その体でいいの?
新橋に着くまで、車の中でずっと麗ちゃんは考え事をしているみたいだった。
僕が肩を揺すって、車が目的地に着いたことに、やっと気付いた。
「すみません。これから仕事が入ってますので、今日はここで失礼いたします」
運転席から後ろを振り返り、冴島さんが頭を下げた。
「いえ、今日はどうもありがとうございました。なんとお礼を申し上げたら良いか」
麗ちゃんは膝に顔がつきそうな勢いで、深々とお辞儀をした。
車から降りる間際、麗ちゃんが冴島さんに名刺を渡した。
「入院の費用などについては、私どものほうでもご援助したいと思いますので」
そうか! 冴島さんも保険が効かないんだよね。
長期入院じゃ、びっくりする程の出費になっちゃうよ。
いったい、いくらくらいになるんだろう?
冴島さんは両手で名刺を受け取り、「お気遣いありがとうございます」と目礼した。
走り去る軽自動車を見送り、僕らは新橋駅に向かった。
麗ちゃんは歩きながらも、「あと二週間……」と独り言をつぶやいていた。
「僕は品川に帰るけど、麗ちゃんは?」と券売機の前で、料金表を見ながら訊いた。
「何言ってるの! あなたを家かお店まで送るわよ。あなた、自分が狙われているのを、もう忘れたの?」
麗ちゃんが僕を睨む。
確かに、僕は危機感が少し欠如しているかもしれない。
死んでしまえば、未来には永久に帰れなくなってしまう……。
京浜東北線で品川まで戻ってきた。
腕時計を見たら、午後時。
思ったよりも早い時刻だった。
土曜の午後、いつもなら昼ご飯を食べてゴロゴロしているか、お店の手伝いをしている頃だ。
改札を抜け、麗ちゃんの顔を見ると、なんとなく元気がない。
「どうしたの?」と訊ねたところ、
「恥ずかしいんだけど……、お腹が減っちゃって」と麗ちゃんは苦笑い。
そういえば、出かけてから何も食べていなかった。
「この体、燃費が悪いのが玉にきずでね。まあ、図体がでかいから仕方ないとは思うんだけど……」
「じゃあ、うちのお店で何か食べれば?」
「いや、二人で話したいことがあるから、この辺のお店に入りましょう。どこか、いい所ある?」
それじゃあ、ということで考えたが、前に智晶さんと行ったファミレスしか僕は知らなかった。
麗ちゃんに言うと、「そこで構わない」ということなので、僕らは駅前の通りを渡り、ファミレスに向かった。
ファミレスは土曜のお昼過ぎで、まだ混んではいたが、どうにか座ることができた。
麗ちゃんの動きは徐々に緩慢になっている。
そんなにお腹が減っているのかな?
そんなことを思っていたが──。
ひとしきり食事を摂ると、麗ちゃんは目に見えて元気を取り戻した。
篤の体は例えるとアメ車みたいなものだろう。
燃費が悪いけど、パワーはある。
麗ちゃんは、やっと一息ついたようで、満足そうに水を飲んでいる。
僕は麗ちゃんに相談したいことがあった。
それは、僕の今一番の悩みかもしれない。
コップを置き、ナプキンで口を拭う麗ちゃんに、僕はそれを打ち明けた。
「ねえ、麗ちゃん。僕が未来へ戻ること、仁科家の人にどう説明したらいいと思う? この間、自分が未来からこの時代に来たことを説明したんだけど、全然信じてもらえないし、正直、僕は説得できる自信がないんだ」
「それは郁が誠意をこめて、仁科家の人たちへ説明するしかないんじゃない? けれど、それでもダメだったら……」
「ダメだったら、どうするの?」
「そのまま、未来に帰っちゃえば?」
麗ちゃんは冷ややかな目で僕を見た。
篤のそういった目つきは昔から苦手だ。
僕は思わず視線をそらす。
「でも、それじゃあ、あんまりだと思うんだ。一年近くもお世話になっているのに……」
「それは郁自身の問題なんだから、郁が自分で考えなさい。私は九条院家の今後のこととか、他にも色々考えなきゃいけないことがあるし」
麗ちゃんはメニューを開いた。
結構食べたのに、まだ、食べ足りないのだろうか?
まあ、いいけど……。
麗ちゃんのアドバイスを期待していたのに、なんだか突き放された感じがして、ちょっとがっかりした。
体だけでなく、篤の冷ややかな性格まで麗ちゃんに乗り移ったんじゃないか、と思った。
そんな僕の思いを気にする様子もなく、麗ちゃんは横を通り過ぎるウエイトレスを呼び止め、オーダー追加している。
僕は手にしたコップをわざと音を立てて置いた。
「じゃあ、麗ちゃんは、九条院の人たちにどう説明するのさ?」
「私? さーて、どうしようかな? まあ、適当に考えておくわ」
麗ちゃんは素っ気なく答えると、パタンとメニューを閉じた。
あんまりな回答に、ちょっと腹が立った。
ひとりで勝手に未来に帰っちゃおうかな、とも考えたが、五稜や冴島さんもいるし、柴久万の記憶喪失のこともあるので、事はそう単純じゃない。
色んなことがありすぎて、自分ひとりじゃ、解決できそうにない。
やっぱり、麗ちゃんが頼りだ。
麗ちゃんは窓のへりに肘をつき、通りを眺めながら、つぶやいた。
「ねえ、郁は未来に帰りたいよね?」
「僕は……、そうだね。こっちじゃ、色んなことが不安だし。戸籍や保険もないし……」
麗ちゃんは僕の答えに、「そうね」と生返事をして、またつぶやいた。
「郁はその体のままで平気?」
その問いに、自分の手に目がいった。
ちょっとだけ、昔の自分から小さくなった掌。
麗ちゃんの掌──。
僕はそれを開いて閉じた。
「僕は平気だよ。そりゃ、元の体に戻れれば、一番いいんだろうけど、どう考えても無理っぽいし……」
「それを聞いて、安心したわ!」
麗ちゃんはこっちを向き、ニコリと微笑んだ。
その笑顔を見ても、どういう訳か、昔のように嫌な感じはしなかった。
篤の笑顔なんだけど。
麗ちゃんのオーダーした、デザート──、チョコパフェが運ばれてきた。
麗ちゃんは嬉しそうに、それを食べ始める。
とても美味しそうに食べるので、「僕も食べようかなあ」とつぶやくと、
「私の体をぶくぶく太らせないでね」と釘を刺された。
ようやくお腹がいっぱいになった麗ちゃんとファミレスを出た。
お店への坂を上りながら、麗ちゃんは通りを首を巡らし見回している。
そういえば、ここの高校へ初めて来た時も、今と同じように、興味深そうに通りに並ぶお店を麗ちゃんは見ていた。
「この通りは活気があっていいわね」
麗ちゃんの声が弾んでいる。
よっぽど、この通りが気に入っているのだろう。
僕も一緒になって、通りを見回す。
土曜の昼下がり。
お店の袋を揺らし行き交う人々。
足を止め、ウィンドウをのぞきこむ人。
こっちの歩道も、あっちの歩道も、そこかしこに人がいる。
確かに、麗ちゃんの言うとおり、活気に溢れた光景だ。
麗ちゃんにうなずき、微笑む。
仁科家の店の前に着いた。
店に突き刺さっていた黒いボックスカーを取り除かれていた。
壁の穴が空いている箇所は、大きな板が置かれ、ふさがれている。
立ちつくして、それを眺める僕の背を、麗ちゃんが叩く。
「さあ、郁、行きなさい。あなたが心をこめて話せば、きっと仁科家の人は信じてくれるわ。少なくとも、彼はね」
麗ちゃんの視線の先、店の窓に、動く平太の姿が見えた。
「うん! そうだね」
僕は大きくうなずき、店へと歩いていった。




