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九条院家の存亡(旧バージョン)  作者: 天川一三
2011年後編
67/107

桐松院さんと麗ちゃん

 日曜になり、僕はひとりで出歩くこともできない身なので、また家にこもっていた。

 昨日、平太には本当のことを告白したものの、信じてもらえてないようだ。

 平太の僕に対する態度は、これまでとなんら変わらない。

 平太から平吉さんや凪沙さんには言うな、と口止めされてるし、僕も信じてもらえる自信がないので、放ったらかしにしたままだ。

 そんな感じで、普段となんら変わりない日曜なのだが──。


 僕は机の前で、残りの二週間に何をすべきかを考えていた。

 二週間といっても、それは冴島さんから聞いたタイムマシンを破棄する最終期限なわけで、それまでに余裕をもって未来に帰らなければいけないだろう。

 しかも、それも柴久万が未来で対応できるかどうかの一発勝負になってしまう。

 真剣に考えなきゃいけないのだが……。

 やるべきことをまとめようとして開いたレポート用紙には、『あと2週間』の言葉が、ずらずらと写経みたいに並ぶばかりだった。


 僕はシャープペンを置き、ため息をついた。

 窓からのぞく空はいつもと変わりなく、ゆっくりと綿雲が流れている。

 それを眺めていると、タイムマシンで未来に帰るなんてことは絵空事のように思えてくる。


 僕はずっとこの時代で、この先も生き続けるんじゃないかな?


 そっちの予感のほうが強いように思える。

 そう考えているうちに、僕はあることを思いついた。

 未来に帰ることができるかどうかは不確定だ。

 だとすると、僕がやるべきことはこれしかない──。

 僕はうなずき、手を打った。けど、あまりいい音はしなかった。


 と、玄関のインターホンが鳴った。

 僕は部屋を出て、玄関に向かった。

 また麗ちゃんだったりして、と思ってドアを開けると、そのとおりだった。

「こんにちは、郁。また、今日もつきあってくれる?」

 麗ちゃんは僕を見下ろし、ニコリと笑った。

 今日は麗ちゃんは何故かスーツを着ていた。高そうなスーツで、篤くらいの身長がないと似合いそうにないデザインだった。


「あら、また九条院さん……」

 後ろから声がして振り返ると、凪沙さんがいた。

 平太も部屋から半身でこっちをのぞいている。

「今日も香さんをお借りしていきますけど、いいでしょうか?」

 麗ちゃんは凪沙さんに訊ねた。

「まあ、九条院さんが一緒ならいいですけど……」

 凪沙さんは二日も連続して麗ちゃんが押しかけたことに、疑問を感じているようだ。

「絶対、間違いは起こしませんので」

 麗ちゃんは勘違いされそうな言い回しで、凪沙さんにそう断り、「さあ、早く着替えて」と僕を押し戻した。

 平太は僕と目が合うと、すぐに部屋に引っこんだ。

 部屋に戻り、麗ちゃんが立派な格好なので、何を着るか迷った挙げ句、学校の制服を着ていくことにした。

 日曜まで、スカートを履きたくなかったんだけどなあ……。


「いってきます」とまだ怪訝な顔の凪沙さんに挨拶し、外へ出た。

 マンションの外には、今日は黒塗りの車が停まっていた。

 麗ちゃんに手を引かれ、車に乗りこむ。

 運転手は今日も大間さんだった。


「麗ちゃん、これからどこに行くの?」

「桐松院さんのお宅よ」

「えっ! 桐松院さん? だから、正装なの?」

「まあ、そこまですることもないんだけど、未来の桐松院皇爵を知ってると、なんだか気を引き締めないといけない気がしてね」

 麗ちゃんは流れる景色を見ながら笑った。

「桐松院さんはどこに住んでるの?」

「世田谷の奥沢よ」

「奥沢? こっちじゃ、まだ皇居跡地じゃないんだね」

「そうね、まだ皇居は都心にあるしね。私もいつかは知らないけど、いずれにしても皇居がなくなった後でしょうね」

 僕と麗ちゃんは普通にそんな話をしてしまったが、前で運転する大間さんはどう感じただろうか?

 いくら、麗ちゃんのオカマ言葉に慣れているとはいえ、内容が不審すぎるし。


 やがて車は、自由が丘を過ぎ、奥沢へと入った。

 住み心地の良さそうな街で、眺めていると散歩でもしたくなる。

 右手に神社が見え、駅前を通り、しばらくした辺りで車は停まった。


「ここなの?」

 車が停まったのは、古そうな日本家屋の前だった。

 黒々とした瓦屋根の木造平屋で、門の先に見える扉も窓も、サッシでない木枠に板ガラスのようだ。

 木の塀の上から、綺麗に剪定された松の木が一本、僕たちを迎えるようにのぞいている。

 麗ちゃんに導かれ、車を降り、玄関に向かった。

 大間さんは、僕たちが降りても車を動かさなかった。

 どうやら、このままここで待っているようだ。


 玄関の前に立ち、上を見ると、真鍮の傘に裸電球のランプがちょこんとあった。

 きっと、昭和って時代に建った家だよね。

 僕は物珍しさに、きょろきょろと玄関先を見回した。

 玄関の横には『牛乳』と書かれた郵便受けほどの木箱があったけど、意味が良くわからなかった。

 ベルもないようで、麗ちゃんが引き戸をガンガンと拳で叩きながら、桐松院さんの名を呼んでいる。

 そういえば、ある映画で郵便屋さんが「電報でーす」と、今の麗ちゃんと同じことをしているシーンを見たことがある。

 しばらくして、磨りガラスの向こうに人影が見え、カチャカチャと扉の中央辺りで音がしてから、戸が開いた。


「やあ、九条院君、待ってたよ」

 出てきた作務衣姿の人物──、随分と若いが桐松院静流、その人に間違いなかった。

 しっかりとした眼差しから、そして、全身からオーラというかエネルギーを感じる。

 僕がじっと桐松院さんの顔を見ていたら、彼も僕に気づいた。

「おや、君は病院で以前お会いした……、日比野香さんだったね」

 会ったといっても、ほんの少しだけで会話もしていない。

 そんな僕を、フルネームで憶えていたことに、ちょっと驚いた。


「こんにちは、桐松院さん。日々之郁です」

 僕がぺこりと頭を下げると、桐松院さんは嬉しそうに笑い、

「可愛いお嬢ちゃんだね。……っと、誰かに似ているような気もするが」と目を細め眉間の辺りを指でさすった。

「きっと、うちの麗子おば様ですよ。若い頃にそっくりだそうです」

「あっ、そういえば。写真を見せてもらったことがあるよ。うん、似てる。似てる」

 ぽんと手を打ち、桐松院さんは体を左右に揺すり、僕をためつすがめつ見直した。

 リアクションがわからず、僕は「へへっ」と曖昧に笑った。

 すぐに桐松院さんも見飽きてくれて、僕たちを家の中へ誘った。


 廊下は板張りで薄暗く、途中、台の上に、やはり映画で見たことがある丸いダイヤルの真っ黒な電話があった。 

 僕たちは例の松の木が見える十畳くらいの座敷に案内され、そこに腰を下ろした。

 座布団の上に思わず胡座あぐらをかいてしまったら、麗ちゃんが喉を鳴らし、僕を警告した。

 あっ! いけない!

 慌ててスカートを舞わし、正座し直した。

 でも、麗ちゃん。ずっとこのままだと、ちょっと辛いんですけど……。

 僕はこの先の苦痛を考え、憂鬱になった。


 桐松院さんがお盆に湯呑みを乗せ、持ってきた。

 大きな分厚い一枚板の座卓に、それを置き、

「どうぞ、足を崩して、楽にしてください」と言ってくれたので、僕はすぐにぺたんとあひる座りをした。

 すると、麗ちゃんは空咳で僕を威嚇したが、ずっと正座は無理なので無視した。


「九条院君も楽にしていいよ」

 すっと桐松院さんの手が伸びると、麗ちゃんも「じゃあ、お言葉に甘えて」と長い足を器用に組んで、胡座をかいた。

 どうも、麗ちゃんの作法だと、一度目から相手の言葉に甘えてはいけないようだ。

 桐松院さんも「よいしょ」と向かいに胡座をかいた。

 年齢はこの時代だと二十代後半くらいだと思うのだが、ちょっと爺臭いかも。

 老人の頃の桐松院さんしか知らないので、余計にそう思える。


「それで、九条院さん。今日のお話というのは?」

 桐松院さんは顎をさすりながら、麗ちゃんを見た。

 麗ちゃんは、せっかく崩した足をほどき、また正座し直した。

 そして、座卓に少しにじり寄り、頭を軽く下げた。


「実は、桐松院さんに九条院家をお救いしていただきたく、今日はお願いに参りました」

 それを聞き、桐松院さんの方眉がぴんとつり上がった。

 僕はデジャヴュのような既視感を憶えた。

 だが、それはデジャヴュではなく、何かに似てる、と感じたことにすぐに気づいた。


 それは、あの出来事──。

 未来で麗ちゃんと僕と宝谷専務と、桐松院本邸を訪ねた時に、似てると僕は思ったのだ。


 ◇◆◇


 2062年6月の土砂降りの日、僕は麗ちゃんに連れられ、華族街にある桐松院皇爵邸を訪ねたことがある。

 その時の麗ちゃんの目的は、経済的危機に直面した九条院グループの家電部門を皇爵に買い取ってもらうことだった。


 そして、それから時を遡ること五十年あまり。

 2011年の今、僕と麗ちゃんは再び桐松院邸を訪れている。

 前回との違い。

 それは──、

 桐松院さんの若さ、

 彼の邸宅が平凡な日本家屋なこと、

 麗ちゃんが篤の姿で、僕が麗ちゃんの姿であることだ。

 作務衣姿で向かい側に座る桐松院さんは、そんな事を全く知らないはずだ。

 だって、僕たちに会うのは、彼にとって未来の出来事なのだから。

 桐松院さんは、頭を垂れる青年実業家のような麗ちゃんをじっと見ていたが、タンと湯呑みを置いた。


「九条院家を救うもなにも、九条院銀行はこの間の金融危機も無難に乗り越え、今やメガバンク並の財務内容といわれるほどの銀行じゃないか。その銀行を私に救って欲しいとは、どういうことだい?」

 麗ちゃんが頭を上げ、桐松院さんを見据える。

 篤本人の時には見たこともない、静かだが熱い眼差しだった。

「いえ、それは今ではないのです。将来、九条院グループが経営危機に陥らぬように、これから桐松院グループと信頼関係を築き、互いに共存共栄したいと思うのです」

「桐松院グループとはいっても、小さな電気屋と祖父から譲り受けた証券会社だけだよ」

「いえ、桐松院さんは将来必ず日本の経済を背負う方になる、と私は思います」

「ははは、九条院君のお世辞も大仰だな。まあ、九条院君ほどの人に言われると、私も悪い気はしないがね」

 桐松院さんが作務衣の袖をたくし上げ、白い歯を見せ、笑った。


 麗ちゃんの言うとおり、彼はいずれ日本経済界の頂点を極める人物なのだが、どうやってここから登り詰めたのだろう?

 僕は素朴な疑問を感じた。

 未来のテレビではそういった特集をたまにやっていたはずだが、真剣に見てなかったことを少し後悔した。

 麗ちゃんに訊けば知っているだろうが、今はそんなことを気軽に聞けそうな雰囲気でもない。

 耳元で囁こうにも、背が違いすぎて届かないし。

 仕方ないので、お茶をずずっとすすったら、麗ちゃんの長い手が僕の腿をぴしゃっと叩いた。

 音を立てるな、ということだろう。

 僕は恨めしげに顔を見上げたが、すぐに麗ちゃんはしゃべり始めた。


「桐松院さん、とにかく今後も一緒に頑張りましょう。きっと、私のほうが桐松院さんから教わることばかりでしょうけど」

「九条院君、冗談はやめたまえ。まだ、君とのつきあいも一年に満たないが、私が見る限り、君の経営者としての資質は希有けうなものだと思うよ。私なんかより、もっと広い世界に目を向けたほうがいい」

 なんだか既に信頼関係ができあがっているような良い雰囲気だった。

 互いが尊重しあっているというか、見つめ合う視線がそんな和やかなムードだ。

 それにしても、麗ちゃんは「今後も一緒に」なんて言っちゃっていいのかな?

 まあ、九条院家のことを言ってるのだろうけど。


「ところで、そこの可愛いお嬢ちゃんは九条院君の彼女かな?」

 桐松院さんが腕を組み、僕に視線を移した。

 あれ? 以前も桐松院さんに同じようなことを訊かれたような訊かれないような?

 その時は、もちろん元の体だったから、彼女ではなく彼氏だったけど。

 彼女なんて言われたせいか、なんだか背中がムズムズしてきた。

 僕が黙ってるものだから、麗ちゃんが取り繕った。

「あ……、はい、まあ……、そのようなものですが、ちょっと今日は桐松院さんにご紹介したくて連れて参りました」

 そのようなもの、って何?

 僕は麗ちゃんを無言で睨む。

 麗ちゃんがしどろもどろなところは久しぶりに見たような気がする。

 まあ、体は篤だから初めてとも言えるんだけど。


「ほう、紹介とはどういうことだね?」

 桐松院さんは興味深げな目で、僕と麗ちゃんを交互に見た。

「この子は、将来九条院家を担うことになると思いますので、是非お見知りおきをと」

「この子が……?」

 桐松院さんが僕のほうに首を伸ばす。

 僕は「はい、まあ、そのお」と意味のないことをつぶやいた。

 すると、桐松院さんが掌をポンと拳で打った。

「ああ、許嫁いいなずけということだね! そりゃ、夫婦は車の両車輪というか、互いに九条院家を支えることになるしね」

「ええ、そうです。そうです」

 麗ちゃんはもうヤケクソのように首を振った。


 それからは、麗ちゃんと桐松院さんの日本経済談議が続いた。

 当然、僕は聞き専で、うなずいたり、「へえー」とか相槌を打ったりした。

 若い桐松院さんは、未来と同じように日本の行く末を案ずる立派な経済人だった。

 けれど、麗ちゃんが語る日本の未来は、桐松院さんの想像より厳しいものらしかった。

「そうかね?」とか「そうかなあ?」と桐松院さんが小首を傾げる場面が多々あった。

 とはいえ、麗ちゃんはこれからの歴史を知ってるので、間違いはないのだ。

 おそらく、麗ちゃんは、これから日本で起こる経済危機を、桐松院さんが忘れないように、印象づけたかったのだろう。


「まあ、とにもかくにも、九条院君のような人物がいれば、日本の未来も明るいというものだ」

 ガラス戸から西陽が射しこむ頃、桐松院さんは麗ちゃんを眩しそうに見ながら、そう語った。

「じゃあ、私たちは今日はこの辺で」

 麗ちゃんが後ろにいざり、畳みに手を付いた。

 僕も慌てて、真似をする。

「二人とも夕飯でも食べていけばいいのに。寿司でもとるよ」

「いえ、ちょっとこれから所用がありますので」

 麗ちゃんは顔の前で手を振った。


「じゃあ、またいつでも来なさい」

 門の前で桐松院さんが九条院さんの背を叩く。

「ええ、また来ます」と麗ちゃんと僕は一礼した。

「じゃあ、香ちゃんも、またね」と桐松院さんは手を振ってくれたが、僕にはこれが最後のような気がしてならなかった。

 それでも「はい」と返事をし、深々とまた頭を下げた。


 夕陽に照らされる桐松院さんの顔を、じっくりと眺めてから、車に乗りこんだ。

 走り去る車から見える桐松院さんは、家族を見送る普通のお父さんのように見えた。

 その姿がちょっと淋しげで、僕は麗ちゃんに訊ねた。

「桐松院さんは結婚してないの?」

「うん、まだみたいね。私も皇爵がいつ結婚したかは知らないけどね」

「ちょっと淋しそうだったね。麗ちゃんはまたここに来るの?」

「ええ、行くわよ」

 麗ちゃんはそう答え、窓の外に顔を向けた。


 未来に戻る猶予期間は既に二週間を割りこんでいるので、来れてもあと二、三回だろうな……。

 麗ちゃんがいなくなると、桐松院さんもさぞかし残念がるだろう。

 麗ちゃんと桐松院さんの別れを思うと、僕はちょっと胸が痛んだ。


「でさ、これからどうするの?」

「郁は九条院家で夕食よ」

「ええーっ! そんなこと急に言われてもね……」

「あら、何度も来たことあるし、気兼ねもないでしょ?」

「そりゃ、昔の話だよ。こっちじゃ、一回だけだし。家の人もいるんでしょ?」

「いるけど、気にしないの。いいから。いいから」


 麗ちゃんは気軽に言うが、昔というか未来じゃ顔馴染みでも、こっちじゃ初対面の人ばかりだろう。

 僕はにわかに胃がきりきりと痛くなってきた。

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