変な麗ちゃん、押しかける
日付が改まる夜半、仁科家に電話があった。
相手は麗ちゃんだった。
明日の土曜日に僕に会いたいとのこと。
疲れ気味の僕は、寝ぼけながらも承諾。
そして、翌朝──。
朝8時、仁科家の全員揃っての朝食。
支度も終わり、ご飯の前で手を合わせたところで、インターホンが鳴った。
「こんな朝っぱらから、どなたかしら?」
凪沙さんがインターホンに出ると、九条院さん、つまり麗ちゃんの声。
「昨晩は遅くに電話してくるし、九条院さん、どうしたのかしら?」
凪沙さんが首をひねりながら、キッチンを出ていった。
僕も箸を置き、それについていく。
ドアを開けると、麗ちゃんがでんと立っていた。
「おはようございます。早朝からお邪魔してすみません」と言い、中に入ってくる。
背が高いので、玄関の上で頭をぶつけそうだった。
凪沙さんが「あらあら」と言う間に、麗ちゃんはスリッパも履かず、廊下を進んでいった。
僕と凪沙さんは、麗ちゃんの後を追う形になり、キッチンへと引き返した。
キッチンでは突然、大男が入ってきたので、平吉さんがポカンと口を開けている。
平太はぎょっとした目で、麗ちゃんを見上げている。
後ろから、僕は麗ちゃんの袖を引き、小声で囁いた。
「麗ちゃん……、じゃなくて九条院さん。こんなに早くどうしたんですか?」
麗ちゃんが腰を折り、僕の耳もとで呟く。
「朝起きたら突然、こっちでの郁の普段の生活が見たくなってね」
「それにしたって、こんなに早くから非常識だよ」
「気にしない、気にしない」
麗ちゃんは僕にウィンクした。篤の顔なので、相変わらず気味が悪い。
「僕にかまわず、皆さんは食事をどうぞ」
麗ちゃんは掌を差し出すが、でかい男にそんなに広くもないキッチンに立っていられては、落ち着いて食事もできない。
「九条院さんもご一緒にいかがですか?」
凪沙さんが、勧めたが、
「ありがとうございます。ですが、僕はもう済ませましたのでお構いなく」とそれを断る。
「じゃあ、コーヒーでも淹れましょう」
凪沙さんは、お湯の用意を始めた。
「九条院さんは、あっちに座っててください」
僕はリビングのソファーを指さした。
「うん、そうするよ」
麗ちゃんはリビングに入り、キッチンが見えるソファーに腰を下ろした。
こっちをじっと見てるし、なんだか、落ち着かないなあ。
僕は箸を取り、朝ご飯を食べ始めた。
すると、間もなく、麗ちゃんが「あっ!」と声を上げた。
その声に、キッチンにいるみんなが麗ちゃんを見た。
「何ですか?」と訊くと、「いや、別に」とコーヒーカップを手に取る。
今日の麗ちゃんはなんだか変だ。
「九条院さん、一体どうしたんだよ?」
隣の平太が、僕に囁く。その顔はちょっと迷惑そうだ。
「今日は用事があるってことだったんだけど、こんなに早く押しかけてくるとは思わなかったよ」
なんだか、仁科家のみんなに、僕が申し訳ない気持ちになってきた。
麗ちゃんは、時折こっちの様子をうかがいながら、涼しい顔でコーヒーを傾けている。
まったく、暢気なもんだ!
あまり食べた気がしない朝食が終わり、麗ちゃんの前のソファーに腰かけた。
本当は麗ちゃんに文句の一つも言いたいのだが、仁科家の人たちにとっては、九条院さんは僕の先輩なので、滅多なことを言えない。
麗ちゃんを睨むと、麗ちゃんは怪訝な顔で僕の全身を見回した。
片付けを終えた平太が、こっちに来た。
テレビを点け、指定席に座る。
だが、目はテレビでなく麗ちゃんを見ている。
なんだろうな、この人、ときっと思ってるんだろう。
実際、僕もそう思うし……。
と、平太と麗ちゃんの目が合った。
気まずそうに平太が目を逸らそうとしたら、麗ちゃんが、
「日々之郁がお世話になってます」と頭を下げた。
平太はひとつ首を傾げてから、「はあ」と漏れるような返事をして、頭を下げた。
麗ちゃんは言葉使いは注意しているようだが、今ひとつ状況を考えていない節がある。
麗ちゃんは爽やかに、──といっても僕は苦手だけど、平太に微笑んだ。
「今日は一日、彼女を借りるね」
「香を一日? また、どうしてですか?」
「ちょっと記憶障害のことで、二人で話したいことがあるんだ」
「ああ、それなら、どうぞ……」
口ではそう答えているが、平太は納得しかねている様子。
漫画だったら、頭の上に?マークが浮かんでいるところだろう。
麗ちゃんは残りのコーヒーを一気に飲み、立ち上がった。
「さあ、日々之さん、行こうか」
「ええっ、もう出かけるの? 僕、歯も磨いてないし、着替えもしなきゃいけないし」
「そうか。じゃあ、急いで」
麗ちゃんはまた腰かけた。
なんだか、仁科家のみんなに麗ちゃんがお邪魔そうなので、僕は大急ぎで朝の身支度をした。
本当にどうしちゃったんだろうな、今日の麗ちゃんってば。
着替え終わった僕は、麗ちゃんを連れ、逃げ出すように仁科家を飛び出た。
マンションの一階に降りたところで、麗ちゃんが僕に向き直る。
「郁、あなた、あれは何?」
「あれって?」
何のことかわからず、僕は問い返した。
麗ちゃんは、眉を吊り上げ、たいそう憤慨の模様。
篤の顔でも仕草は同じなんだな、と僕はちょっと感心した。
「あれって、あの格好よ。あなた、女の子なんだから、もっと可愛くしなさい」
そう言われて、麗ちゃんが何を怒ってるのかやっと理解できた。
僕のジャージ姿を、麗ちゃんは気に入らないのだ。
「だって、楽なんだもん」
「もう、本当にセンスないんだから。あなた、美意識ゼロなんじゃないの?」
オカマ言葉で言い放題の麗ちゃん。
記憶が戻ったら、早速フルスロットルだ。
僕は思わず口を手で覆った。
「郁、あなた、何が可笑しいの?」
僕は麗ちゃんを見上げる。
「いや、体が篤でも、麗ちゃんなんだな、と思ってさ」
なんだか、とても可笑しくて、懐かしくて、次から次へと笑いがこみ上げてくる。
「好きでこの体してるんじゃないんだからね。それより、行きましょう。表で車が待ってるから」
「行くって、どこへさ?」
麗ちゃんは呆れたような顔で、こっちを向き、鼻から息を吐き出した。
「昨晩言ったじゃない。今日は郁とデートするって。聞いてなかったの?」
「僕、眠かったし……」
「まあ、仕方ないわね。とにかく、せっかく過去に来たことだし、デートを兼ねて東京観光よ」
麗ちゃんは僕の手を引き、朝の日射しが溢れる、外へと足を踏み出した。




