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九条院家の存亡(旧バージョン)  作者: 天川一三
2011年後編
63/107

その体でいいの?

 新橋に着くまで、車の中でずっと麗ちゃんは考え事をしているみたいだった。

 僕が肩を揺すって、車が目的地に着いたことに、やっと気付いた。


「すみません。これから仕事が入ってますので、今日はここで失礼いたします」

 運転席から後ろを振り返り、冴島さんが頭を下げた。

「いえ、今日はどうもありがとうございました。なんとお礼を申し上げたら良いか」

 麗ちゃんは膝に顔がつきそうな勢いで、深々とお辞儀をした。

 車から降りる間際、麗ちゃんが冴島さんに名刺を渡した。

「入院の費用などについては、私どものほうでもご援助したいと思いますので」

 そうか! 冴島さんも保険が効かないんだよね。

 長期入院じゃ、びっくりする程の出費になっちゃうよ。

 いったい、いくらくらいになるんだろう?

 冴島さんは両手で名刺を受け取り、「お気遣いありがとうございます」と目礼した。


 走り去る軽自動車を見送り、僕らは新橋駅に向かった。

 麗ちゃんは歩きながらも、「あと二週間……」と独り言をつぶやいていた。

「僕は品川に帰るけど、麗ちゃんは?」と券売機の前で、料金表を見ながら訊いた。

「何言ってるの! あなたを家かお店まで送るわよ。あなた、自分が狙われているのを、もう忘れたの?」

 麗ちゃんが僕を睨む。


 確かに、僕は危機感が少し欠如しているかもしれない。

 死んでしまえば、未来には永久に帰れなくなってしまう……。


 京浜東北線で品川まで戻ってきた。

 腕時計を見たら、午後時。

 思ったよりも早い時刻だった。

 土曜の午後、いつもなら昼ご飯を食べてゴロゴロしているか、お店の手伝いをしている頃だ。

 改札を抜け、麗ちゃんの顔を見ると、なんとなく元気がない。

「どうしたの?」と訊ねたところ、

「恥ずかしいんだけど……、お腹が減っちゃって」と麗ちゃんは苦笑い。

 そういえば、出かけてから何も食べていなかった。

「この体、燃費が悪いのが玉にきずでね。まあ、図体がでかいから仕方ないとは思うんだけど……」

「じゃあ、うちのお店で何か食べれば?」

「いや、二人で話したいことがあるから、この辺のお店に入りましょう。どこか、いい所ある?」

 それじゃあ、ということで考えたが、前に智晶さんと行ったファミレスしか僕は知らなかった。

 麗ちゃんに言うと、「そこで構わない」ということなので、僕らは駅前の通りを渡り、ファミレスに向かった。


 ファミレスは土曜のお昼過ぎで、まだ混んではいたが、どうにか座ることができた。

 麗ちゃんの動きは徐々に緩慢になっている。

 そんなにお腹が減っているのかな?

 そんなことを思っていたが──。

 ひとしきり食事を摂ると、麗ちゃんは目に見えて元気を取り戻した。

 篤の体は例えるとアメ車みたいなものだろう。

 燃費が悪いけど、パワーはある。

 麗ちゃんは、やっと一息ついたようで、満足そうに水を飲んでいる。


 僕は麗ちゃんに相談したいことがあった。

 それは、僕の今一番の悩みかもしれない。

 コップを置き、ナプキンで口を拭う麗ちゃんに、僕はそれを打ち明けた。

「ねえ、麗ちゃん。僕が未来へ戻ること、仁科家の人にどう説明したらいいと思う? この間、自分が未来からこの時代に来たことを説明したんだけど、全然信じてもらえないし、正直、僕は説得できる自信がないんだ」

「それは郁が誠意をこめて、仁科家の人たちへ説明するしかないんじゃない? けれど、それでもダメだったら……」

「ダメだったら、どうするの?」

「そのまま、未来に帰っちゃえば?」

 麗ちゃんは冷ややかな目で僕を見た。

 篤のそういった目つきは昔から苦手だ。

 僕は思わず視線をそらす。


「でも、それじゃあ、あんまりだと思うんだ。一年近くもお世話になっているのに……」

「それは郁自身の問題なんだから、郁が自分で考えなさい。私は九条院家の今後のこととか、他にも色々考えなきゃいけないことがあるし」

 麗ちゃんはメニューを開いた。

 結構食べたのに、まだ、食べ足りないのだろうか?

 まあ、いいけど……。

 麗ちゃんのアドバイスを期待していたのに、なんだか突き放された感じがして、ちょっとがっかりした。

 体だけでなく、篤の冷ややかな性格まで麗ちゃんに乗り移ったんじゃないか、と思った。

 そんな僕の思いを気にする様子もなく、麗ちゃんは横を通り過ぎるウエイトレスを呼び止め、オーダー追加している。

 僕は手にしたコップをわざと音を立てて置いた。


「じゃあ、麗ちゃんは、九条院の人たちにどう説明するのさ?」

「私? さーて、どうしようかな? まあ、適当に考えておくわ」

 麗ちゃんは素っ気なく答えると、パタンとメニューを閉じた。

 あんまりな回答に、ちょっと腹が立った。

 ひとりで勝手に未来に帰っちゃおうかな、とも考えたが、五稜や冴島さんもいるし、柴久万の記憶喪失のこともあるので、事はそう単純じゃない。

 色んなことがありすぎて、自分ひとりじゃ、解決できそうにない。

 やっぱり、麗ちゃんが頼りだ。

 麗ちゃんは窓のへりに肘をつき、通りを眺めながら、つぶやいた。


「ねえ、郁は未来に帰りたいよね?」

「僕は……、そうだね。こっちじゃ、色んなことが不安だし。戸籍や保険もないし……」

 麗ちゃんは僕の答えに、「そうね」と生返事をして、またつぶやいた。

「郁はその体のままで平気?」

 その問いに、自分の手に目がいった。


 ちょっとだけ、昔の自分から小さくなった掌。

 麗ちゃんの掌──。

 僕はそれを開いて閉じた。

「僕は平気だよ。そりゃ、元の体に戻れれば、一番いいんだろうけど、どう考えても無理っぽいし……」

「それを聞いて、安心したわ!」

 麗ちゃんはこっちを向き、ニコリと微笑んだ。

 その笑顔を見ても、どういう訳か、昔のように嫌な感じはしなかった。

 篤の笑顔なんだけど。


 麗ちゃんのオーダーした、デザート──、チョコパフェが運ばれてきた。

 麗ちゃんは嬉しそうに、それを食べ始める。

 とても美味しそうに食べるので、「僕も食べようかなあ」とつぶやくと、

「私の体をぶくぶく太らせないでね」と釘を刺された。


 ようやくお腹がいっぱいになった麗ちゃんとファミレスを出た。

 お店への坂を上りながら、麗ちゃんは通りを首を巡らし見回している。

 そういえば、ここの高校へ初めて来た時も、今と同じように、興味深そうに通りに並ぶお店を麗ちゃんは見ていた。

「この通りは活気があっていいわね」

 麗ちゃんの声が弾んでいる。

 よっぽど、この通りが気に入っているのだろう。


 僕も一緒になって、通りを見回す。

 土曜の昼下がり。

 お店の袋を揺らし行き交う人々。

 足を止め、ウィンドウをのぞきこむ人。

 こっちの歩道も、あっちの歩道も、そこかしこに人がいる。

 確かに、麗ちゃんの言うとおり、活気に溢れた光景だ。

 麗ちゃんにうなずき、微笑む。


 仁科家の店の前に着いた。

 店に突き刺さっていた黒いボックスカーを取り除かれていた。

 壁の穴が空いている箇所は、大きな板が置かれ、ふさがれている。

 立ちつくして、それを眺める僕の背を、麗ちゃんが叩く。


「さあ、郁、行きなさい。あなたが心をこめて話せば、きっと仁科家の人は信じてくれるわ。少なくとも、彼はね」

 麗ちゃんの視線の先、店の窓に、動く平太の姿が見えた。


「うん! そうだね」

 僕は大きくうなずき、店へと歩いていった。


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