表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
九条院家の存亡(旧バージョン)  作者: 天川一三
2011年前編
43/107

揺れ動く記憶

 お店に戻ったところ、外でさぼっていたことを凪沙さんに早速叱られた。

 その上、右肩が痛むのを隠して仕事をしていたら、食器をいくつか割ってしまい、また戦力外通知を受け退場になってしまった。


 そんな訳で、僕は仁科家のマンションに先に帰ってきた。

 僕のボディガード役である平太も一緒だ。

 平太は思いがけず早く帰れたので、ご機嫌だ。

 僕はといえば、死にかけるは、怒られるはで散々な気分だ。


 ひとり部屋にこもり、静かに落ちこんでいた。

 風呂場から平太の調子っぱずれの鼻歌が聞こえてくる。

 その陽気な響きが、僕の心を少しだけ軽くしてくれた。

 宿題もする気になれず、ぼうっとしていたら電話が鳴った。

 平太はまだお風呂のようなので、僕はキッチンに行き、受話器を取った。


「仁科さんのお宅でしょうか?」

 聞き覚えのある声だ。

 しかも、ちょっと前に聞いたばかりの声。

「もしもし、九条院さん?」

「そうだけど、仕事はもう終わったの?」

「肩が痛むので、帰ってきました」

「そうなの? 大丈夫?」

「まあ、数日前くらいの具合に戻っただけです」

「留守電にでも入れておこうと思ったんだけど……」

 九条院さんのしゃべってる感じは、夕方のまんまだった。

 つまり、いつもの九条院さんとはちょっと違う。

「何をですか?」

「ふふふ。ゴールデンウィークがわかったのよ」

 笑い方が奇妙だった。強いていえば、オカマっぽい。

 まあ、それは今はいいや。


「で、何だったんですか?」

「あのね、家の者に聞いたところ、どうやら四月下旬から五月上旬の連休のことを、そう呼ぶらしいの」

「連休?」

「そう。お休みがたくさんあるからゴールデンウィーク」

「なんだ、そんなことだったんですか」

「私たちが知らないのも当然よね。そんなもの、とっくに廃止になってたもの」

「廃止って? 言ってることがよくわからないんですけど」

「だから、私たちがいた時代にはもう無くなってたのよ」

 僕は受話器を少し離し、考えた。

 記憶喪失になる前には無かった、ならわかるんだけど……。


「もしもし」と何度も受話器から九条院さんの声が漏れ聞こえるので、また受話器を耳にした。

「香、私の言ってることわかった?」

「いえ、全然わかりません」

 僕はきっぱり断言した。

「もう、香、あなた。理解力ゼロなんじゃないの?」

 しゃべり方も変だが、僕のことを「香」って呼び捨てにするし、妙に馴れ馴れしい。

 九条院さんは、運転手に顔を殴られて、ちょっと頭が変になっちゃったんじゃないだろうか?


「九条院さん? 頭とか痛くないですか?」

「ああ、ちょっと痛むわね。どうも記憶が戻ると偏頭痛がするの」

「えっ! 記憶が戻ったんですか?」

 僕は九条院さんの言葉に驚いた。

「ええ。けど、あまり長くもたないみたいなの。この間もあなたから預かった口紅を眺めていたら、無意識に少しだけ戻ったみたいだけど」

「それで、九条院さんと僕は記憶喪失になる前から知り合いなんですか?」

「香がそんなことも忘れてるなんて、なんだか悲しくなっちゃうわね」

「じゃあ、知り合いだったんだ……」

 九条院さんは少し間をおいて、

「ええ、そうよ」とはっきり答えた。

「じゃあ、九条院さんは僕の本当の名前を知ってるんですか?」

「もちろん。あなたは日々之郁よ」

 僕の名前は、やっぱり日比野香──。

 間違ってなかったのか。


 九条院さんに訊きたいことが、次から次へと頭に浮かんでくる。

 それを整理するのがやっとだ。

「九条院さんは僕の住所はご存じですか? 僕、戸籍を見つけたいんです」

「あなたの住所は品川区だけど、戸籍は見つからないわ」


 戸籍が見つからない?

 住所がわかれば、見つけるのは簡単なのに……。

 ああ、でも、良く考えると、住所がわかれば、家に帰れば済むだけだった。

 それにしても、九条院さんは何を言ってるんだ?


「どうして、僕の戸籍は見つからないんですか?」

「それは、私たちがこの時代の人間じゃないからよ」

「僕たちが、この時代の人間じゃない?」

「そう。私たちは……」

 九条院さんの声が途切れた。


「もしもし、九条院さん?」

 受話器に呼びかける僕。

 だが、九条院さんは答えない。

 何度も呼びかけ、やっと九条院さんは話し始めたが、様子が変だ。

「……香。頭痛がひどくて……、また記憶を……」

 苦しそうに話す九条院さん。

「あなたと……、早く……、戻して……」

 そこまで言ったところで、通話が切れてしまった。

 受話器から聞こえてくるのは、鳴り続ける発信音のみ。


 受話器を置き、しばらく待ってみたが、電話は鳴らなかった。

 こっちからかけてみようか、と思ったが連絡先を聞いていない。

 それに、九条院さん、ひどく苦しそうだったし……。


 電話の前に突っ立っていたら、風呂から出た平太にはち合わせた。

 平太は裸で腰にタオルを巻いただけだった。

 僕がじろじろ見てたら、

「着替えを忘れちゃってさ……」と照れくさそうに平太。

「いいから、そんな物見たくないし、早くあっち行って」

 考え事をしていた僕は、平太を追い払った。


「それより、電話、誰からだった?」

 濡れた髪から湯気を立ち上らせ、平太が訊いてくる。

「九条院さんだよ」

「なんだ、やっぱ、仲がいいな。お前たち」

 ちょっと鬱陶しい平太を、僕は今度は足で追い払う。

「いいから、あっちで早く着替えろよー」


 平太は「はいはい」と面倒くさそうに言いながら、ゆっくりキッチンを出ていった。

 今は電話で聞いたことを整理して考えたい気分だ。

 キッチンにいると、また平太から絡まれそうなので、僕は部屋に戻った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ