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九条院家の存亡(旧バージョン)  作者: 天川一三
2011年前編
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集まった三人の記憶喪失者

 喫茶店に下る道は、いつもより人通りが多かった。

 大学生くらいの男子が大勢、荷物を手に歩道を歩いている。

 近くにあるホテルで何かイベントがあったのかもしれない。


「今日は店は大忙しかもしれないぞ」

 平太が彼らを追い越しながらつぶやいた。

 平太と九条院さん、それに五両君、三人とも歩くのが速く、僕はついていくのが大変だった。

 お陰で、いつもよりかなり早いペースで店に着いた。


 平太の言ったとおり、店は大盛況だった。

 店内はいっぱいで、テラス席が少し余っているだけだった。

 夕方のこの時間にしては、珍しいことだ。

 テラス席には、いつもの場所に読書少年の霧原君がいた。

 今日は人も多いので、騒がしくて読書に集中できないんじゃないかな?

 とにかく、空いてる席を今のうちに確保しないと。

 僕はいちばん歩道寄りのテラス席に鞄を置いた。


「香、さっさと話を済ませろよ。かき入れ時みたいだからさ」

 平太が僕を見て、言った。

「うん、話を済ませたら、場所を変えるから」

「って、お前、今日は手伝わないつもりか?」

「ごめん、大事な用があるんだ」

 僕は平太の顔に手を合わせ、拝んだ。

「仕方ねえな。母ちゃんにはちゃんと言っとけよ。俺、知らないから」

 平太はそう言ってから、店に入った。

 そのやり取りを横で聞いていた九条院さんが、

「いいのかい? すごく忙しそうじゃないか?」と言った。

「ちょっとタイミングが悪かったですけど、これからするのは大事な話ですから。それより、飲み物はアイスコーヒーでいいですか?」

 九条院さんと五両君、二人がうなずくのを見て、僕は店に向かった。

 飲み物を取りに行くのと、凪沙さんに今日は手伝えないことを、断っておかないといけないからだ。


 扉を開け、店に入った。

 店内を見回すと、満席で人がいっぱいだった。

 凪沙さんは平吉さんと並んでカウンターでコーヒーを淹れている。

 僕はその横に行き、

「お疲れ様です。おばさんに言われた男子、今日連れてきました」と告げた。

 凪沙さんはこっちを向きもしない。

「悪いけど今すごく忙しいから、もうちょっと待っててもらえるかしら?」

「はい、いいですけど……」

「けど、何?」

 凪沙さんが横目で僕をちらりと見た。

「実は私、用事があって、今日はお店を手伝えないんです」

 それを聞いて、凪沙さんの手が止まった。

 叱られると思った僕は、身を縮めて彼女の言葉を待った。

 だが、返ってきた言葉は、

「仕方ないわね。じゃあ、平太にその分頑張ってもらうから、あなたからもお願いしておきなさい」と意外にも柔らかいものだった。

「はい!」と元気よく答え、みんなのアイスコーヒーの用意を始めた。

 淹れ終わり、持って行こうとしたら、平太が、

「お前、肩が悪いんだろ。俺が持って行くから」と言ってくれた。

 今日は何から何まで彼の世話になりっぱなしだ。僕は平太に頭を下げ、テラスに出た。

 僕が腰を下ろすと、すぐに平太が飲み物を持ってきた。


「似合うね、その服」

 九条院さんが平太の制服を見て誉めた。

 平太は照れ笑いしてから、すぐに店に戻った。

「ところで、今日はどんな用事なんですか? 俺、聞いてないんですが」

 五両君がストローの封を切りながら、訊いた。

「昨日の夜、僕を捜してる興信所の人がここに来たんだよ」

 言ってから、自分が男言葉に戻ってるのに気付いたが、まあ、いいか、と思った。


「興信所? それで、その人は何て言ってたの?」と今度は九条院さん。

「それが、僕を捜している依頼人の名前は守秘義務で今は教えられない、って冴島さんが言ったら、おばさんが、それじゃ話にならない、って帰しちゃったんです」

「その人、冴島さんという名前の人なの?」

 九条院さんが、何か考えるように首を傾げた。

「そうですけど、九条院さんは聞き覚えがありますか?」

「いや、あるようなないような……」

 九条院さんは腕組みをした。

「五両君、その人だけどさ。あのサングラスの男だと思うよ。僕」

 アイスコーヒーをすすっていた五両君の体が強ばった。

「えっ! あいつ? 嘘でしょ!」

「だから、サングラスの男は興信所の人で、僕らを内偵してたんだよ。それで最初に見つけたのが、おそらく五両君だったんだね」

「俺には怪しい男にしか見えなかったですけどね」

「まあ、探偵だし。そこそこ怪しく見えても仕方ないんじゃない?」

 五両君は、「そうかなあ」と納得いかない様子。


「日比野さん。ところで、僕はどうして呼ばれたの?」

 九条院さんが自分を指さす。

 ああ、それなら五両君をここに呼び出すおとり、じゃなくて──。

「その冴島さんが、もう一人捜している様子でしたから、当てずっぽうで僕が、もう一人なら九条院家にいますよ、と言ったんですよ」

「うんうん」とうなずく九条院さん。

「そしたら、冴島さんが『灯台下暗し』だったみたいなこと言ってたから、もう一人は九条院さんで間違いないな、と思ったんです」

「三人とも記憶喪失で共通してるという訳か」

 九条院さんが言うと、五両君が「なるほど」と言わんばかりに、大きく相槌を打った。


「つまりは、冴島さんは誰かに依頼されて、三人の記憶喪失の人間を捜しているということです」

「やっぱり、僕たちの記憶喪失は何か関係があったということかな? 日比野さん」

「そうなんじゃないですか。記憶障害になった時期も一致してますし」

 テーブルを囲む三人は、それぞれうなずいた。

「けど、見つけるの遅すぎません? 何やってたんだか」

 五両君が不満を漏らした。それだけ苦労も多かったのだろう。

「いずれにしても、僕たちの素性がいよいよわかるかもしれないんだね?」

「ちょっとドキドキしますけどね。冴島さんの連絡先は僕が聞いていますから、もう少ししたら電話してみましょう」


「三人揃ったら、まとめて始末されるなんてことはないでしょうね?」

 五両君が物騒なことを口にした。

「まさか……、そんなこと」

 あり得ない、と言おうとしたが、僕は実際二度も何者かに狙われた。


 それに記憶喪失にどうしてなったのかも、不明だし……。

 よく考えれば、三人も記憶喪失の人間がいること自体、不自然だ。


「まあ、その時は、その時さ」

 九条院さんがそう言うと、五両君もそれ以上のことは言わなかった。

「とにかく、その冴島さんを呼んで話を聞こうよ。僕、夜は用事があるし」

「九条院さん、携帯電話をお持ちですか?」

「うん、あるよ」

 九条院さんがポケットから携帯電話を出した。

「お借りします」

 僕はそれを受け取り、憶えていた電話番号を押した。

 何度かコール音が鳴り、相手が出た。


「はい、冴島です」

「あのう、日比野ですけど、昨晩お約束したとおり、みんなを集めたんですけど」

「えっ、本当に! 助かります。それで、今どちらにいらっしゃいます?」

「うちの喫茶店のテラス席に三人います」

「じゃあ、そこで待っててくださいますか? 今、ちょっと手が離せませんので。もう少ししたら、こちらからご連絡します」

「わかりました。お待ちしてます」

 通話を切った。


「もうちょっと、ここで待っててください、だそうです。連絡があるので、電話をお借りしてていいですか?」

「ああ、別にいいよ」と九条院さん。

 さて、それまでどうしたものか、とテーブルに目をやると、五両君のアイスコーヒーが空になっていた。

 お代わり自由と言った手前、その約束は守らなければいけない。

「五両君、アイスコーヒーを持ってくるから」

 僕は立ち上がり、店に向かった。


 店の中は相変わらずの混雑だった。凪沙さんはテーブルで接客をしていた。

 五両君を連れて来るのは、まだ後だな。

 そう思い、アイスコーヒーを淹れた。

 今度は一つなので、平太の手を煩わせる必要もない。

 グラス片手に、僕はテラスへ向かった。

 二人が待つ席に戻ると、霧原君がこっちへ歩いてきた。

 もう、帰るのだろう。

 今日は読書ははかどらなかったに違いない。

 僕が会釈をすると、霧原君も会釈した。


「はい、アイスコーヒー」

 五両君の前に置き、僕は椅子に座ろうとした。

 その時──。

「危ない!」

 霧原君が僕を強く突き飛ばした。

 何事かと驚く僕の目に、異様な光景が飛びこんできた。


 大きな真っ黒い物がこっちへ向かって来る!

 そいつは獲物に襲いかかる猛獣のように、勢いを増した。

 僕は大きな悲鳴を上げた。


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