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39. 雨の降る峡谷にて

 甘かった。


 甘かった、甘かった! 甘かったッ!!!!!!


 俺は未だ眼前の光景を受け入れられず、暴走を停止して沈黙した『グラウンドイーター』の背中に両膝をついている。


 雨が降り始めていた。その勢いはあっという間に強くなって、雨粒は俺の身体を打つ。


 意識が大きく揺らいで、俺の目から流れる涙は、顔を濡らす雨に溶けていく。


 俺が甘かったんだ。


 俺はこの異世界で手に入れた最強の文字召喚術を使って、120体のアンデッドたちと、レーナたちと、ギルダム中央村や峡谷村の人々と、オルビークと、ただ楽しく暮らしていければいいと思っていた。


 俺は魔王じゃないし、ただの一般人で、最強の文字召喚術は相手を制するための手段ではなく、相手と対話し、相互理解をするための手段に過ぎなかった。


 魔王と掲げられ、それでもその異名を拒み続けたのは、ひとたび強力な力として君臨してしまえば、対等な対話のテーブルは一生、目の前に現れないだろうと思ったからだ。


 だから、なるべく人を傷つけず、最低限の抵抗で、ここまでやってきた。


「その結果が、これかよッ――!」


 峡谷の底から、俺は涙で滲んだ瞳で周囲を睨みつける。崖の上、そこにいるのは、フードを被ったたくさんの人影。


 アルギア召喚宮殿の、文字召喚術師たち。


 彼らとその召喚モンスター、その全ての視線がただ無言で俺を射抜く。


 リーダー格らしい男は魔法通信具に向かって、初めて口を開いた。

 その声は、雨の降る音しかしない峡谷に響く。


「件の召喚モンスターは排除した。これでアルガリンガン帝国の侵攻は遅延するだろう。ついでに、帝国の召喚モンスターと交戦していた、所属不明の召喚モンスターも複数排除しておいた。まあ、いずれも小物だ。では、我らはこれより帰還する――アルギアの召喚宮殿へ」


 怒りに震える俺から興味を失ったように目を離すと、彼らは崖の上へと姿を消していった。残されたのは、俺と仲間だけ。


「ついで……?」


 ついで、と言ったか?

 俺の大事な仲間たちをあんな姿にしておいて、アルギアの文字召喚術師は、ついでと言ったのか? 敵対の意思もなく、『剣豪―三刀―』を止めようとしていた俺たちを一方的に痛めつけた理由がそれか?


 怒りが膨れ上がる。

 血走った瞳の血管が切れてしまいそうだ。


 オルビークは俯いたまま、何も言う事はなかった。


「はは……ははは」


 傍らに立ったレーナとアリカが、慰めるように俺の肩に手を置こうとし、俺はそれを強く振り払った。


「慰めは……いらない」


 心の底に、憎悪の火がついた。

 涙が溢れて止まらない。なんだか、笑えてきた。


 目を大きく見開き、憎悪の涙を流し続けたまま、俺はゆらりと立ち上がる。


「はははは……あはははは」


 俺はようやく気付いたのだ。

 魔王とは、単なる悪の存在ではない。

 自分の配下を圧倒的な力を以って、守り抜く王。


 大切なものを奪おうとする者が現れたら、相手の大切なものを先に壊してしまえばいい。

 そうして、精神的に立ち上がれなくなるまでいたぶり続ければいいのだ。


 そこに、対話など必要ない。


 自らを守るために敵を攻め、壊滅に追い込む優しき王の姿。


 敵の目には、それこそが魔王として映るのだろう。

 なら、何を拒むことがある?


 みんなを守るために魔王と呼ばれるのであれば、俺は魔王で構わない。


 強く噛んだ唇からは、真っ赤な血液が溢れた。

 振り返ってレーナたちを見ると、彼女たちはびくりと身体を震わせて、まるで化け物を見るかのように恐怖の色を浮かべる。


 そこにいつもの明るい彼女たちはいない。

 だが、それでいい。みんなを守るために、それが必要だというのなら。


「――アリカ、さっき言った話は本当だろうな?」


 自分の声だと思えない程、吐き出した言葉は冷たかった。


「は、はい……。恐らく、召喚モンスターの再召喚は召喚宮殿の宝物で叶うはず――」


 俺はアリカの右肩を掴むと、激しく引き寄せた。顔を間近まで近づけて、俺はアリカの顔を睨む。


「恐らく、なんて言葉を使うな。これから行うことに不確定要素はいらないんだ。間違った情報は一言でも口にするな。それとも何か? もし万が一にでも、お前が提供した情報が間違っていて失敗した場合、お前がその命で責任を取るのか?」


「い、いえ……ごめんなさい」


 頭が熱い。何を言っているのか自分でも半分わからなくなっている。

 

 目の前で泣きそうなアリカの顔も、どこか別の世界の話のようだ。


 俺はアリカを突き飛ばすようにして解放すると、誰もいなくなった崖の上を見上げた。


 雨が顔に当たる。だが、涙を流してくれるからそれでいい。

 これからの俺に涙はいらない。必要なのは、身体をつき動かす憎悪だけでいい。


「まずは……ギルダム中央村へ向かう。転移ゲートを利用して向かう目的地は――アルギアの召喚宮殿だ」

今回で第二章終了となります。

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