表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
九条院家の存亡(旧バージョン)  作者: 天川一三
2011年前編
36/107

男の影

 すさまじい突風が吹き、僕のスカートを舞い上げた。


「キャーッ!」


 黄色い悲鳴が上がり、その時、幸い、平太は智晶さんのほうを向いていた。

 智晶さんのスカートも舞い上がったので、彼はちょっと嬉しそうだ。

 九条院さんの手の中、謎の装置はけたたましくビープ音を鳴らしている。

 それを食い入るように見つめる九条院さん。


「日比野さん、これ何?」

「僕もわかりません!」


 風が吹き荒れる。


 シグマが来る!


 そう直感した僕は、屋上の手すりに飛びつき、見下ろした。

「なんだか、赤いランプが光ってるし、数字が出てきてるんだけど! どうやったら止まるの?」

 九条院さんは困り顔で、あれこれ装置をいじっている。

 僕は学校に続く道を、首を回して注意深く観察した。

 かなり速い乗り物で来るはずだから、見逃すことはないと思うけど。


 空を見上げる。

 あの時のように、雷が鳴りそうな雲行きでもない。

 晴れていて、とてもいい天気だ。

 やはり、あの時の雷は偶然だったのか──。

 そう確信した。


「ねえ、僕を驚かそうとしておもちゃを渡したんでしょ? 日比野さん、うるさいから、止めてよ、これ」

 後ろから九条院さんが嘆願するが、僕は無視して道の監視を続けた。

 しかし、いくら見続けても、下界はいつもどおりの平凡な風景のままだった。

 怪しい乗り物の姿など見当たらない。

 諦めて振り向くと、九条院さんは、ぶんぶんと装置を振り回している。


「あっ、ランプが黄色くなった」

 そう九条院さんが言った途端、ビープ音も間隔が長くなり……、やがて止まった。

「香ちゃん、九条院さんにどっきり仕掛けたの?」

 智晶さんが茶化すように肘で僕を突いた。

「いや、そんなんじゃないです」

「やっと、止まったよ……」

 九条院さんはやれやれ顔で、ため息をついた。


「香、その時計みたいなの何なんだよ?」

 平太まで僕に訊いてきた。

「僕にもわからないよ。記憶がないんだし」

「まあ、何でもないんじゃない。うるさかったけど」

 九条院さんが僕に装置を戻す。


 僕は返された装置をあらためた。

 メーターが三分の一ほど減っているが、ランプも付いてないし、元に戻ったようだ。

「もう、冗談は止めてよね」と九条院さんは苦笑いした。

「そういうつもりじゃないんですけど……」と僕は小さくなった。

「なんだか疲れたし、今日はお客さんが家に来るから、僕はもう帰るよ」

 九条院さんが歩き出そうとするのを、袖を引いて、止めた。

「じゃあ、これは見覚えありませんか?」

 ポケットから口紅を取り出し、彼に渡す。

 男に口紅を渡しても、覚えなどあるはずはないけど、装置の件でかなり誤解されてしまったようだし……。


 九条院さんの大きな掌の上で口紅が転がる。

「口紅……?」

 きょとんとする九条院さん。

「僕、男だしなあ。こんなモノに見覚えがあるはずが……」と言いながらキャップを外した。


 やっぱり何もないか。

 まあ、最初からわかってたけど。


 僕がそう思い、九条院さんを見ると──。

 彼は口紅の先を一心不乱に見つめていた。

「何か思い出しました?」

 僕が訊いても、返事もしない。


「九条院君、香ちゃんが、話しかけてるよ!」

 智晶さんが九条院さんの背を叩いた。

「あっ……」と声を漏らし、やっと彼は僕のほうを見た。

「で、それを見て、何か思い出しました?」

「い、いや」と九条院さんは首を振った。

 やっぱりな、と僕は口紅を返してもらおうと手を出した。


 だが、九条院さんは手に持ったまま返してくれず、

「これ、借りてもいいかな? 今は何も思い出せないけど、なんだか気になるんだ」と言った。

「いいですよ。どうせ、僕は使いませんから」

「ありがとう……」

 九条院さんが微笑み、口紅のキャップを閉め、制服の内ポケットに大事そうにしまった。


「香、話は終わり?」と平太。

「うん、終わりだよ」

「じゃあ、店の手伝いに行こうぜ」

 それを聞いて、智晶さんがそわそわし始める。

「僕も香ちゃんのお店に行こっかな〜」

「いいですよ。おごりませんけど」

「じゃあ、カバン取ってくる!」

 智晶さんは飛ぶように昇降口に駆けこんだ。


「僕も帰るよ。またね」

 九条院さんは先ほどの騒動で疲れたのか。元気がない。

「どうも、ありがとうございました」

 お礼を言って、僕は彼を見送った。


 結局、何もわからなかったか……。

 僕はもう一度、手すりから下を眺めた。

 下校する生徒が三々五々、正門から出て行くのが見えた。

 シグマが来そうな気配は全くない。


 調子のいいあいつは一体、何者だったんだ……?

 そもそも、あの時の出来事は何だったんだろう……?

 僕はひとり首をひねった。


 学校を出て、平太、智晶さんと三人で店に向かった。

 智晶さんは平太に、「君って、香ちゃんの彼氏じゃないよね?」とまた訊いていた。

 よほど気になるらしい。

 すらりとした智晶さんと、体格ががっしりとした平太。

 後ろから二人を見ていると、背丈もちょうど釣り合ってお似合いのカップルに見えるのにな、と僕は思った。


 坂を下り、喫茶店に着いた。

 テラスには既に読書少年の霧原君がいた。

 昨日は僕の失態でモカを飲み損ねたから、また来たのだろう。

 いつもの席でカップ片手に本を読んでいる。

 智晶さんが僕の視線に目敏く気づく。


「あっ、学食で本読んでた男子だ。あいつもここに来るんだ」

「はい、結構来ますよ」

「まさか、あいつも香ちゃんを狙ってるんじゃ? これは確かめないと──」

 そう言い捨て、智晶さんは霧原君の隣のテーブルに陣取った。

 智晶さんはちらちらと霧原君の様子をうかがっている。

 けど、どう見てもばればれだ。

 智晶さんは探偵にはなれそうにないな、と思った。


 まあ、それは置いておいて、とにかく着替えて、手伝わなきゃ。

 僕は平太と店に入った。

 智晶さんは僕がオーダーを取りに行くと、じっくり時間をかけてメニューを選んだ。

 僕を見るなり、モカと即答する霧原君とは大違いだ。

 お店に戻ろうとしたら、名残惜しそうな目で僕を見る。

「仕事ですから」と僕がさとす。

「仕方ないけど、淋しいなあ……」

 未練たっぷりの智晶さんを残し、僕は店に戻った。


 レモンティーにクラブサンド──。

 智晶さんのオーダーが揃った。

 平太にこれを持って行かせたら、智晶さんはどんな顔するかな、と意地悪心が頭を持ち上げたが、可愛そうなので止めた。

 それより、昨日みたいにひっくり返さないようにしないと。

 智晶さんに無事給仕が終わり、また戻ろうとしたら、呼び止められた。


「ねえねえ、香ちゃん。あいつ、やっぱり香ちゃんのこと見てるよ」

 智晶さんはちらりと霧原君のほうを見た。

「まさか。彼は本以外は興味ないみたいですよ」

「でもね、本当なんだ。あっちと香ちゃんのほうをずっと交互に見てるんだ」

 テーブルの下でこっそりと智晶さんが指さしたのは、通りの向かいのビルだった。

「どうして、あのビルなんか見てるんだろ?」

「さあ、僕にはわからないけど」

 智晶さんは手を広げた。


 僕は向かいのビルをもう一度見た。

 何の変哲もない四階建ての雑居ビルだ。

「しかし、あいつも香ちゃんに気があるようだったら、僕は許せないな」

 智晶さんはそう言い、クラブサンドにがぶりとかぶりついた。


 なんだか気になり始めた僕は、昨日のお詫びも兼ねて、霧原君の席に向かった。

「あのう、昨日はすみませんでした。それとあの本、ありがとうございました」

「別に気にしてないから」

 僕に一瞥もくれず、霧原君は本を読んでいる。

「本はもう少し貸しておいてくださいね」

 霧原君は無言でうなずいた。

「じゃあ、ごゆっくり」と僕が去ろうとした時──。


「あのビルの三階から、男がモカ娘のことずっと見てるよ」と小さく霧原君が呟く。

「えっ、本当に?」

「一つだけ開いてる窓があるだろ、あそこから」

 見ると、確かに一つだけ開いた窓がある。

「男の目的はわからないけど、一応気をつけたほうがいいよ」

 低く沈んだ霧原君の声。

 その声に、昨日の右肩の痛みを思い出す。


 もしかすると──。


 慌てて店に入った。

 平太の姿を探した。

 彼はカウンターでコーヒーを淹れていた。

 彼に駆け寄る。


「平太! 向かいのビルから男が僕のこと、ずっと見てるって」

「お前のことを男が見てる? 何だそれ?」

 平太はピンと来ないようで、怪訝な目で僕を見た。

 平太の隣にいた凪沙さんが声を上げた。

「それって、この間、香ちゃんを歩道橋で突き落としたヤツじゃない!?」

「あっ!」

 平太の手が止まり、僕を見た。

「おい、香! 男がいるのは向かいのビルのどこだ?」

「三階の窓が開いてる部屋」

「俺、行ってくる!」

 平太はカップを放り出し、店を飛び出ていった。

 僕もそれを追った。

 後ろから凪沙さんが僕を呼ぶ。

「香ちゃんはダメ! 平太に任せなさい! 私は警察を呼ぶから」


 でも、平太ひとりにはしておけない。

 僕は凪沙さんの言葉を無視して、店を飛び出た。

「香ちゃん! どこに行くの!」

 走る僕の耳に、智晶さんの叫ぶ声が聞こえた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ