幼き日の夢
新橋駅を降りると、すぐに別路線の駅があった。
何線だろうと思い、ロゴの下を見るとYURIKAMOMEと書いてあった。
「ゆりかもめって鉄道なの?」
「うーん、どっちかと言うと、線路の上を走るバスかな」
エスカレーターに乗りながら、麗ちゃんが答える。
「線路の上を走るバス? それで、どこに行くの?」
「それは乗ってからのお楽しみ」
麗ちゃんは僕をどこへ連れていく気なのだろう?
さっきは皇居だったけど、他にこの時代で見るべきものは何があるのだろう?
そんなことを考えつつ、ホームまで上がったら、既にバスは来ていた。
とはいえ、何車両か繋がってるし、バスには全然見えない。
どちらかといえば、モノレールに似てる気がする。
「これは、どう見ても電車だよ」
ドアの前で、麗ちゃんの顔を見上げた。
「でも、タイヤで走ってるの。ゆりかもめは」
「そうなの?」
ドアとホームの隙間から下をのぞいたが、よくわからなかった。
麗ちゃんと座ったのは一番前の席で、前方の風景が良く見えた。
なるほど、線路といっても鉄道がなく、のっぺりとしたコンクリートの走行路が続いている。
ほどなくして、ゆりかもめは走り始め、いくつかの駅を過ぎると、高架上からの眺望に僕は釘付けになった。
「この景色は!」
「郁も気がついた?」
「うん。ここって、華族専用道路が通ってる場所だよね」
麗ちゃんは大きくうなずく。
窓から見える人工島や運河の形は未来とほとんど変わってない。
どうやら未来ではゆりかもめの路線が撤去されて、そこが華族専用道路になったようだ。
そのせいで、僕はゆりかもめを全く知らないのだ。
「麗ちゃん、あっちの人工島に見えるビルにも人が入ってるんだよね」
僕は運河の向こうの島を指さした。
「もちろんよ。これからこの一帯には、まだビルが建つし、人も増えるはずよ」
「でも、僕らの時代には、全部廃ビルになってるんだよね……」
そう。未来のここから見えるのは、朽ちた廃ビルの建ち並ぶ陰気な景色だ。
東京ベイフロントは瀕死の日本経済を象徴する、企業の墓場なのだ。
僕の脳裏に今の風景と、未来の風景が重なって映し出される。
「私たちの時代にも、ここをこのまま残したいわ」
麗ちゃんがつぶやいた。
日本の経済はこれから、釣瓶を落とすがごとくどんどん凋落していくはずだ。
それはこれからの歴史が証明する紛れもない事実。
とても残念なことだけど……。
ゆりかもめは大きく弧を描き、海の上をゆっくりと旋回し始める。
濃緑に揺らめく水面を見下ろし、僕は考える。
未来のことを知っている人間ならば、歴史を変えることはできるのだろうか?
けれど、仮にできたとして、それはやっても良いことなのだろうか?
横を向くと麗ちゃんも外をぼんやりと眺めながら、考え事をしているようだった。
段々と見慣れてきた、篤の顔。
しかし、未来ではこんな真剣な篤の顔は見たことがない。
麗ちゃんも僕と同じようなことを考えているのかもしれない。
そう感じた。
ゆりかもめは橋の下を通り、人工島へと向かった。
僕らの時代では都の管理下で通行止となっている東京湾十一号橋だ。
実は麗ちゃんとこの橋を渡るのは、今日で二度目になる。
まだ二人が幼かった頃、麗ちゃんが冴島さんに無理を言って、渡ったことがあるのだ。
おそらく、今回の麗ちゃんの目的地もその時と同じだろう。
橋を渡りきったゆりかもめは、島の外周に沿って走り始めた。
ちらりと大きなロボットのような物が見えた気がした。
ぐるりと島を周ると、海が間近だった。
見下ろす道路には、人はほとんどいない。
土曜日の朝だからだろう。
大きな観覧車を横目に過ぎ、見覚えのあるビルが前方に近づいてくる。
背の高いビルが二棟。仲の良い兄弟のように並んでいる。
『国際展示場正門』のアナウンスで、僕と麗ちゃんはゆりかもめを降りた。
そのビルは日射しを受け、銀色に輝いていた。
手でひさしを作り、それを見上げた。麗ちゃんも僕と同じポーズで目を細めている。
「このビルだね、麗ちゃん」
「うん、懐かしいけど、まだピカピカね」
「昔、というか未来はもっとボロボロだったよね」
僕らは誘われるように、そのビルに近づいた。
そして、二棟の間にある入り口から中へ入った。
そこは大きなホールになっている。
天井や壁はガラス張りで、とても明るい。
「中も綺麗ですね。九条院社長」
麗ちゃんの顔を見て、僕はにやりと笑った。
「そうだね。日々之専務。社員の研鑽のたまものかな」
麗ちゃんも僕を見下ろし、白い歯を見せた。
幼い日の想い出が甦る。
ここは、麗ちゃんと一度だけ社長ごっこをやったことがある想い出の場所だ。
華族道路からいつも見える、このビルを麗ちゃんが気に入り、どうしても、あそこで社長ごっこをやりたい、と駄々をこねたのだ。
最初は無視していた冴島さんだったが、同じ場所を通るたびにごねる麗ちゃんにたまりかねて、都の関係者から一度きりという約束で橋の通行許可をもらったのだ。
喜び勇んで社長になりきる、その時の麗ちゃんの姿は今でも憶えている。
「日々之専務はぼんやりしてて、よくないね。もっと気のきいた報告はできないものかな」
その日の麗ちゃんの言葉はこんなだったか?
胸を反り返らせ、小さな鼻を膨らませて、僕をじっと見る瞳。
まさか、その麗ちゃん自身に僕がなるとは夢にも思ってなかった……。
「あの頃は一日も早く社長になりたかったわ」
麗ちゃんの声が、ホールに響く。
昔を懐かしんでいるようだが、どこか寂しげな声。
未来の九条院グループは存亡の危機に立たされている。
このままでは麗ちゃんの幼い頃からの夢も実現することなく終わる。
だから、僕と麗ちゃんはそれを阻止するために過去にタイムリープした。
僕の前には、篤の姿の麗ちゃん。
けれど、心は昔の夢をまだ抱いたままに違いない。
姿形は変わっても、麗ちゃんの志は不滅だ。
僕は彼女を見上げた。
「麗ちゃん……」と僕が声をかけた途端、携帯電話が鳴った。
麗ちゃんは携帯を取り出した。
「はい、九条院ですが。はい、先ほど電話いたしました」
これは、もしかしたら冴島さん?
じゃあ、代わらないと、と思ったが──、麗ちゃんは僕と電話を代わることなく話し続けた。
しばらく通話した後、麗ちゃんは携帯をジャケットにしまった。
麗ちゃんが腰を折り、僕に顔を近づける。
「冴島さんがこれから会いたいらしいわ。もちろん行くわよね」
これから、冴島さんと……。
僕は唾を飲み、それにうなずいた。




