表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
80/107

レイという青年

 僕と大間老人は互いに黙ってにらめっこの形になっていたが、その沈黙を破ったのは桐松院会長の一言だった。


「大間さん、随分昔というが、あなたはこのお嬢さんにいつお会いになったのですか?」

 大間老人がくるりと横を向き、桐松院会長をにらんだ。

 その形相が厳しかったので、執事の大間さんがまた狼狽するのが見てとれた。

「わしが、ここの運転手をしておる時じゃ。あんたも憶えとらんか? のっぽのオカマが世田谷のあんたの家に良く行っておったじゃろ」


 のっぽのオカマ?

 記憶喪失以前に随分と昔の話みたいなので、僕には何のことか全くわからない。


「のっぽのオカマ……」

 桐松院会長はまるで商談の会合で考えこむように、険しい表情で腕を組んだ。

 僕は彼の和服の弁慶縞を穴が開きそうなほど見つめて、次の言葉を待った。

 しばらくして、会長は突然ポンと手を打った。

「ああ! それは令君のことかね?」

 会長の言葉に、大間老人は饅頭でも食べるようにモグモグと口を動かしていたが、

「そういえば、そんな名前じゃったような気がする。オカマじゃが、滅法男前じゃった」

「ああ、だとすれば令君で間違いない。オカマというのは腑に落ちないが」


 レイ君って誰だろう?

 僕と名前が同じじゃん。

 そう思いつつ、また二人のやりとりを待つ。


「とにかく、お前さんの所に一度だけ、このお嬢さんをわしは連れてったよ。憶えとらんか?」

 会長の視線が僕に移る。

 眼光険しい、その視線に僕はたじろぎ、思わず前髪をいじった。

 緊張すると、僕はそうするクセがあるのだ。

 会長は顎に手をあてがい、僕の顔をじっと見ている。

「うーん、そういえば、会ったこともあるような気もするが……。なにぶん、かなり昔の事だから……」

「あんたともあろう人が、物覚えの悪いことじゃな」

 大間老人が渋い顔で言い捨てると、執事の大間さんはテーブルからナプキンをつかみとり、こめかみの汗を拭った。

 うろたえる大間さんを見かねたのか、父が割って入る。

「うちの麗は、祖母の若い頃に瓜二つらしいですからね」

 ところが、大間老人はその言葉に憤然として答えた。

「わしの思い違いというのかね、あんたは? 瓜二つといっても、その頃は麗子さんはもう婆さんじゃったよ。いくらなんでも、この若いお嬢さんとは間違わん」

 主であった九条院家の当主に対しても、大間老人は容赦ない。


「お父さん、今日はもう引き上げましょうか?」

 大間さんは老人の肩に手を置いた。

「いや、帰るもんか。わしゃ、何も間違っとらん。のう、お嬢さん!」

 大間老人の首が僕にニュッと伸びる。

 いや、そんなこと訊かれても、僕はわからないですよ……。

 首から上が固まったように、僕の顔は引きつった。


「のう、お嬢さん!!」

 大間老人の首がさらに伸びる。

「あの、僕は憶えがないです……」

 ささやくような小声でつぶやく。これくらいしか答えようがないし……。

 僕がしおれるようにしゅんとなるのと入れ替わりに、父が何か思い出したのか、しゃべりはじめる。

「そういえば私が生まれる頃、一風変わった男がこの家に転がりこんでたと父から聞いたことがあります」

「それが令君だろう」と会長は父を指さした。

「私は名前を良く憶えてないですが、男が生まれなかったら、養子にして九条院を継いでもらおうと祖父が考えていたほど優秀な青年だったらしいです」

「そうだとも。私が今、この地位にあるのも彼のお陰といっても過言ではない」

 会長は目を閉じ、ひとりうなずく。


「私はその令君とは面識がないのですが、会長とは仲がよかったのですか?」

「私が青年実業家で、最初に会ったのは、彼がまだ高校生の頃だったかな? その後、大学に進んで卒業するくらいまでは、良く二人で経済論議に花を咲かせたものだ」

「ほう、その後、彼は?」

 父の問いに会長は首を軽く傾げた。

「さあ? ある時、ぱたりと現れなくなった。それきりで、お互い顔を合わせてない」

「大間さんは何かご存じで?」

 父が大間老人に訊くと、彼は顔を皺まみれにして笑った。

「オカマじゃから、そっちの世界に入ったんじゃろう」

 冗談のつもりだったのだろうが、相手は経済界の重鎮二人だ。

 ちょっと寒々とした空気が食堂に漂う。

 なんだか締まりが悪いが、その話は結局そこまでとなった。


 そもそも、そんな昔に僕が大間老人と会っているはずがないのだ。

 横に座る記者の大倉は、大あくびで退屈そうだ。

 彼にとってはどうでもいい話だったのだろう。

 その後、大倉は父に九条院グループを今後どうしたいかなどなど、経営に関する質問をいくつかした。

 大間老人は食べる物を食べてしまうと、椅子の上でうたた寝を始めていた。

 時間も過ぎ、そろそろお開きの時間になり、最後に大倉が父に訊いた。


「社長、そういえば、昨年九条院総研で起きた失踪事件について、その後何か調査に進展はあったのですか?」

 その問いかけと同時に、父の顔が苦虫を噛みつぶしたように歪んだ。

「いや、その件は特に進展はない」

 大倉は飄々とした顔でそれを聞き流すと、手にしたレコーダーを胸にしまった。

「まあ、うちはその手の雑誌じゃないんで、深く追及しませんが、余所のライターが、あの事件の事を嗅ぎ回ってるらしいですから、気をつけたほうがいいですよ」

 父はそれに「ああ、そうか」とだけ答え、広報の伊月さんに何かを耳打ちした。

 何のことかよくわからないので、僕は千春さんに訊いてみた。

「失踪事件って何のこと?」

 千春さんは困ったような顔になり、僕の耳もとでささやいた。

「お嬢様には関係ないことですよ」

 なんだか迷惑そうなので、僕はそれ以上は訊かなかった。


 僕は千春さんと、桐松院会長や他のみんなを玄関で見送り、自分の部屋に戻った。

 スカートを脱ぎ、下着のままごろりとベッドに寝転がる。

 僕はスカートはあまり好きじゃないので、宴席や会合などどうしても必要じゃない時以外は、あまり履くことがない。

 しばらく、そのままぼうっとしていたが、寒くなったので布団をかぶった。

 だんだんぬくぬくとなってきたので、今日の話に出たレイという青年のことを考えた。


 父が言うには その青年はこの家に転がりこんでたことがあるというけど──。

 そこで、僕に天啓が降りた。

 だとすると、向かいの部屋にある柱のイニシャルは、その青年が刻んだのじゃないだろうか!


 2011・5・1、RK


 Rはレイで、Kは九条院じゃない別の姓という可能性が高い。

 日付の時期的にも父の生まれた頃で、つじつまが合う。

 僕は布団の中でにんまりとした。


 でも、別にそれがわかったからって、どうしたということじゃないんだけど。

 とにかく今日は一日頭痛もしなくて良かった。

 そんなことを考えていたら、くしゃみが出た。


 僕は布団から出て、「ジャージ、ジャージ」と無意識に独り言をつぶやいた。

 それから、ふと思う。

 ジャージなんてここにはないのに、僕は何を言ってるんだ?

 クローゼットからパジャマを出し、それに着替える。


 その日の夢。

 僕は見知らぬ青年と東京の街を歩いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ