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九条院家の存亡(旧バージョン)  作者: 天川一三
2011年前編
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香、法律事務所に忍びこむ

 昇降口に降りたら、平太が待っていた。

 ポケットに手を突っこみ、下駄箱の脇に寄りかかっている。

「勝手にうろちょろするなよ」

 ふて腐れ顔でちらりと僕を見る平太。


 僕が無視して前を横切ろうとしたら、腕を引かれた。

「ゴールデンウィークくらいで怒るなよ」

 僕は立ち止まる。


 平太にしてみれば、確かにゴールデンウィークくらいなんだろうけど──。

 僕にしたら、そんな当たり前の事すら、憶えていないのが悔しくて、もどかしい。


「教えるからさ」

 平太が僕の腕を揺すぶる。

 僕はスカートを翻し、平太に面と向かった。

「教えてくれなくていいよ。今はあまりしゃべりたくないんだ」

 言い方がきつかったせいか、平太の顔がしおれた。

「わかった……。でも、店には一緒に行こう。母ちゃんに言われてるし……」

 僕は黙ってうなずいた。


 僕と平太は店に向かった。

 平太は僕の少し後ろをゆっくりと歩いた。

 後ろから聞こえる靴音がどこか淋しげだ。

 考えてみると、九条院さんの嘘は露骨すぎて許せないが、平太とのいさかい事は他愛もないことすぎるかもしれない。

 頃合いを見計らって、歩み寄ろう。

 坂を下り、店が見え始めた頃、僕はそう決めた。


 それより、あの法律事務所に一人で入りこむ手段を考えないと──。

 僕はひとりうなずいた。


 店に着き、仕事に入った。

 そして、テラス席に出る度に、法律事務所の窓を見上げた。

 今日は始終、事務所の窓は閉まっている。

 あの男は今日はいないのだろうか?

 給仕をしながら、あの事務所に僕が訪問する口実をなんとか考えついた。

 あとは客が空いた頃に、こっそりと店を抜け出そう。


 5時前になり、店のほうも手空きになってきた。

 僕はテラスを掃除するふりをして外に出た。

 店のほうをうかがい、誰も外を見ていないのを確認して一気に通りを渡った。

 ほうきまで持ってきてしまったので、ビルの一階の郵便受けに立てかけた。

 もう一度、通りの向こうの店を首を伸ばして見てみたが、特に変わりはない。

 僕がいないのに気づいても、店の裏を掃除しているくらいに思うだろう。


 僕は狭く薄暗い階段を見上げ、ゆっくりと上がっていった。

 途中、右肩を回してみた。

 もう、随分と良くなり、ちょっと痛むだけだった。

 三階まで上がった。

 廊下を見回したが、人影はなく凍り付いたように静かだ。


 法律事務所のドアの前に立った。

 磨りガラスから中の気配をうかがったが、誰もいないような気がする。

 ドアノブを掴み、回すと、何の抵抗もなく動いた。

 そろそろとドアを開けながら、頭だけ部屋に入れ「あのー」と小さく声をかけた。

 正面の窓際の机には誰もいない。

 部屋の左右も首を動かし確認したが、やはり誰もいなかった。


 お出かけかな?


 体を滑らせ、部屋に入りこみ、そっとドアを閉めた。

 軽く深呼吸をして、もう一度部屋を見回した。

 ドアの脇の本棚の上には、あのヘルメットがそのまま置かれていた。

 近寄ってみたが、シグマが忘れていったヘルメットにどう見てもそっくりだ。

 手に取り確かめてみたかったが、かなり高い場所にあり、右肩の事を考えると、諦めざるを得なかった。


 踵を返し、窓際の机に向かった。

 だが、あの腕時計は今日は見当たらなかった。

 机の上には書類が一つあるだけだった。

 その表紙を見て、僕は驚いた。

 その書類のタイトルは、『九条院FG決算報告書』と書いてあったのだ。

 あの男も九条院と関係あるのか?

 それとも、顧客の書類なのか?

 タイトルの下に目をやると、2061年度と書いてある。

 これって誤植だよね。だって、今は2011年だもん。

 企業の重要書類みたいだけど、こんな大きな間違いをしてもいいのかな、と僕は首を傾げた。


 で、FGってなんだろう?

 もちろん、フォーワード、ゴールじゃないよね。

 Gは銀行のGかな?


 そんな事を考えていたら、後ろでドアノブが音を立てた。

 首筋から血の気がすっと引くのを感じた。

 慌てて、机から離れ接待用のソファーに座った。


 男は僕を見て、面食らった顔をしていた。

 僕は立ち上がり、頭を下げた。

「あのう、ご相談があって来たんですけど、ドアが開いていたので勝手に入っちゃいました」


 男はまだ黙って僕の顔をじっと見ている。

 男の目を見つめ返したら、僕の喉がごくりと鳴った。


 逃げ出すなら、今のうちかも。

 心で警鐘が鳴り響いた。


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