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九条院家の存亡(旧バージョン)  作者: 天川一三
2011年後編
73/107

分岐する未来

 何事もなく、何気ない日常。

 僕の記憶が戻らなかったら、今もこの時代でそんな生活が続いていたのかもしれない。

 七瀬さんに命を狙われたことさえ、度重なる事故で済ませていただろう。

「変なことが続くね」なんて言いながら、いつもどおりに学校へ通い、平凡な学生生活を送る。

 学校で八島さんに意地悪されたり、智晶さんと学校の帰りにファミレスへ寄ったり、きっと、そんなどこにでもあるような日常の中で泣き笑いして──。


 もしも、僕の記憶、そして麗ちゃんの記憶が戻らなかったら、そのほうが幸せだったのだろうか?


 自問自答してみたが、すぐに考えるのを止めてしまった。

 記憶が戻ってしまった今となっては、そんなことを考えてみても、仕方ないことだし。

 僕たちの運命は既に分岐してしまったのだから……。


「香ちゃん、ぼうっとしてると、またご飯こぼすわよ」

 凪沙さんの声に我に返った途端、箸の間からご飯を盛大に膝の上にこぼしてしまった。

「うわあ!」と慌てて、膝に落ちたご飯をかき集める。

「ほら、言わんこっちゃない」

 仁科家のキッチン、テーブルの向こうで凪沙さんと平吉さんが箸を片手に笑っている。

 隣を見ると、平太が持つ味噌汁の椀が震えている。噴き出すのをこらえているようだ。

 僕は「へへっ」と愛想笑いをして、立ち上がり、こぼしたご飯を残飯入れまで持っていった。

 4月25日の宵、仁科家の食卓はいつもと何ら変わりがない。

 ちょっと違うのは、喫茶店が休みなせいで、夕食の時間がいつもより早いくらいだろう。

 仁科家にとって店の営業ができないのは大問題だが、凪沙さんも平吉さんも暗い顔の一つも見せない。


 僕が未来に戻ってしまうと、店の人手が減ってしまうけど……。

 そのことを相談したいと思ってはいるが、まだ未来に戻れるかどうかも定かでないし、なにより平太同様、凪沙さんと平吉さんに信じてもらえるはずがない。

 何もかもみんなに打ち明けたい気持ちはある。

 だが、そんなことをすれば、また病院送りだ。しかも、次は間違いなく精神病院だろう。

 そんな訳で、僕はいつもどおりドジを踏みながら、いつもの日比野香を演じていた。

 もし、未来に戻れなければ一生演じ続けるのかもしれないけど、それならそれでいいとも思っている。


 夕食の後片付けを手伝い、テレビでも見ようとリビングに行くと、ちょうど出てくる平太とすれ違った。

「平太、お風呂でも入るの?」

「いや、数学の授業でたんまり宿題が出たんでやらないと」

「そうだっけ?」

 思い出そうとしたが、今日の授業は全部上の空で、ほとんど頭に入ってない。

「香、お前なあ……。最近やけに宿題忘れてないか?」

 はい、そのとおりです。じゃなくて……。

「後で宿題教えてよ」

「じゃあ、後で俺の部屋へ来いよ」

 平太は面倒くさそうな顔して、自分の部屋に入っていった。


「せっかく一緒にテレビでも見ようかと思ったのに……」

 でんとリビングのソファーに腰を下ろし、リモコンでテレビを点けた。

 横では平吉さんが夕刊を広げている。

 僕がニュースを眺めていると、平吉さんが夕刊越しに話しかけてきた。

「香ちゃんは高校を卒業したらどうするつもりだい?」

「えっ? どうするってどういうことです?」

 平吉さんのほうを向くと、夕刊の脇から顔を少しのぞかせ、

「大学へは行きたくないかい?」と訊いてきた。

「うーん、あまり考えたことないです。記憶障害のこともありますし」

「そうかい。まあ、まだ先のことだし、行きたくなったら遠慮なく私か凪沙に言っておくれ」

 平吉さんは顔を戻して、夕刊を読み始めた。

「ありがとうございます」

 僕は夕刊に向かって、頭を下げた。


 身寄りのない僕の将来まで考えてくれている──、そう思うと胸が熱くなった。

 そんな僕は壊れた喫茶店を放ったらかしにして、未来へ帰ろうとしている。

 どうにもいたたまれない気持ちになり、テレビを消し、そそくさとリビングを出た。

 自分の部屋に入りかけたが、麗ちゃんに連絡をしようと思い直し、キッチンへ戻った。

 凪沙さんに断り、受話器をとる。

 麗ちゃんの携帯にはすぐ繋がった。


「あっ、麗ちゃん。郁だよ。今いい?」

「ちょっと待ってね」

 電話で話すと篤の声だけなので変な感じだ。誰かと話している、その声が小さくこっちに聞こえてくる。

「お待たせ。いいよ」

「今どこにいるの?」

「桐松院さんのお宅だよ」

 麗ちゃんは桐松院さんの前ではオカマ言葉じゃない。

「えっ! また、行ってるの?」

「うん、色々あってね」

「今日、学校休んだよね。明日は麗ちゃんは来るの?」

「いや、明日は冴島の病院に行こうと思ってるんだ。今後のことを打ち合わせしないといけないし」

「あっ、そうなんだ。あまり日も残ってないから、急がないといけないしね」

「そうそう。色々考えたいこともあるから、当分学校は休むと思う」

 麗ちゃんは未来の九条院家の窮地を救うという、当初の目的を達成しないといけないので大変だろう。

 いくら麗ちゃんでも、時間が少なすぎる。

「当分休みなの? じゃあ、僕に何か手伝えることない?」

「……うーん、郁はちゃんと学校に行っておきなさい。みんなとお別れになるかもしれないから」

「わかった……。何か手伝えることあったら、すぐに言ってね」

「ありがとう、郁。じゃあ、また連絡するから」

 通話は終わった。


「九条院さんなの?」

 凪沙さんがちょっと怪訝な顔で僕を見る。

 おそらく、早朝から急に押しかけてきたり、僕の帰りが遅くなったりで、凪沙さんは麗ちゃんに、あまり良い印象を抱いてないのかもしれない。

 僕はうなずくと、またそそくさとキッチンを出ていった。


 部屋でゴロリと床に寝転ぶ。

 麗ちゃんは何かを頑張っているのに、僕だけいつもの生活と変わらない。

 これじゃ、僕がこの時代に来た意味がないんじゃないの?

 そんなことを考えながら、しばらく天井を睨んだ。

 ふと思い立ち、鏡台までいざり、時計型の装置を手に取った。

 バッテリー残量はまだ一回は使えそうなくらいは残っている。

 いずれにしてもチャンスは一回。

 これを使って、柴久万が来なければ、僕も麗ちゃんもずっとこの時代だ。

 冴島さんと七瀬さんもこの装置を持っているだろうけど、タイムマシンのほうが破棄されれば元も子もないし……。

 装置を鏡台に戻す。


 果たして僕は自分自身、未来に戻りたいと思っているのだろうか?

 考えれば考えるほどわからなくなる。

 未来には僕らのいた世界があり、この時代には今の僕の生活がある。

 帰らなくちゃという気持ちもあるし、残りたいと思う気持ちもある。

 だから、来るかどうかわからないタイムマシンに、僕は自分自身の運命を託してみようと思う。

 僕の未来はそこでまた分岐する。


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