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九条院フィナンシャルグループ

 僕らは車で九条院フィナンシャルグループ本社に向かった。

 品川の九条院邸から内幸町の本社ビルまで、何度も通ったことのある道だ。

 でも、今日ほど先を急ぐ気持ちになったことはない。


 車中、麗ちゃんは手にした口紅をじっと見つめている。

 僕が「麗ちゃん、それ塗らないの?」と訊くと、彼女は、それをポケットに戻し、

「まだ使うには早そうね」と答えた。


「宝谷専務ならびに副社長、常務、総務部長は検察にて事情聴取だそうです」と前から冴島さんの声。

「それでどうなの? あと、グループ各銀行の頭取は?」

 麗ちゃんは冴島さんのシート後部を掴み、身を乗り出した。

「参考人として事情聴取なので、じき戻れるでしょう。各銀行の頭取には特に何もないようです」

「逮捕じゃなかったんだ。良かったー」と僕はうっかりした事を言ってしまい、思わず口をつぐんだ。

 麗ちゃんの眉はぴくっと動いたが、冴島さんが

「逮捕があるとすれば後日ですよ。私はそんなことはないと信じていますがね」とフォローを入れてくれた。


「とにかく重役会議を至急やらないと」

 そう言い、麗ちゃんは前髪をわさわさといじった。

「今本社に残っているのは平取ひらとりばかりですが、小栗おぐり執行役員が準備をしているはずです」

「そう、小栗さんが。じゃあ連絡してみるわ」

 麗ちゃんはすぐさま携帯を取り出し、話し始めた。


 いよいよ、僕らは渦中の本社ビルに乗りこむ。

 気を引き締めていかないと。


 ◇◆◇


 報道陣が大挙している正面口を尻目に裏口に回り、そこから本社ビルに入った。

 何局かのテレビ局クルーが張り込んでいたが、冴島さんは強行突破した。


 僕と麗ちゃんは車を降り、地下駐車場から役員専用エレベータに乗り、高層階へと上がった。

 エレベータを降りると、痩身の中年男性が立っていた。

 小栗執行役員だった。


「小栗さん、すぐに会議はできる?」

「はい、お嬢様。全員既に揃っております」

 彼は一礼し、答えた。

 それに頷き、麗ちゃんは彼と一緒に数歩進んでから、急に振り返った。

「あ。郁は──、二階の喫茶店で待っててくれない?」

 僕は無言で頷く。


 そう。いくら僕が麗ちゃんの付き添いとはいっても、社外の人間だ。

 まあ、いつものパターンなんだけど。


 二人の姿が部屋に消えるのを見届けてから、僕は下層階行きエレベータのボタンを押した。

 柔らかいチャイムと共にドアが開く。

 この瞬間──、いつも感じるけど、なんとなく寂しい気がする。

 特に今日は彼女にとって一大事であるだけに、全然役に立てない自分が情けない。

 エレベータに乗り込み、いつもと何ら変わらない下界を見下ろしていると、空虚な気持ちが僕の心を満たしていく。


 別に僕なんていなくても同じなんじゃ……。

 僕は当事者の気になって、空回りしてただけなんじゃないか?

 同じような疑問が何度も心に渦巻く──。


 チャイムの音が僕を呼んだ。

 扉が静かに開く。

 さあ、ここがお前の世界だぞ、と言うかのように。


 彼女は高層階の人間、僕は下界が似合いの人間。

 それは前からわかりきったことじゃないか。

 考えすぎるな。気楽に行け──、郁。

 僕は何かを否定するように首を振ると、喫茶店へ向かった。


 ◇◆◇


 喫茶店に入って、まだ昼食をとってないことに気づいた。

 こんな時でもお腹は減るもので、軽く食事をとろうとメニューを眺めてから、今度は財布に持ち合わせが大してないことを思い出した。

 仕方なく、ココアを注文する。


 ガラス張りの喫茶店からは外が良く見える。

 道沿いには報道陣の取材車が沢山並んでいるようだ。

 だが、ここにはそれらしき一行は見当たらないので、ビルの中には彼らは入れないのかもしれない。

 喫茶店の店員が数名窓辺に立ち、心配そうに外を眺めている。

 勤務時間のせいもあり、客は僕一人。

 いつもなら他にも社員らしき姿が見受けられるのだが、今日はみんなそれどころじゃないのだろう。


 あ! そういえば僕と麗ちゃんは午後の授業をサボって出てきたことになるんだ。

 麗ちゃんは事情が事情ということになるけど、僕はなんと説明すれば良いのやら……。


 ほどなくして、ココアが届く。

 ウエイトレスさんは良く見る顔で、僕がいるので、麗ちゃんが後から来るだろうとわかっているかもしれない。


 甘い香りのココアに口をつけた。

 空きっ腹に甘さと暖かさが心地よく染み渡っていく。

 静かな店内はまるで別世界だ。

 どろどろした事件とも関係なく、学校とも関係なく──、

 そこに今いる僕はいったい何なのだろう?


 ココアを飲み干してしまった僕は、今回の事件について考えようとしたが、いまひとつイメージが掴めなかった。

 ただ、マスコミがあれだけ大々的な扱いをしているので、社会的インパクトはかなり大きいことは僕にもわかった。


 何がきっかけでこういう事になってしまったのか?

 その事について、まさに今、麗ちゃんは上で話し合っているのだろう。

 いつもより長い時間が過ぎていく。

 道沿いの報道陣の車も数がかなり減ってきた。

 街灯が一つ二つと灯り、喫茶店に客が増え始めた頃、麗ちゃんが入ってきた。

「郁。お待たせ」

 麗ちゃんは明るくそう言い、僕の前に座った。

 しかし、その顔は疲れきった感じがした。


「お疲れ様。どうだった?」

「それがね……」

 麗ちゃんが俯き加減に、先を言い淀む。

「今回の件はおそらく社内の人間がリークしたんだろうって」

「え、どういうこと? それじゃ、自分で自分の首を絞めるようなもんじゃない?」

「いいえ、郁。これは反九条院派の仕業だと思うの!」

 麗ちゃんがにわかに顔を上げ語気荒く言い放った。


 僕はその言葉に驚いた。

「で、でも、九条院グループの人間には違いないんだろう?」

「おそらく九条院グループを破綻させた後で、どこかが関連企業を安く吸収してしまおうといったシナリオじゃないかしら」

 悔しそうに唇を噛む彼女。身内に裏切られ、華族としてのプライドを大きく傷つけられたのだろう。


「それで、これからどうするの?」

 僕の問いに、麗ちゃんはテーブルの上から僕の手を握りしめた。

「皇爵が今京都にいるの。先ずは今回の不祥事を皇爵にお詫びをしないと。郁も一緒に来てくれるわよね?」

「京都に、これから?」

「そうよ。リニアで今から京都に行くのよ」


 思いがけない展開に僕は戸惑った。

 これから、麗ちゃんと京都に!?


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