古の時代に恐るべき魔術が栄えた国家があった。その魔術は現代の科学をもってさえ解明する事の出来ない、人類史上最も強力な文明と言って良かった。

『高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない』

 その言葉通りその魔術は恐るべき科学を発達させたものだったのかもしれない。だが現代の科学を超越したその力は、最早魔術としか形容出来ないものであった。

 その古代国家は繁栄を極めた。食料、住居、安全、その全てが最高水準を保つ国家だった。夏でさえ住居は秋の様に涼しく、冬でさえ住居は春の様に暖かだった。人々は労働する事さえ必要とせず、美食に更け、歌い踊って過ごした。これは人類史上、最高水準の文化だった。

 しかし人々は最高水準ゆえにその先を求めた。

 既に地上の全てを人々は治めていた。だが一つだけ人々がまだ未知の領域と思うものがあった。

 それは時間だった……。

 人々は国家を上げて時間を超越する事を望んだ。それは未知の領域は踏破しなければ気が済まない一種の宗教と言ってよかった。国家予算の一割がつぎ込まれた。それでも研究は難航した。次に二割。次に三割……。最終的には国家予算の七割が消費された。

 その頃には既に国家は破綻していた。人々は飢えに苦しみ、疫病が流行り、人心は荒廃していた。だがそれ故に研究を進めなければならなかった。何故なら未来にこそ人々を救う答えがあると信じていたからだった。

 研究は成功した。だがそれは人々が死に絶える一歩手前の状態だった。僅かに残った人々の前で指導者は叫んだ。

 この力のお陰で我々は生き残る!

 時間を超越する事によって我々は輝く未来へ飛び立つのだ!

 指導者は力を起動した。

 そして人々は滅びた。

 何が起きたのかは記録に残ってはいない。だが古の国家は歴史から消えた。古の国家が作り上げた文明は全て滅び去った。いや文明の残滓を我々が知らずに引き継いでいるのかもしれない。

 だがっ……。

 もし遥か未来の世界に、古代の人々が移り住む事が出来ていたのだとしたら?

 そして時間を超越する力をまだ保持しているのだとしたら?

 舞台は黎明が幼少の頃に遡るのだが、今はまだ語るべき時ではないだろう……。


27

「フフッ……。また叙事詩の新しい一ページを綴ってしまった」吉田が言った。

「僕の綴った展開をちゃんと引き継いでくれたかね?」僕が尋ねた。

「言わずもがな……。暗黒の神の啓示により恐るべき展開を綴ってしまったばかりだよ」

 吉田はニヤリと笑った。

 非常に嫌な予感がした……。

 いつの間にか年が明けていた。

 元々は年末に向けて作品を仕上げる予定だったのだが、予定は未定のまま延びに延びて今に至っていた。

 決闘による和解から僕達はまた共同作業をする事になった。だがその方法は僕と吉田が持ち寄った原稿を上手く融合させるというもので、吉田が染め上げた叙事詩を僕がまた自分の色に染め上げていくという形だった。その勢力争いは常にレーニン亡き後のトロツキーとスターリンの如く苛烈を極めた。

 そしてそこに白鳥さんがイラストを付けるのだが、白鳥さんもイラストと入れて欲しいシチュエーションとセリフを持って来て、それをどちらかが文章化する事を要求した。その黒き欲望の炎が垣間見えるイラストとセリフは、僕と吉田どちらにとっても言葉を紡ぐのに塗炭の苦痛を与える作業だった……。

「クククッ……。我が叙事詩が完成に近付いている。禍々しき古代文字が織り成す教典が強大なる魔力を得て脈動するのを感じる。そう……」吉田は言った。

「この叙事詩が世界を席巻した後には、我が帝国の版図は世界の版図と等しき存在となるのだっ!」

 吉田はカッと目を見開いた!

 その間に僕達は科学準備室の片付けをしていた……。

 元々は健太が吉田に命じられて片付けをしていたのだが、白鳥さんが加わってからは、白鳥さんも片付けを手伝う為、僕も嫌々ながら片付けの手伝いをするようになった。

 だがっ……。

 吉田は一度も手伝う事が無かった!

「片付け終わりましたっ!」白鳥さんが叫んだ。

「ご苦労……。それでは今日の魔宴(黒ミサ)は終演とする」

 僕達は一緒に科学準備室を出た。そして教室のある棟に続く廊下に向かった。

「もう少しで完成ですねっ! 頑張った甲斐がありましたねっ!」

 白鳥さんは手に持っている、原稿の入ったクリアフォルダを見詰めていた。

「フフッ……。年末のワルプルギスの夜には間に合わなかったが、先祖の霊が戻りし季節に行われる集会ギャザリングには十分間に合う……」

「私、頑張りますっ! 精一杯お手伝いさせて頂きますっ!」

 白鳥さんの目はキラキラ輝いている。

 結局、僕は白鳥さんを救えなかった……。

 このままでは次の集会で、白鳥さんも魔女の仲間入りをしてしまうのだ!

 廊下に着いた。

「それでは皆の者。散……開っ……!」吉田が言った。

 僕達は白鳥さんを残してバラバラに分かれた。

 叙事詩を綴るギルドの関係はここまで……。

 此処から先、一緒に居るところを見られこの魔宴(黒ミサ)の事を知られる訳にはいかない。白鳥さんはいつも何故バラバラに帰るのか理解出来ない様だったが、僕にとっては吉田と一緒に居る所を見られるのは嫌だったし吉田にしてもそうだったろう。

 僕等はてんでに別の廊下、別の階段に向かった。

 いつもはこのまま分かれて教室に戻り、それぞれ帰宅するのが常だった。

 だが今日は違った。

「あら、白鳥さんこんな所で何をやっているの?」

 担任の中年女性の声だった……。

 僕と健太は廊下の影に隠れながら覗き見た。担任と白鳥さんが向き合っていた。

「先生こんにちはっ! 今帰るところですっ!」

 白鳥さんは一礼した。

「あらそう? こんな所に何か用があったの?」

「い、いえっ……! たまたま通り掛っただけですっ……!」

「それならいいんだけれど……。最近こっちの特別室に生徒がたむろしているって聞いてるのよ。白鳥さん何か知らない?」

「えっ!? あの……その……」

 白鳥さんが担任から目を逸らしていた。

 何か嫌な雲行きになっている気がした……。

「何か知っているの?」

「あの……その……」

 嘘の吐けない白鳥さんらしく、知らないとは言わずゴニョゴニョと言葉を濁していた。

「何なのっ!? 知っているのっ!?」担任が苛立たし気に問い質す。

 ヤバイ、担任が能力を発動しようとしている……。

 それは僕や健太が宿題を忘れた時によく見せる、狂戦士バーサーカーへの変貌メタモルフォーゼだ!

「何なのっ!? ハッキリしなさいっ! 先生を馬鹿にしているのっ!?」

「あ、あの……その……」

 白鳥さんは恐怖に身を竦めている。

 どうすれば……。

 担任の中年女性は一度能力を発動してしまうと、元々の目的を忘れ殺戮本能だけの恐るべき狂戦士と化す。その凶暴性は例え無関係だろうと目に入る人間全てに向けられ、その能力が消える迄には幾多の人間のおびただしい血が流される。

 一番の対処方法はとにかく逃げるか、黙って口を閉じ目を合わさない事なのだが、魔物と遭遇する機会の少ない白鳥さんがそれを知っているとは思えなかった。その証拠に一番やってはいけない選択肢、曖昧な返事を繰り返してしまっていた。

「な、なな何なのっ!? ふ、ふふふざけないでよっ! せ、せせ先生を馬鹿にしているのっ!?」

 ほ、本当にヤバイ!

 担任がどもり始めていた。目の焦点が何処を見ているのか解らない。

 こうなるとこの担任は本当に何をするか解らないのだった。体罰だけはしないという掟に縛られている様だが、いきなり机を引っくり返したり、いきなり窓から人のバッグを投げ捨てたり、行動がメキシコのルチャドール並の四次元殺方になるのだ。女子相手にこうなったのは初めて見たのだが……。

 僕は意を決して飛び出した!

「どうしたんですか先生?」

 その前に声がした。それは吉田だった。

 担任が吉田に振り向いた。

「な、なな何なのっ!? ふ、ふふふざけないでよっ! こ、こここんな時間に何をしているのっ!?」担任は言った。

「せ、せせ先生を馬鹿にしているのっ!? い、いいい言いなさいよっ!?」

 吉田は担任と白鳥さんの前に近付いた。そして立ち止まった。

「な、なな何なのっ!? ハ、ハハハッキリ言いなさいよっ!」

「はい、こっちの空いている教室で自習をしていました」吉田は言った。

 吉田は臆する様子も見せなかった。

 視線が一瞬向こうの僕と合った。

 僕は廊下の陰に隠れ直した。何故かその時、吉田の目が下がっていろと言っているのが解ったのだ。

「な、なな何なのっ!? あ、ああ貴方勝手に教室を使っていいと思っているのっ!?」

「すいませんでした。もう使いません。以後気を付けます」

「な、なな何なのっ!? あ、ああ謝って済むと……」担任は言った。

「もしかして白鳥さん。貴方も吉田さんと一緒に居たの?」

 担任のどもりが消えた。

 白鳥さんの身体がビクッと震えた。

「あ、あの……その……」

「白鳥さん、はっきり答えて頂戴。貴方と吉田さんだったの? いつも特別室にたむろしていたのは?」

 白鳥さんは恐怖に身を震わせたままだ。

 担任のどもりが消えた時……。

 それは能力の第二段階の変貌メタモルフォーゼだった!

 こうなると今度はネチネチとした細かい事を執拗に問い質すようになる。そして一度相手に喰らい付くと、バッファローを仕留めるアナコンダの様に、身体を締め上げて骨をバラバラに砕いてからジワジワと飲み込んでいくのだ。

「先生は貴方達の事を心配して尋ねているのよ?」

「先生、白鳥さんと私は関係ないです」吉田が言った。

「吉田さんは少し静かにしていて? 白鳥さんに尋ねているから?」

 担任は吉田に慈愛に満ちた笑顔を向けた。

 それは古代遺跡に祭られる邪教の神が浮かべる笑みだった……。

「白鳥さん? 先生、貴方達の事をとっても心配しているの。二人とも来年は高校受験なんだし……」担任は言った。

「それに白鳥さん? 白鳥さんは来年、とっても入試の難しい高校を志望しているわよね。推薦入試を希望していたんじゃなかったかしら?」

 白鳥さんの顔に恐怖の表情が映った。

「あ、あの……その……」

「だから先生とっても心配しているの。白鳥さんも今まで学校生活頑張ってわよね? 私達の学校から、白鳥さんの志望校に進む生徒が出るのはとっても嬉しい事だわ。でもちょっとした事で生活が崩れてしまう生徒は沢山居るの。先生はそのちょっとしたサインを見逃しちゃ駄目だと思うの?」

「先生、白鳥さんと私は関係ないです」吉田が言った。

 担任は吉田に目を向ける事は無かった。

「だから先生に正直に話して貰えるかしら? ……あら白鳥さん、手に持っているのは何?」

 担任の視線が白鳥さんの持つクリアフォルダに注がれた。

「ちょっと見せて貰える?」

 白鳥さんの身体が瘧に掛かった様にガタガタ震えている。その目からは今にも涙が零れそうだった。

「だ、だめ……です……」白鳥さんが呟いた。

「先生、白鳥さんと私は関係ないです」吉田が言った。

「先生、白鳥さんのご両親はとても立派なご両親だと思うわ。白鳥さんもご両親の期待に答えて上げないとね。ご両親のがっかりする顔は見たくないでしょう……?」

 白鳥さんの手がブルブル震えながら持ち上がった……。

 手には僕等の叙事詩が収められているクリアフォルダが握られている。

 クリアフォルダが担任に差し出される。

 担任の表情は全てを包み込む様な優しい笑顔で、それ故に見ている僕達には背筋に冷たいものが走る笑顔だった。

 担任の手がクリアフォルダを掴んだ。

 その瞬間……。

 吉田の身体が担任と白鳥さんの間に突進した!

「ギャッ!」担任が悲鳴を上げた。

 担任は突然割り込んできた物影に目を丸くして驚いた。白鳥さんも驚いていた。吉田はそんな二人に構う事無く、担任の手にあるクリアフォルダをひったくった。

 そして廊下の窓まで走った。

「よ、吉田さんっ!」担任が叫んだ。

 吉田は窓を勢い良く開けた。

 そして持っていたクリアフォルダを……。

「や、止めなさいっ!」

 思い切り窓から放り投げた!

 三階の窓から放り投げたクリアフォルダは投げた瞬間に原稿が零れ落ち、その白い紙はバサバサと大きく広がりながら下に落ちていった。その光景はノルマンディー上陸作戦を成功させた兵士の帰還を祝う、ニューヨーク五番街を一杯にした紙吹雪の様だった。

「よ、よよ吉田さんっ!」

 吉田は窓を閉めた。そして何事も無かったかの様に振り向いた。

 呆気に取られていた僕と目が合った。

 その目は何かを僕に伝え様としていた。

 そ、そうか……。

 その瞬間吉田が何を言おうとしているのかが解った。僕は廊下を走ると階段を飛ぶ様にして降りていた。

「な、なな何なのっ!? よ、よよ吉田さんっ! な、なな何なのっ!?」遠くから担任の叫び声が聞こえて来た。


28

 僕と健太は教室で吉田が戻って来るのを待っていた。

 机の上にはクリアフォルダに収められた原稿がある。

 吉田が原稿を窓から放り投げた瞬間、僕と健太は急いで階段を降りて玄関に向かった。そして急いで上履きを履き替えて外に飛び出すと中庭に向かった。

 中庭には原稿が散乱し芝生の緑に白色が映えていた。

 僕と健太は大急ぎで原稿を回収に掛かった。

 幸い地面は乾いていて原稿が痛んでいる事も無かった。それでも何枚かは土の汚れが付いていたが大して気になる程でもなかった。

 それよりも僕等は急いで回収する方に神経が向かっていた。

 それは誰かに僕等の行動を見られて、何をしているのかと尋ねられるのを恐れていたのと、担任が僕等の様子を覗いたり、此処にやって来る迄に回収しなければならなかったからだ。

 今、担任に見付かったら、最悪の鬼人化を遂げるのが予想された……。

 誰からも見付からずに原稿を回収すると僕達は教室に戻った。

 教室には白鳥さんが居た。

 自分の席に座り僕達が入ってきた事にも気付いていない様だった。

 その顔は真っ青で身動き一つせず机の上の一点を見詰めていた。

 無理も無い……。

 白鳥さんの様な高貴なお方が、あの様な人外に出会ってしまっては!

「御加減は如何ですか?」僕は言った。

 白鳥さんは振り向いた。

 真っ青な顔のまま何か言おうとしても言葉が出ない様子だった。

「ご安心下さい。あの狂戦士バーサーカーも此処までは追って来ないでしょう。それに原稿も無事に回収してほら此処に……」

 僕が差し出したクリアフォルダに白鳥さんは手を伸ばした。

 フフッ……、どうですか白鳥さん……。

 この慎重で且つ迅速な対応は!

 だが白鳥さんは手を伸ばしたままクリアフォルダを受け取る事は無かった。そして手を戻すと黙ったまま机の上に視線を戻した。

「白鳥さん……?」

 白鳥さんは何も答えなかった。ジッと机の上に視線を落としたままだった。

 少し気まずいものを感じて僕と健太は自分の席に戻った。

 どうせ吉田もその内戻って来るだろうし、先に帰ろうと思っていたのだが、白鳥さんが帰らないので僕達も成り行きで待つ形になってしまった。

 僕達は特に喋る事も無く吉田が戻って来るのを待った。


 教室に人影が見えた。

 吉田だった。

「流石、我がしもべ達……。僕が此処に戻って来るのを察知していた様だな……?」

 吉田は少し足を引き摺りながら自分の席に辿り着いた。

「それが我ら闇の住人の不思議な習性。闇の人間は闇の人間と引かれ合う……」僕は答えた。

 吉田は難儀そうに椅子に腰を下ろした。

 まぁ、荷物を教室に置いたままだから此処に来たのだが……。

「ところで我が叙事詩を綴りしパピルスは何処に……?」

「安心したまえ、僕等が無事此処に回収している」

 吉田は僕の掲げたクリアフォルダを見て、安心した様に背凭れに体重を預けた。

「それにしても随分と絞られた様子……。想像するに恐るべき魔女裁判が行われたと想像するが?」

「クククッ……。中世の暗黒時代を生き抜いた僕にあの程度の拷問は生温い。僕にとってはどきどきする魔女神判の如き児戯に等しいっ!」

 それはそれで問題があると思うが……。

 吉田は椅子に座ったまま足をブラブラさせていた。

「察するに石抱きの拷問かね?」

「御名答……。あの野蛮人はこの手の拷問を好むからな」

 石抱きの刑……。

 それは江戸時代の日本で行われた恐るべき拷問で、三角形の木を五本並べた上に正座させ、膝の上に重石を積み上げる拷問である。担任の中年女性は殴る蹴るといった体罰はしない変わりに、その石抱きの刑を現代に蘇らせた。その為に気に食わない事があると、廊下で正座を三十分ぐらいさせるのはザラにある出来事だった。

 こっちは足の痛みと痺れで拷問としか思えないのだが、担任の中ではこれは体罰ではなく教育という事になるらしかった。

「それにしても行動し辛くなったな。暫くあの教室は使えなくなりそうだ」僕は言った。

「何、場所などいくらでもある……。いざとなったら街の図書館で行うという手もある」

 それだけは勘弁だった……。

「おい、白鳥っ!? 君も何か良い案はないかねっ!?」吉田が言った。

 白鳥さんが身体をビクッとさせた。そしてゆっくりと立ち上がると吉田の席の前に立った。

「どうしたのだ白鳥? 顔色が悪いぞ?」

 白鳥さんの顔は真っ青のままだった。

「わ、私……、」

「どうした……?」

 白鳥さんは吉田の顔を見詰めながら何か言おうとしていた。だが声を出そうと口を開く度にまた口を閉じてしまった。そしてその動作を何回か繰り返すと……。

 白鳥さんは教室の外に突然駆け出して行った。

 机には白鳥さんの通学バッグが置かれたままだった。

「どうしたんだ、あいつは?」

 吉田は不思議そうな表情を浮かべていた。

「何、白鳥さんにとっては魔物との実戦経験は恐らくこれが初めて。まだその恐怖が心に残っているのだろう……」

「フフッ……。新兵にとっては些か刺激の強すぎる実戦経験だった様だな?」

 吉田はニヤリと笑った。

「僕にも覚えのある出来事だ、今日は一人静かにして置くのがいいだろう」

「新兵の経験の一つか……。奴にはまだまだ教育が必要な様だな。ならば僕は喜んでキューブリック的な鬼軍曹になるとしよう。分かったか、ウジ虫どもっ!」吉田は叫んだ。

「「Sir, yes, sir!(サー・イエッサーッ!)」」僕と健太が叫んだ。

 なんて事だ、また白鳥さんに試練が!

 僕達は白鳥さんを置いて教室を出た。そしていつもの様にバラバラに家に帰った。

 でもこの時……。

 魔物との戦いで、白鳥さんが僕等が思う以上に、ダメージを負っていた事は想像していなかった。


29

 翌日、白鳥さんは学校に来なかった。

 僕が登校して来た時は最初気付かなかった。それは白鳥さんの机には通学バッグが掛かったままで、てっきり登校して席を外しているだけだと思ったからだ。

 どうやら白鳥さんは昨日あれから戻って来なかった様だった。

 朝のホームルームが始まると、担任が今日は白鳥さんは休みだと言った。

 その後、風邪が流行っているから皆も……のような事を言っていた。昨日、己が恐るべき狂戦士へと変貌した事は記憶には残っていない様子だった。

 それ故に恐るべき能力なのである……。

 一日の授業が終わった。

 帰りのホームルームになった。

 担任が色々注意事項を言って、終わりの様相が漂い始めていた。

「誰か白鳥さんの荷物をお家まで届けてくれる人は居ないかしら?」担任が言った。

 担任が手に持った通学バッグを上に掲げた。

 誰も手を挙げる物は居なかった。

「誰か白鳥さんの荷物をお家まで届けてくれる人は居ないかしら?」担任がもう一度言った。

 それでも誰も手を挙げなかった。

 前から感じてはいたのだが、白鳥さんは誰にでも好かれる割には、特別に仲が良いという特定の人間は居なかった様だった。

 それに白鳥さんの自宅のある辺りでは、僕達の様に公立の学校に通う生徒は稀で、大抵は私立に通っている印象があった。だから白鳥さんの家に特別近い生徒も居ないのだった。

 皆、自分はその役目には相応しくないという雰囲気を醸し出していた。

「誰も白鳥さんのお家まで届けてくれる人は居ないのっ!?」

 担任がイライラし始めているのを感じた。

 それでも誰も手を挙げなかった……。

「しょうがないわね……。先生が行く事にするわ……」

 担任が通学バッグを下ろした。幸い今回は能力の発動は無かった様だ。

 だが昨日の惨劇の後に、当の魔物が自宅に再度の襲撃を加えるのは……。

「私が行きます」声が聞こえた。

 クラス中の視線が声の主に注がれる。クラス中の生徒の表情が驚きに変わった。

 何故ならそれが吉田陽子の声だったからだ!

 担任も驚きの表情を浮かべたまま動きを止めている。

「あ……、あらそう? それじゃあよろしくお願いね……」

 帰りのホームルームが終わった。


 僕と健太は校門を出ると前方に吉田の姿があるのを認めた。

 その十メートル後ぐらいを付いて行く。

 だがこれはストーキングしている訳ではない……

 何故後を付いて行くか?

 それは吉田の指示によるのものだった。

 ホームルームが終了した瞬間、僕の目に吉田の指のサインが目に入った。三本……。二本……。これはいつもの化学実験室に集合という合図だった。

 だがちょっと待って欲しい!

 現在、化学実験室を使用するのは担任の監視のせいで難しい状態になっている。それならばこのサインはどのような意味か? 答えはすぐに解った……。

 それは白鳥さんの家に集合という意味だった!

 おそらく一人で行くのが心細いのだろう。その気持ちは僕にも解る。だが解らないのはどうして吉田の様な人間が誰も行こうとしなかった白鳥さんの家へ、わざわざ挙手して迄行く気になったのかだった。

 陰謀の匂いがする……。

 僕と健太は吉田を監視する意味でも付いて行く必要があった。


 以前に来た事のある白鳥さんの家へ着いた。

 白鳥さんの家は相変わらずでかかった。

 吉田は家の正面の門ではなく裏門の方に回った。僕と健太も距離を保ちながら付いて行く。

 吉田が裏門のインターホンを押した。僕達は電柱の陰に隠れる。

『はい、もしもし』

 インターホンの声が聞こえた。吉田がボソボソとマイクに話し掛ける。

 暫くして裏門が開いた。

 そこには白鳥さんの御母上と傍に妹君の姿があった。

 妹君は相変わらずスラックスにベスト、そしてジャケツという姿だった……。

 吉田が白鳥さんの通学バッグを御母上に渡すと、御母上の『まぁ、上がって行って頂戴っ!』という声が聞こえた。

 まずい。御母上の姿が中に消え、吉田の姿も中に消えようとしている。出て行くタイミングを逃してしまった……。

 これでは本当に不審なストーカーではないか!

「其処に隠れている者、出て来なさい」妹君が言った。

 吉田もこちらを振り向いた。

 ハッ、ばれていた!

 僕と健太はいそいそと電柱から姿を現した。そして何食わぬ表情を作って吉田と妹君に歩み寄る。

「こんにちはマドモアゼル! 奇遇ですね、偶然帰宅の途中に出会うなんて?」

「どうやら貴方は付けられていた様です」妹君が言う。

「これは失敬……。背後には十分気を付けているつもりでしたが中々どうして。世の中には思いも寄らぬ不埒な輩がいるもの……」吉田が言った。

 お、お前が付いて来いというサインをしたから来たものを!

「ち、違うのですマドモアゼルっ! 私は白鳥さんのお見舞いに来たのです。き、君からも説明してくれ給えっ!」

 吉田はニヤニヤと笑うばかりだ……。

「し、信じて下さいマドモアゼルっ!」

「不審な行動をしていたとはいえ、お嬢様のお見舞いとの所用。無下に帰す訳にもいきますまい」

「そ、それではっ……!」

「ですが屋敷内での行動は、僕が常に見ている事をお忘れ無きよう」

 妹君は屋敷の中に戻って行った。

「フフッ……。君、くれぐれも不審な行動は慎んでくれたまえよ?」

 吉田はニヤリと笑った。

 こ、この屈辱……。

 僕は嫌いな秋刀魚のワタを食べる度に今日の出来事を思い出す事としよう!

 健太はアイスを急いで食べ切っていた……。


 暫く僕達は、以前も通された会議室みたいな応接間に座っていた。

 お茶を飲んで待っていると、妹君が白鳥さんの許しが出たと言いに来た。

 妹君に連れられて階段を上り、白鳥さんの部屋まで行った。

「お嬢様は体調を崩されておられます。くれぐれも安静を乱さない様にお願い致します。また長時間の面会はご遠慮願います」

 妹君は廊下の奥に消えた。

 だがその視線が窺っている事を忘れてはいけない……。

「入るぞ、白鳥」

 吉田がノックもしないでドアのノブを回した。

 いきなり開けるなんて……。

 もし着替えの最中だったらどうするのだ!

 僕の視線はドアに釘付けだった。

「むっ……?」吉田が呻いた。

 吉田がノブを回してもガチャガチャいうばかりでドアは開かなかった。

 チッ……。

「白鳥、カギが掛かっているから開けてくれ」

 僕達はドアの前で待った。だがカギが開く音はせず部屋の中から人の気配も感じなかった。

「おい白鳥?」

「開けられません」部屋の中から白鳥さんの声が聞こえた。

「クククッ……。人知れず部屋の中で魔道書ネクロノミコンを開いていたのか? 何、恥ずかしがる事も無いだろう?」

 何の返答も無かった。

「図星の様だな……」

 吉田がニヤリと笑った。

 し、白鳥さんの呪いがそこまで進行していたとは!

 それからまた沈黙が降りた。

「おい白……」

「帰って下さい」白鳥さんは言った。

 その言葉はハッキリと聞こえた。

「もう辞めます。今迄ありがとうございました」

 それ以後また何も聞こえなくなった。

 僕達はジッ黙って立ったままだった。

「そうか」吉田は言った。

 その声は別段怒っている様にも悲しんでいる様にも聞こえなかった。淡々としてあっさりとした言葉で、声色の中には発した言葉以外の意味を感じる事は無かった。

 吉田は扉の前から離れた。そして廊下を進み階段を降り始めた。

 僕達も慌てて吉田の後を追った。

 階段を降りると妹君が待っていた。

「お早いお帰りですね」妹君が言った。

「うむ。白鳥にはくれぐれも御身体に気を付けるよう伝えてくれ」

 吉田は足を止める事は無かった。

 妹君はいつもとは違って絡んで来ない、あっさりした態度の吉田を訝しげに眺めていた。

 裏口に来ると僕達は玄関で靴を履いた。

「まぁまぁ、もっとゆっくりしていけばいいのにっ!」

 御母上が廊下の奥から走り寄って来た。

「いえ、白鳥さんのお加減がまだ優れないようでしたのでお暇致します。お邪魔しました」

 吉田が頭を下げた。釣られて僕達も頭を下げた。

 僕達は白鳥さんの御母上と妹君に見送られながら裏門を出た。

「じゃあな」吉田は言った。

 そしてそのまま早足で歩き去ってしまった。

 僕達も家路へと向かった。


30

 白鳥さんが学校に姿を見せなくなって一週間が過ぎようとしていた。

 僕と健太と吉田は、放課後に集まる事がまた無くなってしまった。

 ホームルームの時も授業中も、白鳥さんの席はポッカリと無人のままだった。

 クラスの皆も白鳥さんに異変が起きているのを感じていた。感じていないのは担任だけだった。

「風邪が流行っているみたいだから皆も気を付けてね」担任は言った。

 最近はお決まりになっているこのセリフで朝のホームルームは終了した。

 白鳥さんが何故学校に来なくなったのか僕にはその理由が何となく解った。それは健太も吉田も解っていたと思う。

 でも僕達はいつもと同じ生活を繰り返していた。それは白鳥さんや吉田と放課後に集まる前の生活だった。


「先生は皆に自分の意思で行動して欲しいって思うのっ!」担任が言った。

 もうそんな季節なのか……。

 ロングホームルームで担任の中年女性が熱弁を振るっていた。

「先生は皆に強制している訳じゃないのっ! 他人に考えを強制する事はいけないことだわっ! でもこの歌の歌詞の意味を考えて欲しいのっ! この歌は……」

 ゲッペルス的というよりはフランクフルト学派といった感じか……。

 僕はぼんやりと担任の演説を眺めていた。

 季節は二月に入ってもうすぐ卒業式を迎えようとしていた。お陰でこの学校の教師による毎年の恒例行事が始まっていた。

 僕には後一年ちょっと卒業迄の時間がある訳だが、余り感慨深いものは感じなかった。恐らく今と同じ調子で生活を繰り返して、近くの公立高校に滑り込む事が出来れば上出来だった。

 でも白鳥さんは……。

 白鳥さんはこんな所で躓くべき人では無かった筈だ。自宅の周辺の人を見習って私立の学校に行っていれば、こんな苦い思い出を作る事も無かったんじゃないだろうか。それを考えると選択肢の間違いで、酷いバッドエンドルートに入ってしまった気がする。

 いや……。

 違うか……。

 別の学校に行っていたとしても何か別の困難はあった筈だ。不幸というのはどんな時代どんな場所にも溢れていて、それに触れてしまうのは只の運でしかない。本人が善人や悪人であるかも関係ない。全ての人間に対して不幸が理不尽に訪れてしまう世界だからこそ、この世界は平等と言えるのだ。

 平等だ……。

 その平等な世界だからこそ僕は生きていける……。

「皆、真剣に考えてっ! これは人権の問題なのっ! 私達には権利があるのっ!」

 ロングホームルームの終了を告げるチャイムが鳴った。

 結局、担任の演説で終わってしまった。


 帰りのホームルームが終了すると担任に呼び止められた。

「少し時間をいいかしら?」

 どうやら僕だけではなく健太も一緒の様だった。

 その場に立ち尽くしていると担任は別の席に向かった。

 それは吉田の席だった……。


 僕と健太と吉田は、生徒相談室の革張りのソファーで横に並んで座っていた。

 目の前のソファーには担任が一人座っていた。

「先生、君達に聞きたい事があるの?」

 担任の表情はもの凄く真剣だ。

「実は白鳥さんの事なんだけれど、どうやら休んでいるの病気が理由じゃないみないなの……」

 次にとても悲しそうな表情に変わった。

「君達、最近白鳥さんと仲が良かったって聞いたんだけれど、何があったか教えてくれないかしら?」

「何もありません」吉田が言った。

「先生、君達の事を責めるつもりは無いの……。君達の年頃には色々な事が起こるものだわ。友達との仲が上手くいかなかったり……」

「何もありません」

「もっとちゃんと考えて頂戴っ! 白鳥さんは一週間も学校に来ていないのよっ!」

 吉田は今度は口を閉ざした。

 担任は溜息を吐いた。そして僕に向き直った。

「一郎君は何か知っている?」

「別に何も……」

「ちゃんと考えてっ!」担任が怒鳴った。

「さっき迄この部屋に白鳥さんのお母さんが来ていたのよ……。白鳥さん、食事の時も部屋から出ないでずっと引き篭もっているんだって。だから先生に相談しに来たのよ……」

 白鳥さんの御母上の姿が思い浮かんだ。

 それはついさっきの姿だった。

 僕達が相談室に来る時に白鳥さんの御母上とすれ違ったのだ。御母上はよそ行きのスーツ姿で、僕達に気付くと微笑み掛けてくれた。その微笑みは弱々しくて、以前家に行った時の溌剌とした姿とは別人の様だった。

「白鳥さんが何か悩んでいたとか知らない?」

「別に何も……」

 僕の心の中に生まれた感情がムクムクと大きくなった。

「白鳥さん、家族とも殆ど話さなくなったそうなの……。食事を部屋の前に置いているそうなんだけれど余り減ってなかったり……」

 担任が目に涙を浮かべて語る姿を見ていた。

 すると、益々その感情が大きく膨れ上がった!

 プッ……。

「え?」担任が言った。

 とうとう大きくなった感情を抑え切れなくなり僕は吹出したのだ。

 担任は何が起きているのか解らないといった表情だった。

「クククッ……!」僕は何とか笑いを堪えようとする。

「アハハハハッ!」

 僕はお腹を押さえて笑い出した。笑い転げないようにするのに必死だった。

「な、なな何なのっ! な、なな何が可笑しいのっ! お、おおお友達が大変な事になっているのよっ!」

 担任のセリフで部屋で苦しんでいる白鳥さんを思い浮かべた。さっき廊下で擦れ違った御母上の弱々しい微笑を思い浮かべた。

 すると益々笑いが込み上げて来た!

 僕は身体をくの字にして笑い転げていた。

「な、なな何なのっ! な、なな何が可笑しいのっ!」担任が叫んでいる。

 それは可笑しいだろう!

 突然だが世の中には悪人が沢山居ると思う。新聞を読んでも凄惨な事件が多いしテレビに出てくる芸能人、文化人、アナウンサー、代議士、経済人、街の市民、etc……。この中に悪人じゃない人間は何人居るだろう。偽善の裏に隠れる悪意はどうしたって隠す事は出来ない。隠せば隠すほど何かの拍子に表に出てくる……。

 そう、まるで絶対見付かる筈のない所に隠したエロ本の様に!

 屋根裏に隠したエロ本が、帰ってきたら机の上に置かれていた光景を思い出した……。

 僕達は時折かいま見えるそんな悪意を敏感に察知する。そして其処から回避しようと必死で転げ回る。

 では何の悪意も持たない人間が居たらどうだろう?

 そんな人間が本当に居るのかと思うかもしれないが実際に存在する。いや世の中にはゴロゴロ存在する。

 僕達の生きる世界は、意外にもそんな聖人君子が溢れる世界なのだ!

 でも生きて行くという事が、他人と否応無く関わり合う事だとしたらどうだろう?

 善き隣人は他人を傷付けても天国に召される事が約束された人間だ。悪意すら持たず傷付け、傷付けた事すら忘れていく。そして傷付けた相手に対しては、慈愛のこもった暖かい眼差しを向ける事が出来る。でもこれは罪ではない。何故なら悪意があってこそ罪は成立するのだ。

 だから死ぬまで罪とは無縁であり続ける事が出来る。天に召された時、墓標には『罪を犯さず人々に慈愛を与え続けた人、ここに眠る』と刻まれる。魂は天に昇るだろう。その光り輝く高邁な精神と思想と共に……。

「……ハハハッ! アハハハハッ!」

「あ、ああ貴方達は外に出てなさいっ! は、はは早く帰りなさいっ!」

 吉田と健太と目が合った。二人とも笑いを噛み殺した表情を浮かべていた。

 無垢な存在というものは常に傷付けられる運命からは逃れられない。どんな存在にも平等に不幸が訪れる。だからこそ平等な世界なのだ。それが僕達の生きる世界なのだ。

 だったら笑うしかないじゃないか……。

 この滑稽な残酷劇グランギニョルの世界に!

「は、はは早く出て行きなさいっ!」

 吉田と健太は相談室を出て行った。

 二人が部屋を出て行ってからも僕は笑いを抑える事が出来なかった。


「痛たたた……」

 僕は足を引き摺りながら教室に戻って来た。担任に最長記録を更新する石抱きの刑を処せられたのだ。

 教室に入ると吉田と健太が座っていた。吉田はニヤニヤと笑みを浮かべている。

「随分と絞られた様だね……」

「何、僕も闇の住人の一人。中世の暗黒時代を思い返せば大した事はない……」

 僕はニヤリと笑い返す。

「白鳥は光の勢力によって封印されてしまった……。この封印を解くには大勢の人間を生贄に捧げなければならない」

「ま、まさか……。蝕を発動させるというのかっ!?」

「クククッ……。我が悠久の人生の中でも最大の魔方陣を描く事になりそうだ。蝕が発動される時、全ての人間の原罪が暴かれその苦しみに嘆き悲しむだろう。だがその苦しみこそ蝕の魔方陣の源泉っ! 贄なのだっ!」

 吉田はニヤリと笑い返した。

 なんて事だ、とんでもない災厄が訪れようとしている……。

 だがっ……。

 白鳥さんを光の勢力の封印から解き放つ為なら、喜んで堕天使の烙印を受けよう!

 待っていて下さい白鳥さん、僕は貴方を救い出す!

 健太は給食の残りの食パンを何も付けずに食べていた。


31

 僕達はまた化学実験室に忍び込み入念な作戦会議を開いた。もう担任は化学実験室に興味を失っているのを知っていたからだった。

 蝕を発動させるには大量の人間の苦しみが必要だ。その規模は僕達のクラス全員になるだろう。だが一人一人に策略を練る時間は無い。光の勢力に捕らわれた白鳥さんは刻一刻とその魔力を消耗させているのだ……。

 ではどうするか?

 それならば人間という種族の性質を利用すればいい。いやそれはカルマと言っても良いものだろう。

 人間という生き物は必ず集団の中に権威を求めその頂点に戴く。つまりそれは頂点の人間を抑えれば良いという事。頂点を押さえてしまえば周りの人間を操るのは容易い。まさにグラムシのヘゲモニー論を髣髴とさせる理論だった。

 僕は我ながら悪魔の知略に恐れおののいた……。

「人間とは同性には厳しく異性には甘いもの……。君は女子の元首に、僕は男子の元首に当たるのが良いだろう」吉田が言った。

 顔の前で手を組み、白く光るメガネの奥を窺い知る事は出来ない。

「な、何だとっ!?」僕は叫んだ。

 僕が女子のカーストの頂点に君臨する、あの独裁者に当たるというのか……。

 あの小林由美に!

「フフッ……。怖いのかね?」

 奴は小学校時代に男子と一緒になって僕がトイレでウンコをしていたのを囃し立て、給食の時間に嫌いな野菜を、隣の席の僕に無理矢理押し付けた暴君でもあった。

「な、何を馬鹿な事をっ! それより……」僕は言った。

「君はいいのかね……。君も男子の元首に当たる事になるのだぞ?」

 フフッ……、君にやれるのかな……?

「大丈夫だ、問題ない」

「な、何っ!?」

 吉田のこの自信はどこから……。

「ここからはお互い自分の事だけを考えようじゃないか?」

 吉田がニヤリと笑った。

「い、いいだろう……」

 そうだ、ここから神をも恐れぬ忌まわしき蝕の儀式が開始されるのだ。


「ほ、本当に大丈夫なんだろうね……?」

「大丈夫だ、問題ない」

 吉田はさっきから同じこのセリフばかりだった。僕は廊下の陰から目的の人物を覗いた。

 小林由美だ!

「ほ、本当に大丈夫……」

「何だね? 君は手紙一つ渡すのにそんなに怯えるのかね?」

「ば、馬鹿を言うんじゃないっ!」

 そうだ、たかが手紙一つを渡すのに何を怖がっているのだ……。

 僕達の儀式を行うには女子と男子のリーダーを一箇所に集める必要があった。

 だがどうやって集めるのか?

 僕達が出した答えは一つ……。

 それはラヴレターだ!

 古典的と言われるかもしれないが他人を呼び出すにはこの方法が一番解りやすい。手紙に目的の場所と時間を書いて渡せば相手はやって来るのだ……。

 少なくともアニメの中では!

 だがこの手紙の事を他の人間に知られるのはまずい。特に最近の女子は慎みが足りないから、下駄箱などに入れていたら回りに言いふらしかねない。だから目的の時間の少し前に手紙を渡す必要があった。

「まぁ君、心配する必要は無かろう。この年頃の女子は基本的にロマンチックな思考の持ち主だ。どんな男子にでも恋文を貰えば嬉しいものだ。間違っても無下にする事はないものだよ?」

 どんな男子にでも、という言い方が引っ掛かる……。

「フフンッ……! 心配はご無用。行って来るっ!」

 僕は廊下に由美一人になったのを見計らって出て行った。


「や、やぁ小林っ!」

 僕はとっておきの爽やかな笑顔を浮かべつつ、右手を挙げて由美を呼び止める。

 由美は制服を着崩した着こなしで、スカートも他の生徒より丈が短い。

 そこから覗く胸元と太腿は、同じ学年とは思えないけしからん発達をしていた……。

「あーん?」由美が言った。

 由美の顔が『ピキッ! ビキッ!』という効果音が入りそうな表情に変わった。

 斜め下四十五度の角度から上目使いで見詰められているのに……。

 何故か全然萌える事が出来ない!

「こ、小林……。実は……」

「あーん、手前ぇ? 誰にタメ口きいてんだ? フカした事言ってんじゃねぇぞ?」由美の声に殺気がこもる。

「ヒッ……、ヒィッ! そ、そうじゃなくて小林さん……」

「あーん、手前ぇ? “不運”(ハードラック)と“踊”(ダンス)っちまいたい様だなぁっ!?」

「ち、違うんです……。こ、これをっ!」

 僕は胃が締め付けられる様な恐怖の中で、必死に手紙を差し出した。

「何これ?」

 由美はキョトンとした表情を浮かべた。そして僕の手から手紙を拾い上げた。

 その顔はそれまでの禍々しい羅刹の面容から菩薩の笑みへと変わっていた。その微笑みは流石にクラスの女王とでもいうべき可愛らしさに満ち溢れていた。

 吉田の言う事は本当だったのか……。

 女子はどんな男子にでも恋文を貰えば嬉しいというのは!

 由美の目がギラリと光った。

「おい皆見てみろよっ!」

 そんな事は無かった!

「一朗がアタイにラブレターだとよっ! こんなもん今じゃケツ拭く紙にもなりゃしねぇってのによー!」

 由美が手紙を頭上に掲げて走り去ろうとする。

 まずい、他の生徒に知られるとこの計画は終わりだ……。

 それ以前に僕の学校生活が終わりになってしまう!

「ち、違います小林さんっ! その手紙は渡すように頼まれたものなのですっ!」僕は叫んだ。

 由美は立ち止まって振り向いた。

「じゃあ誰?」

「そ、それは他言しない様にきつく言い渡されておりますので……」

 僕は揉み手をしながら必死で笑顔を浮かべる。

「だ、誰なのよ、もう……。こんな今時ラブレターなんて……」

 由美は急に頬を赤らめて手紙を見詰めた。

 この女、僕の時と対応が違い過ぎるじゃないか!

「それでは私めはこれで……」

 僕は気配を殺してこの場を立ち去ろうとした。

「おい待ちな……」由美が言った。

「この事は今すぐ頭の中の消しゴムを掛けるんだなぁ。もし他の奴に言ったら……」

「ヒッ……、ヒィッ! も、勿論でございますっ!」

 僕は急いでその場から駆け出した。

 僕の廊下のカーブに突入する速度は、スピードの向こう側に届く勢いだった……。


「おい、君っ! ラブレターじゃ全然駄目だったじゃないかっ!?」

「スマン、スマン……。女子はどんな男子にでも恋文を貰えば嬉しいものだ。だが一つ言い忘れていたようだ……」吉田は言った。

「ただしイケメンに限るとっ!」

 吉田はニヤニヤと笑っている。

「グッ……! そ、それより君の方は大丈夫なのかね? 男子のヒエラルキーは女子程はっきりしていない。スポーツ系のボス猿は山田武史、文化系の指導者は佐藤光男。大まかな分け方だが、この二人を篭絡しない限り男子を操るのは難しいのだぞ?」

「クククッ……。それこそ心配ご無用。現在の惑星の配列は我が魔力を最大に増幅している」

 何なのだ奴のこの余裕は……。

「まぁ君、心配する必要は無かろう。この年頃の男子は基本的にロマンチックな思考の持ち主だ。どんな女子にでも恋文を貰えば嬉しいものだ。間違っても無下にする事はないものだよ?」

 フフッ……、ただし美少女に限るがな!

 この年頃の男子は、醜女と自分の母親には常に冷酷だ。美少女が言ったら狂喜乱舞する言葉も、醜女が同じ言葉を吐いた場合は神を冒涜する言葉と等しい。

 吉田、お前の運命が見える様だ……。

 廊下に山田がやって来たのが見えた。

「それでは行って来る。その前に……」

 吉田が僕に振り向いた。健太は素早く背中を向けた。

「サミングっ……!」

 吉田はリック・フレアー式の目潰し攻撃で、人差し指と中指を僕の目に突き刺した。

「ギャーッ! 目、目がぁーっ!」僕は叫んだ。

「我が素顔、見る事は敵わん……」

 霞む視界の中で吉田がメガネを外しているのが見えた。健太は大人しく背中を向けている。

「行って来る」

 吉田は廊下の先の、山田に向かって歩いて行った。


 廊下の向こうで吉田が山田に声を掛けるのが見えた。山田の素顔は遠くて解らない。

 クククッ……、馬鹿め。いかに策を弄しようとも醜女に対する中学生男子の感情は変わらん。 吉田、貴様も僕と同じ様に無様に逃げ帰って来るのだ……。

 吉田が山田にラブレターを手渡した!

 山田は渡されたラブレターを受け取った。

 そのまま吉田と山田が別れた。

 山田は廊下の向こうに歩き去った……。

 Holy shit(聖なる糞)!

 醜女から貰うラブレターなど、まさに牛糞を手渡される事と同じ筈なのに……

 吉田はこちらにやって来る途中でメガネを掛け、頭から何か取り去っていた。どうやら長過ぎる前髪を上げる為にカチューシャをしていた様だ。

 山田が僕等の元まで戻って来た。

「クククッ……。君、山田武史は喜んで僕の手紙を受け取ったぞ。最も我が変装によりその正体は知られてないがな」

「き、君は一体どんな策を弄したのだっ!?」

「聞き捨ての悪い……。この様な美少女から貰うラブレターを断る男子は居る訳があるまい。 クククッ……、フハーハッハッハッ!」

 ま、まさか……。

 素顔の吉田は美少女だというのか!

 事の真偽は二人目の佐藤光男に持ち越された。


 まさか!

 二人目の佐藤まで吉田のラブレターを素直に受け取っていた。

 僕は廊下の陰から覗き見しながら驚愕に打ち震えていた。

 ほ、本当に実は吉田は美少女だったのか……。

 吉田はメガネを掛け、カチューシャを外しながらこちらに戻って来た。

「クククッ……。どうやら佐藤光男も美少女からの手紙を喜んで受け取ったようだぞ?」

「嘘だッ!!!」僕は叫んだ。

「ぼ、僕は信じないぞっ……!? き、君が美少女なら僕だって美少年の筈なんだっ!」

「見苦しいぞ君……? 現実では僕が美少女で君はブサメンのキモオタなのだよ」

 吉田はニヤニヤと笑っている。

「い、嫌だっ! 僕は信じないっ!」

 僕は頭を抱えたまま狂おしく身悶えした。

 体が瘧の様に震えるのを止める事が出来ない……。

「君が余りにも哀れだから、少しだけ我が魔術の秘密を解説してやろう」

「ひ、秘密だと……?」

「君は今が何月か知っているかね?」

「そんな事は知っている。今は二月も半ば……ハッ!?」

「気が付いたかね?」

 吉田がニヤリと笑った。

「そ、そうか……。今月はどんな醜女な女子でも魔力が増大する月だったっ……!」

 そうなのだ、今月は二月も半ば……。

 つまりバレンタインデーがある月だったのだ!

「クククッ……。この惑星の配列が我が魔力を増大させる。名前も告げず突然現れた美少女が、斜め下四十五度から我が魔眼による魔術魅了チャームで見詰め、この幾ばくかの媚薬を触媒にする事により、どの様な男子も意のままに操る事が出来るのだ……」

 吉田は手の中に隠してあったチロルチョコを頭上に掲げた。

 何て卑怯な手を……。

 そして男とは何て哀しい生き物なのだ!

「クククッ……。そして今此処に僕が美少女である事が証明されたのだっ! フハーハッハッハッ!」

 確かに今回の作戦は、イタリア遠征に成功したナポレオンの如き戦略。

 だがっ!

 その作戦の成功により彼は皇帝まで即位までした。同じ様に吉田にも恐ろしいまでに驕り高ぶりが生じている気がした……。


32

 僕達は化学実験室に続いている準備室に身を潜めていた。

 科学実験室の窓にはいつもの様に暗幕を引いて暗闇にしている。もうすぐ此処に小林由美、山田武史、佐藤光男の三人がやって来る。

 僕達は息を潜めて人の気配を探っていた。

 ガラッ!

 扉が開く音がした。

「ねぇ、誰か居るの……?」

 小林由美だ!

 見ず知らずの人間からの手紙にのこのこやって来るとは、後でその無用心さを詰問してやらなければならない。

 勿論、怪文書としての形だが……。

「ねぇ、手紙貰ったんだけど……?」由美の声は心細げだ。

 無理もあるまい。人気の無い暗闇の教室に一人で居るのだから。だが他の二人がやって来る迄は我慢して貰わなければいけない。

「ねぇ……」由美が言った。

「まさかドッキリとかフカした事言うんじゃねぇだろうなぁっ!?」

「ヒッ……!」僕は悲鳴を漏らし掛けた。

「あんまチョーシくれてっとひき肉にしちまうよ!」

 ガラッ!

 また扉が開く音がした。

「え? う、嘘あんただったのっ……!?」急に由美の声が大人しくなった。

「あ? 何がだよ?」この声は山田だった。

「そ、それより此処に誰か居なかったのかよっ!?」

「え? 誰も居なかったよ。わ……、私以外にっ!」

「お前ぇじゃねーよっ!」山田が叫んだ。

「背が小さくて……、も、もっと静かな感じで。か、可愛い感じの……」

「あーん? 手前ぇ、もしかして私を騙そうと……」

 ガラッ!

 また扉が開く音がした。

「あ、あれっ!? 何かマズかったっ……?」光男の声だった。

「マ、マズくねーよっ! 何勘違いしてんだよ。お前こそ何しに来たんだよっ!?」

「い、いやちょっと……」

「え? う、嘘あんただったのっ……!?」由美の声だった。

「え? 何が?」

「み、光男、あんたが私に手紙を……」

「それより此処に誰か居なかった?」光男が由美の言葉を遮った。

「背が小さくて……、も、もっと静かな感じで。か、可愛い感じの……」

 何ていう事だ!

 魅了チャームの魔術により、本当に二人には吉田が可愛く見えていたのだ!

 隣を見ると吉田はニヤニヤと笑っていた……。

「あーん? どう言う事だ。誰の仕業なんだぁっ!?」由美が叫んだ。

「時は来た……」吉田が呟いた。

 手に持っていたマイクのスイッチを入れ、スピーカーがプッ……と音を漏らした。

『ようこそっ! ダイダロスの迷宮に迷いし生贄たちよっ!』吉田が叫んだ。

 これから生贄達を蝕の儀式の祭壇へと捧げる儀式が始まる!


「誰だ出てきやがれっ!」由美が叫ぶ。

『名乗る程の者ではない……。小林由美、君の秘密を知っている』

 化学実験室に仕掛けたラジカセからは変調された声が出ている。これは白鳥さんが作成した仕掛けを再利用しているのだ。

「な、何だと手前ぇっ!」由美が叫ぶ。

「そ、そんな事よりお前なのか、さっき俺に手紙を渡したのは……?」山田が言った。

「えっ、山田も貰ったのかっ!? ど、どう言う事なんだっ!?」光男が言った。

『山田武史、佐藤光男……。お前達二人の秘密も知っている』

 化学実験室に沈黙が下りた。

「な、何が目的なの……?」

 秘密と聞いて後ろ暗い所があるのか由美の声には力が無い。

「お、俺達を脅すつもりなのかっ!?」

「お、脅しなんかには屈しないぞっ!?」

『クククッ……。フハーッハッハッハッ!』吉田が高笑いをする。

「何が可笑しいんだ、手前ぇっ!」由美が叫ぶ。

 科学実験室の三人の狼狽が手に取る様だ……。

『我等、魔導師セノバイトの目的は生贄を暗黒の神に捧げる事……』吉田は言った。

『つまり君達には我が魔術完成の生贄として、究極の苦痛を味わって貰うっ!』

「ふ、ふざけんなっ! 出て来いっ!」山田が叫んだ。

『山田武史、貴様の秘密を知っている……。君の自宅の引き出し。その中には毎夜ハァハァする為のいかがわしい教典が隠されている筈だ……』

「そ、それがどうしたっ!? 皆それぐらいは持って……」

『だがしかしっ!』吉田は叫んだ。

『そのハァハァする為の魔道書の中に、ある特定の分類の書物がある事を知っている……』

「で、でまかせ言ってるんじゃねぇっ! 今すぐ手前ぇを見つけて……」

『熟女っ!』

 山田の声が沈黙した。

「やだ……。あんたそういう趣味だったの……」由美が言った。

「ち、違う……」

『貴様は熟女という特定の分類に異常な興奮を催すのを知っている……。三十代前半迄なら、まぁ気持ちは解らんでもない。だが貴様の底知れぬ欲望は留まる事を知らず、三十代どころか四十代にまで触手を伸ばす。そしていずれは五十代にまで届くだろう。何故なら、貴様の好きな設定は母子相姦ものであり……』

「や……、やめろおおーっ!」

 山田が頭を抱えて身悶えしているのが目に映る様だ。時折、山田の呻き声が化学実験室の中に響く……。

「幾らなんでも四十代は引くなぁ……」

『引く……? 引くだと佐藤光男?』

「な、何だよっ! 別に悪いとは言ってないぞ、個人の趣味だからなっ!」

『フフッ……。確かに個人の趣味だ。だが貴様も良い趣味を持っているじゃあないか?』

「な、何だよ……。どんなエロ本を持ってたっていいじゃないかっ!」光男の声が震えている。

『誰がカストリ本などと言ったかね? 貴様は色々と画集を蒐集しているそうだね……。但しエロゲ絵師のっ!』

「ふん、何だそんな事か? そうさ僕は色々な絵師の画集を持っている。でも萌え絵は現代の浮世絵だ。持っている事に何の後ろめたさもないっ!」

『だがしかしっ!』吉田は叫んだ。

『貴様の愛でる絵の題材の対象が偏っている事を知っている……』

「ふ、ふんっ……! どうせ美少女ばかりだって言うんだろ。美少女を愛でて何が……」

『幼女っ!』

 光男の声が沈黙した。

「やだ……。マジで引くんだけど……」由美が言った。

「ち、違う……」

『貴様が一番蒐集している題材は幼女……。正確に言えば三歳以上十歳未満の女子ばかりだ。フフッ……。年齢が二桁になると興味を失うとは恐ろしい奴。だが貴様の底知れぬ欲望は留まる事を知らず、二次元を三次元にトレースした人形にまで向かう。尚且つその人形は衣服の着脱キャストオフが可能で……』

「や……、やめろおおーっ!」

 光男が呻く声が聞こえる。光男の呻き声と、山田の呻き声の慟哭のハーモニーが化学実験室に響き渡る……。

「まったく、こいつらがこんなシャバ憎共だとは思わなかったぜっ!」由美が叫んだ。

「アタイはもう帰らせてもらうよっ! ンじゃ……流れ解散だ!」

 由美が出口へ向かう足音が聞こえる。

『貴様の秘密も知っているぞ……』

「ハンッ、どうせ隠れBL好きだって言うんだろっ! それがどうした。年頃の女子は皆BLが好きなものなのさっ!」

『クククッ……。中々鋭い洞察力の持ち主のようだ』

「はい、私は別に平気なんで。じゃあ私は帰るから勝手にこいつらの秘密を暴いていて」

『まぁ待ちたまえ……。ところで貴様はどんなタイプが好きなのだね?』

「私そんなに拘り無いよっ! 総受、誘い受、小悪魔受、俺様攻、鬼畜攻、へたれ攻。キャラに合っていれば何でも来いよっ!」

 お、恐ろしい……。

 奴の正体はこんな魔獣だったのか!

『違うな……』吉田は言った。

「な、何よっ! あっもしかして百合の事を言おうとしてるの? 別にBL好きが百合好きだっていいじゃないっ!?」

『フフッ……。百合も好きなのかね?』

「そうよっ! 私可愛い女の子好きだもん。今は普通にそういう漫画売っているじゃないっ!」

 こ、この魔獣を御するのは難しいぞ!

『クククッ……。フハーハッハッハッ!』

「な、何が可笑しいんだよっ!」

『だがしかしっ!』吉田は叫んだ。

『貴様の魔性はそんなものじゃない筈だ……』

「何よっ! 今時どんなフェチがあったって珍しく……」

『薔薇族っ!』

 由美の声が沈黙した。

「薔薇族って何だ?」山田が言った。

「知らないけど?」光男が言った。

「ち、違う……」

『恐ろしい奴よ小林由美……。本当に隠したい魔性を隠す為にあえてアブノーマルな趣味の仮面ペルソナを被るとは。確かに上手い隠し方だ。似て非なるものを囮に使うのだからな。しかし既に廃刊になった魔道書を古書店を巡って探し出すとは、ある意味我々と同じ錬金術師と同じ性質を持っていると言える。フフッ……、私は嫌いではないぞ。愛とは全て美しいもの同士のものではない。現実にある醜悪さを受け入れて尚且つ……』

「や……、やめてええーっ!」

 由美が床にドサリと倒れる音が聞こえた……。


33

「い、一体お前は何が目的なんだっ!?」山田が叫んだ。

 恐るべき拷問の苦痛から生贄達が息を吹き返した様だ……。

「お、俺達を揺する気なのか……? 卑劣な脅迫には屈しないぞっ!」光男が叫んだ。

『クククッ……。心配するな。脅迫するつもりなど無い。只、人間という生き物は常に闇の性質を抱えて生きているのだと実感して欲しかっただけだ』

「だったらもうこれで十分でしょっ!? もう帰してっ!」由美が叫んだ。

『まぁ待ちたまえ……。ところで貴様達のクラスに白鳥水鳥という生徒が居たな? 随分と教師にも生徒にも評判の良い生徒の様だ。フフッ……、彼女の闇も覗きたいものだ』

「バカヤローッ! 白鳥さんはそんな人じゃない。あの人は特別なんだっ!」

「そうだっ! 白鳥さんの悪い噂なんて信じないぞっ!」

『だが彼女も人間だ……。そして人間の心には必ず闇が存在する事は貴様達で確認済みだ。クククッ……、彼女の事も我等は知っているぞ』

「止めてっ!」由美が叫んだ。

「今……、白鳥さん……。ちょっと体調崩しているんだから……」

 どうやら由美も白鳥さんの事は気に掛かっていた様だ。

『ほう、体調を崩していたのか? それは随分と大変だな。我等はてっきり……』

「うるせぇっ! もうすぐ戻って来るんだからその時言えばいいだろっ!?」山田が叫んだ。

「そうだっ! 戻って来たら直接言えよっ!」光男が叫んだ。

『ククク……。フハーハッハッハッ!』

「何が可笑しいんだっ! 白鳥さんが戻って来たら今度はアタイも一緒に手前ぇの事を……」

『白鳥は戻って来ない』

 化学実験室の中に沈黙が降りた……。

 僕等の中に何となく有った不安を言い当てられた気がした。

『このまま白鳥は戻っては来ない。我等は彼女に何が起きたかを知っている。人間の心に必ず闇が存在する様に、彼女の心にも闇が存在していた事を知っている』

「白鳥さんに何があったの……?」

『詳しい事を言うのは控えよう……。だが彼女の闇の部分が純粋なる光によって消し去られようとしているのだと言っておこう。闇の部分を抱えるのが人間がだとしたら、一片の曇りも無い、光に満ち溢れる心の持ち主は人間なのだろうか? チェスタトンは言った。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である、と……』吉田は言った。

『最も君達にとっては、白鳥とはそういう人物の方が望ましい様だがな?』

「そ、そんな事無いっ!」由美が叫んだ。

「白鳥さんとはあんまり喋った事無いけど……。真面目で素直で可愛くて。でもちょっと……、ううん、凄く変な所のある白鳥さんの事嫌いじゃなかった。今だって何とかしてあげたいけれど……」

『何とかしないのかね?』

「だって白鳥さんの事あんまり知らないから……。喋った事ないし友達って言える程じゃないし。白鳥さんが私の事どう思っているかも解らないし……」

『ならば本当の白鳥を知る覚悟はあるのかね?』

 山田、光男、そして由美が息を呑んだのが感じられた。

『白鳥を呼び戻すには更なる大量の生贄が必要だ……。生贄の産み出す苦痛により魔方陣は魔力を宿す。白鳥を知るとはその闇も知ると言う事。呪われた契約を結び、闇に身を落としてまで、君達に白鳥を召還するその覚悟はあるのかね?』

 彼等に本当にその覚悟はあるのだろうか?

 今迄クラスの聖女として扱っていた白鳥さんに対して……。

「やる……」山田が言った。

「白鳥さんを本当に助けられるんなら俺はやる」

「俺もやるっ! 何だか胡散臭いけど少しでも白鳥さんの為になるんならっ!」

「私もやるわ。何なの白鳥さんの闇って……?」

『黒板の前の机の引き出しに一冊の魔道書がある。まずはそれを手に取るのだ』

 三人が歩く物音が聞こえた。引き出しのガタガタいう音が聞こえる。

「あったわよ、只のノートだけど……」

『その魔道書を開くのだ』

 今、暗黒の魔道書が開かれようとしている……。

 開かれた瞬間、悪夢とも言うべき契約が成立し更なる大量の生贄が捧げられるのだ……。

 嗚呼、何という残酷劇グランギニョル

 ページを捲る音が聞こえた。

「ヒッ、ヒィイイイッ……!」三人の悲鳴が響き渡った。


 僕等は白鳥さんの家の前に居た。

 放課後に色々とやっていたので日が暮れようとしている。

 裏門に回ると吉田がインターホンを鳴らした。

 名前を告げると妹君が姿を現した。少し顔色が悪いように見える。

「白鳥は居るかね?」

 妹君は頷いた。

「遭わせて貰いたいのだが?」

「お姉ちゃん、誰とも会わないと思う……」妹君は言った。

「私とも、パパやママとも会ってくれない……」

 妹君は両手で顔を隠した。

「何、会ってくれるさ……。同じ闇の住人。闇の波動は引かれ合うものなのだよ」

 僕達の会話を聞き付けたのか、裏口から御母上が出てきた。

「まぁまぁ、いらっしゃい。あの子に会いに来てくれたの……?」

 御母上は学校で見た時と同じ様に、少しやつれた表情だった。

「あの子、身体の調子が悪くて……」

「少しだけお話がしたいんです」吉田は一言だけ言った。

 そして御母上の顔を見詰めていた。

「それじゃあ……。あの子も喜ぶと思うし」

 僕達は妹君に連れられて白鳥さんの部屋に向かった。

 前を歩く妹君はいつもの様なベストとジャケツ、そしてスラックスといった格好ではなかった。普通のピンク色のワンピース姿で、アップにしていた髪も長く下していた。普通の姿の妹君は只の普通の小学三年生に見えた。

 白鳥さんの部屋の前に着いた。

「白鳥、居るかね?」吉田が言った。

 何の物音も聞こえない。

「今週の土曜日の午後に蝕が起きるだろう……。太陽が闇に飲み込まれしその時、貴様の魔力は復活し光の勢力による封印も解ける。但し魔方陣に捧げられる贄は、永遠の苦痛を味わう事になるだろうがなっ!」

 返答は無かった。

 それでも僕達はドアの前に立っていた。少し人の気配の様な物音が聞こえた。

「私……」白鳥さんの声が聞こえた。

 その声は耳を澄ましてやっと聞き取れるぐらいのか細い声だった。

「あの時怖くて……。パパやママの事を聞いたら……。怖くて……。皆で作ったものを渡そうとしたんです。自分だけ助かろうとして……」

「クククッ……。我等、魔導師セノバイトすら謀ろうとするとは恐ろしい奴。それでこそ闇の住人だ」

「もう皆の前に立てない……」

 また沈黙が降りた。

「白鳥、それでは僕等は帰る事にする。土曜日を楽しみにしているのだなっ!」

 僕達は白鳥さんの部屋から離れた。

 妹君に連れられて裏門まで来た。

「また……、お姉ちゃんに会いに来てあげて……」妹君が言った。

 別れの際の言葉だった。

「言わずもがな……。着々と白鳥は比類なき魔物へと成長を遂げている。だが光の勢力による抵抗も激しさを極める。今回は奴等によって深手を負ってしまったがそれも想定内の事。如何なる抵抗にも我等は屈せぬ……。おっと、君も我々にとっては敵だったな?」

 吉田はニヤリと笑った。

 妹君はキョトンとした表情を浮かべていた。

「それではさらばだ、小さな執事君よっ! クククッ……、フハーハッハッハッ!」

 これは暗黒の黙示録の一ページと呼ばれる前述譚であった。


34

 土曜日の午後、学校は午前中で終わっていた。

 僕と健太と吉田は塀の陰に隠れている。白鳥さんの家の門が見える場所で。

 果たして上手く行くのだろうか?

 これ程の規模の魔術、蝕を起こす事など……。

「フフッ……。君、不安そうだね?」吉田が言った。

「と、当然だろうっ! この様な大魔術かつて成功したかどうか……」

「クククッ……。我が魔術に不可能は無いっ!」

 だが心なしかそわそわしている気がした。

 健太ですら此処で見張って二時間、食べたアイスが三本でしかなかった……。

 正門の前に人影が見えた。その数は数十人を超える数だった。

「此処が白鳥さんの家……?」

「で、でけぇ……」

 群集が騒いでいるのが聞こえる。

 一人がインターホンを押すのが見えた。由美だった。

 インターホンから声が聞こえた。由美が何か答えるのが見えて正門が開いた。集団が門の中に飲み込まれ再び扉が閉まった。

「さて我々も行くか……」

 僕達は裏門に回りインターホンを押した。

『もしもし……』妹君の声だった。

「クククッ……。今、大量の生贄がこれから起こる蝕に捧げられる事も知らず、自ら呪いの館に迷い込んだ。さしずめこの館は蝋人形の館と言った所か……」

『もしかして、この間のお姉ちゃんのお友達……?』

「フフッ……。いかにも白鳥の闇の盟友。我等も屋敷の中に入れて貰おう」吉田は言った。

「おっとっ! 中に居る生贄達には知られぬ様にな……」

 裏門が開いた。

 其処には妹君の姿があった。その姿はピンク色のセーターとスカート姿だった。

「お姉ちゃん……、今来た人達にも会いたくないって……」

「それも想定内の事……。だが白鳥を召還する蝕を止める手立ては存在しない。我等を白鳥の部屋まで案内してくれ給え。生贄共に気取られぬ様にな」

 僕達は妹君に連れられて白鳥さんの部屋に向かった。一階の廊下の奥からは大勢の声が聞こえて来た。由美達は応接間にでも通されている様だった。

 白鳥さんの部屋の前に来た。

「白鳥、聞こえるかね?」吉田が言った。

 部屋の中からは何も聞こえなかった。

「これから蝕が起きます……。下の階には蝕の贄となる者達が集められています。その数は我がクラスの生徒全員と同じ。つまり我がクラス全員の苦痛が贄となるのです」僕は言った。

 沈黙が続いていた。

「もうすぐだ、もうすぐ始まるぞ……。その時、魔方陣に捧げられし贄の阿鼻叫喚が魔力に変換され、白鳥、君の魔力として充填されるだろう。その時こそ復活の時だ。クククッ……。贄共よもがけっ! 苦しめっ! その苦しみこそ魔力として昇華されるのだっ! フハーハッハッハッ!」吉田は高笑いを上げた。

 そうだ、これから僕達のクラスの生徒が犠牲になる……。

 果たしてこの選択は正しかったのだろうか?

 他に皆が助かる手立ては無かったのだろうか?

 だがもういい!

 白鳥さんを光の勢力から救い出す為には……。

 僕はクラスの皆の苦しみとその贖罪を、一生抱えて生きる事を選ぼう!

「白鳥さん……」屋敷の外から声が聞こえる。

 僕達は廊下にある窓に近付き身を潜める。

 窓から見える景色は……。

 屋敷の庭にクラスの生徒達が終結していた!

 そして白鳥さんの部屋を見上げている。

「私、白鳥さんに言いたかった事があるのっ!」由美が叫んだ。

「俺も白鳥さんに言いたい事があるんだっ!」山田が叫んだ。

「俺だってあるんだっ! 白鳥さん聞いてくれっ!」光男が叫んだ。

「俺もあるっ!」

「私もあるのっ!」

 全ての生徒が白鳥さんの部屋に向かって叫んでいる。

 そのファナティックな叫び声は運命をも超越した、蝕による因果律に導かれし贄の叫び声であった。次第に高まりし暗黒の言霊による黒き波動は、蝕による場に沸々と強き脈動を繰り返している。高まりきった波動はもうすぐ場の限界を超え辺りに放出を始める。その時この蝕を止める事は出来ない。贄の生命が枯れる迄その苦痛は絶え間なく増幅していくのだ……。

 そう、それこそが蝕である。

「私、BL好きって嘘付いていたけどっ!」由美が叫んだ。

「本当は綺麗な美少年同士じゃなくて、薔薇族とかさぶに載っている、だらしない身体の中年男が絡んでいる方が好きなのっ!」

 蝕が始まった!

 由美はその場に崩れ泣き崩れた。

 傍に居た生徒が慰めているのが見える……。

「俺だって同じだっ! 白鳥さん聞いてくれっ! 俺は熟女が好きなんだっ!」山田が叫んだ。

「それも若く見える熟女じゃなくて、生活に疲れて身体の張りが無くなった、幸薄そうな熟女が好きなんだっ! だから今は母子相姦ものを見てる毎日さ……。気持ち悪いだろっ!」

 山田は膝から崩れ落ち、拳で地面を叩いている……。

「お前なんかまだマシさ……。俺なんて二次元にしか興奮しないんだぜっ! それも幼女好きなんだっ! これじゃまずいって三次元にも興味を持とうとしたら、フィギュアを集める様になってるんだよっ!」

 光男が空を見上げながら滂沱の涙を流している……。

「私だってアイドルのブログを見て、これって私の事を呟いてるんだって信じてるのよっ! 昨日だって私の事元気付けようとして、嫌いな人参を食べて頑張れって伝えようとしてるんだって思ってるっ! ううん確信してる」

「俺なんか将来科学が発達したら、好きなキャラをオリエントな工業製品化したロボットと結婚しようと思ってるんだぞっ!」

「私だって将来声優になって、好きな男性声優と結婚しようと思っているのよっ! だって不思議と格好良く見えちゃうんだもの仕方ないじゃないっ!」

「僕なんか実際に声優オーディションを受けに行ったんだっ!」

 阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられている。その姿は大釜で茹でられて泣き叫ぶ叫喚地獄の亡者の様だ……。

 これが究極の苦痛の儀式、蝕である!

 何故このような事が起きているのか……。

 僕達は放課後に、由美、山田、光男の三人を偽のラブレターで呼び出した。そして三人の心の中にあった闇を白日の下に晒した。

 どうやって彼らの闇を覚醒したか?

 それは単純なものだった。僕達の様な闇の住人は、人間達の間で上手く気配を消す事が出来る。人間達は何故か僕達が近くに居ても気付かないのだ。

 そこで彼等の会話に良く耳を澄ます。すると聞こえてくる。ある特定の単語に対して異常な反応を示すのが。それは単語に関心を持つのとは違う。逆に反発をする態度を見せるものこそがその人間の心の闇なのだ。

 山田の場合は、やたらと最近トウの立ってきた女性タレントに対して、罵詈雑言を投げ掛けていた。尚且つ男子の中では必ず話題になる、あの女優・タレントとハァハァな行為が出来るかという話題で、やたらと『BBAじゃないかよっ!』と年齢のハードルが厳しかった。

 光男の場合は逆だ。年齢のハードルが緩過ぎた。そしてアニメキャラを信奉する人種に異常な嫌悪感を抱いていた。その逆にオサレ漫画には非常に寛容だった。これは特定のジャンル内のさらに細分化したジャンルに関心があるという裏付けとなった。

 後はその闇を刺激すればいい。

 コップに溜まりに溜まった液体は、ほんのちょっとの振動で雫が溢れ出す。揺すり続ければ勝手に相手は己の闇を吐露してしまうのだ。何故なら闇の部分を他人に話したがる本当の自分が存在するのだから……。

 我々はこれをフリードマン式、闇のトリクルダウン理論と名付けた!

「それにしても奴等はよく働いてくれたものよ……」

 吉田が苦痛に悶え苦しむ贄達を見下ろす。

「全くだ。正直、白鳥さんの闇を見て、彼等がそれでも闇の契約をするのか不安だったよ……」

 彼等が化学実験室の机の引き出しから取り出し、そして恐怖の悲鳴を上げたもの……。

 それは僕等の暗黒の叙事詩の挿絵部分だった!

 つまり白鳥さんが手掛けたイラスト部分を彼らに見せたのだ。それは僕等のバイオレンス・エロス・タナトスに溢れた暗黒の叙事詩を彩るに相応しいタペストリーと言えた。

 彼等は最初はそのイラストを忌避した。そしてそれが白鳥さんによって描かれたものと聞き驚愕した。

 白鳥さんはその闇の衝動を消し去らねばならぬ葛藤に苦しんでいるのだと伝えた。光の勢力によって白日の下に晒されようとする苦痛と、クラスの中で聖女として振舞わねばならない苦痛。その己の闇に対する葛藤に苦しんでいるのだと伝えた。

 彼等は尋ねた。どうすれば救えるのかと……。

 我々は答えた。苦しみを消す事は出来ない。しかし共有する事は可能だと……。

「それに彼等が本当に行動するかも不安だったよ。無気力、無個性、無感動の世の中だというのに……」

「クククッ……。これが何か解るかね?」

 吉田が携帯電話を取り出した。携帯電話のディスプレイには動画が再生されている。

「こ、これはっ!?」僕は声を上げた。

 動画からは聞き慣れたメロディーが流れている。

 チャンチャンチャチャンチャ、チャンチャンチャチャンチャ……。

 こ、この音楽は!

 映像では眉毛の濃い男性が、涙を流しながらラガーメンを殴っている……。

 僕の中に沸々と熱い血潮が漲って来るのが感じられる。

 フッフッフフーフー、フッフッフフーフー……。

「トラーイッ!」

 僕は思わず見えないラグビーボールを掴んで、廊下にトライを決めた!

「恐るべき魔力よ……。この動画はある学園の荒廃に戦いを挑んだ熱血教師達の記録である。高校ラグビー界において全く無名の弱体チームが荒廃の中から健全な精神を培い、わずか数年で全国優勝を成し遂げた奇跡を通じて、その原動力となった信頼と愛を余すところなく動画化したものである」吉田は言った。

「この動画を見ると独りでに体が動いてしまう……。、無闇やたらと殴り合って友情を確かめたくなり、意味も無く夕日に向かって叫んでしまう。これは魔力を秘めた呪いの動画なのだっ!」

「悔しくないのかっ!」僕は健太に叫んだ。

「悔しいですっ!」健太は叫び返した。

「今からお前達を殴るっ!」

 バキィッ!

 僕の拳が健太の頬にめり込んだ!

 すぐさま健太が立ち上がる。

「悔しくないのかっ!」今度は健太が叫んだ。

「悔しいですっ!」僕は叫び返した。

 バキィッ!

 今度は健太の拳が僕の頬にめり込んだ……。

 殴られた痛みなど三日で消える!

「これぐらいにしておいてやろう……」

 吉田が携帯電話を閉じた。

「ハッ! 僕達は今まで何を……」

 頬の痛みだけが残っていた……。

「僕はこの動画が添付されたメールをあの三人に送り、クラス全員に送るように伝えた。そして今日この日に、帰りのホームルームが終わったら見るように付け加えた。これが白鳥を助ける答えなのだとな……」

 な、何と言う策略……。

 完璧な作戦だ!

「馬鹿な奴等よ……。蝕への贄として捧げられる為に、我等に騙されたとも知らずに……」吉田は言った。

「さて白鳥、どうするね? 君の召喚が成功するまで、下に居る蝕に捧げられし贄共はもがき苦しみ続けるだろう。クククッ……。まぁ奴等が苦しみ続けるのを眺めるのも一興だがな?」

 窓からは阿鼻叫喚の地獄絵図が続くのが見えている。

 キィ……。

 ドアが微かに軋む音がした。

 隙間から白鳥さんがこちらを覗いているのが見えた。

「どうして……クラスの皆が庭に集まっているんですか……?」白鳥さんが尋ねた。

「どうやら白鳥さんを召喚しようとしている模様です」僕は答えた。

「どうして……皆は自分の隠していた趣味を叫んでいるんですか……?」

「どうやら子供の頃から好きなものを好きでいられる君が羨ましいらしい。どうしたら胸を張って好きと言えるか知りたいのだそうだ」吉田が答えた。

「そうですか……」

 暫くの沈黙が続いた。

 そして扉がゆっくりと開いた。

 白鳥さんが姿を現した。

「皆に家に上がって貰って……お茶を出したいと思います……」白鳥さんは言った。

 少し恥ずかしそうな表情を浮かべていた。

「それがいい。贄共も精が尽きる頃だろう」吉田は言った。

 白鳥さんは頷いた。そして廊下を進み階段を降りる音が聞こえた。

 白鳥さんの姿は少し痩せた様にも見えたが至って元気そうだった。服装も前に見せてくれた私服と同様に、いつもの過剰な装飾と色彩に彩られたものだった。

 窓の外を覗いた。

 窓からはクラスの生徒達に迎えられる白鳥さんの姿が見えた。

 白鳥さんはまた少し恥ずかしそうな表情を浮かべていた。

「クククッ……!」吉田が声を漏らした。

「フハーッハッハッハッ!」

 吉田が高笑いを続けている。

「本当にやるのかね……」

「馬鹿を言わないでくれ給えっ! 何の為にこれだけの蝕を起こしたと思っているのだねっ! フフッ……。光の勢力の頚木から逃れた白鳥は恐るべき強靭さを身に付けた。蝕によって集められた魔力は白鳥を比類なき怪物リヴァイアサンに変貌させたのだっ!」

「白鳥さんを光の勢力との戦いに引き込むのか……」

「白鳥は恐るべき戦力となるだろう……。奴の特殊能力が発動する時、光の勢力は滅亡する」

 カタッ!

「「誰だっ!?」」僕と吉田が叫んだ。

「信じた僕が愚かだった……」

 廊下の陰に隠れていたのは妹君だった!

「ち、違うのですマドモアゼルっ! これには事情があって……」

「やはり貴方達は闇の住人。一度は捨てた執事服を、もう一度着なくてはならない運命の様です……」

「ま、待って下さいマドモアゼルっ!」

「クククッ……。所詮は我々は相容れぬ者同士。君に白鳥を取り戻す事が出来るかな? 小さな執事君?」

「お嬢様は僕が守るっ……!」

 妹君は背中を向けた。そして階段を下りて行った。

「楽しみにしているぞ小さな執事君。フハーッハッハッハッ!」吉田の笑い声が響き渡った。

 僕達は争いの運命から逃れる事は出来ないのか……。

 健太は何処からか取り出した魚肉ソーセージを食べていた。


35

 白鳥さんは次の週から学校に登校して来た。

 クラスメイト達は蝕の影響か少しやつれた様子を見せていた。そして白鳥さんとクラスメイト達は、ちょっと複雑な笑顔を浮かべながら挨拶を交わしていた。

 担任が来て朝のホームルームが始まる。担任は何事も無かったかの様に連絡事項を告げる。

 朝のホームルームが終了した。

 変わらない一日がまた始まったのだ。


 放課後に僕達はまた化学実験室に集まる。

 白鳥さんは机に向かって、また一生懸命にイラストを描いていた。

 叙事詩の製作の合間に、吉田が一冊の本を白鳥さんに渡す。

「白鳥、こんな本があるのだが読んでみないか……」

「何ですか?」

「フフッ……。興味があったら目を通すだけでいい」

 白鳥さんは礼を言って本をバッグに仕舞った。

 だが僕は見ていた……。

 吉田の目が爛爛と輝き口許がニヤリと笑っているのを!


 次の日の放課後も化学実験室に集まる。

「吉田さんっ! 私、昨日借りた本を読んで感銘を受けましたっ! 私、自分が今まで何てものを知らなかったんだって思いました。読んでいる間涙が止まらなくて……」

 白鳥さんはそう言いながら涙ぐむ。

「そうかそうか……。ではこんな本も読んでみたらどうだ?」

 吉田が本を手渡す。

「有難うございますっ! 私、心して読みたいと思いますっ!」

 吉田の口許がニヤリと歪む……。


 吉田は次の日も白鳥さんに本を貸した。

 次の日も……。

 その次の日も……。


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