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九条院家の存亡(旧バージョン)  作者: 天川一三
2011年前編
35/107

謎の装置と九条院さん

 なんということだろう!


 今日のお店での夕食は、カレーでなくピラフだった。

 ランチメニューがカレーセットだったので、夕方までに売り切れてしまったのだ。

 今夜はカレーの思いが最高潮に達していた僕は、ひどく気落ちした。

 どうやら、それは傍目にもわかったようで、帰り際に平太から、「香、また肩が痛むのか?」と訊かれるほどだった。


 食べ物に固執する性格なのか、その気持ちをひきずったまま、仁科家でぼんやりと夜のニュースを眺めた。

「今日は香ちゃんは大人しいわね」とソファーでくつろぐ凪沙さんに言われた。

 黙ってばかりだと、また気を遣われそうなので、「へへっ」と笑って誤魔化した。

 テレビのニュース番組は始まったばかりで、政治絡みの報道をやっている。

 僕はあまりというか、ほとんど政治には興味がない。


 今の首相って誰だっけ?


 それすらも怪しい。

 次は何かの法案のニュースのようだ。僕は部屋に戻ろうかな、とソファーから腰を上げようとした。

『与党の民主党は富裕層の海外流出を食い止めるべく、華族制度を復活させようとしているようです』

 ニュースキャスターの言った、その言葉が何故か気にかかり、僕はまた腰を下ろした。


「華族制度の復活だってさ。いくら不景気が長引きそうだからといって、やりすぎじゃないかな?」

 平吉さんが顔を動かし、凪沙さんを見る。

「ところが、あなた。商工会の人の話だと、日本に見切りを付けて、海外に移住しようとするお金持ちが増えてる、って話ですよ」

「まあ、この間の金融危機の処理が場当たり過ぎて、あれからずっと株式市場も為替相場もぱっとしないしね。消費が冷えこんでいるのは、うちのような商売だと身にしみて良くわかるけど」


 二人の話に平太が割りこんだ。

「けどさ、華族制度なんてうちには関係ないし、どうせいい思いをするのは、また金持ちなんだろ?」

「あなたが頑張って華族になればいいでしょ? 今度のは昔と違って、納税額が多ければ誰でもなれるようだし」

「無理、無理」

 平太は涼しげな顔でひらひらと手を振った。

「志が低いわね。男だったら、一度は上を目指しなさい」

 凪沙さんは片眉を吊り上げ、平太を睨んだ。

「香が華族になればいいよ。なんか華族のお嬢様っぽいし」と突然、平太が僕に話を振ってきた。

「僕が華族? まさか」

「でも、お前、この間、自分のこと九条院レイだ、とか言ってたじゃん。九条院家なら、華族間違いなしだろ?」

「だからー、その話は、僕の思い違いだよ。僕は九条院家とは関係ないみたいだし」


 それを聞いて、平太が悪戯っぽい目つきで笑った。

「まあ、ジャージ着て、テレビ見ながらケツ掻いてるのを目のあたりにすると、どう見ても一般庶民だしな」

「テレビ見ながらお尻なんか掻いてないよ! 僕!」

「俺はしっかり見たよ。この間」

 凪沙さんが二人のレベルの低い言い争いに、大きなため息をつき、

「二人とも華族なんて夢のまた夢ね」と呟いた。


 そう言われれば、確かにカレーを食べられなくて気落ちしているようじゃ、そうなのかも、と我ながら納得した。

 平太は凪沙さんの言うことなど、どこ吹く風で、あくびをしながらお尻を掻いていた。

 そんな平太を見逃さず、凪沙さんが叱りつける。

「何ですか! その態度は! 部屋で勉強でもしなさい!」

「まだスポーツニュースがあるのに……」と平太は名残惜しげにソファーから立った。

 凪沙さんは一度言い出すと、許してはくれない。

 平太もそれを良くわかっているのだ。

 リビングから平太がいなくなったので、凪沙さんの矛先が向かわないうちに、僕もそろりと部屋に退散した。


 自分の部屋に入り、ひとりになった。

 右肩が痛むかもしれないので、予習する気もしない。

 というか、宿題すらもそれを言い訳にさぼるつもりだ。

 かといって、まだ眠くもない。


 僕は部屋を見回した。

 机の上には霧原君から借りた文庫本。

 本も片手じゃ読みにくい。

 せっかく貸してくれたけど、読めるのはまだ先になりそうだ。


 机の下には、シグマが忘れていったヘルメットが隠してある。

 被ってみたい気はするが、重いし、片手じゃ被りにくい。

 隣の鏡台に目を移すと、相変わらず腕時計型の装置と口紅が乗っている。

 装置は二つに増えてるけど。


 僕は鏡台の前に座り、装置を手に取った。

 片方の装置は既に電池が切れたのか、液晶画面には何も表示されてなかった。

 シグマがくれた新しいほうは、メーターはほとんど満タンだ。

 じっと見ていても、この間のように、ボタンを押してみようかという気にはならなかった。

 また変なことがあると嫌だし。


 僕は呟く。

「あっ、これを九条院さんに見せてみよう」

 我ながら、いいアイディアだと思った。

 もし、僕と彼に繋がりがあるとしたら、何か九条院さんが思い出すかもしれない。

 そもそも、この間、九条院家に持って行けば良かったんだけど。


 僕は、次に口紅を手に取った。 

「これは……?」

 関係ないと思うけど、一応見せてみようかな。

 その二つを鞄にしまった。


 まあ、何も得るものはない可能性が高いけど──。


 そう思いながら、布団を敷き、電気を消した。

 明日はカレーが食べられますように……。

 暗がりの中、僕はそう祈った。


 ◇◆◇


 次の日の放課後。

 僕は九条院さんの教室に向かった。

 横には平太がいる。

 凪沙さんの言いつけで、僕のボディガード役だからだ。

 九条院さんを呼び出そうと、扉の前で教室の様子をうかがっていたら、智晶さんが目ざとく僕を見つけて走ってきた。

 用事があるのは今回は九条院さんなのに……、と僕は戸惑った。


「やあ、香ちゃん、来てくれたんだ」

 嬉しそうに僕を見つめる智晶さん。

 それから、横にいる平太に気づき、

「あっ、君はこの間、病院で会った……」と言ったところで、

「仁科平太です。香が先日はお世話になりました」と平太が頭を下げた。

 智晶さんの顔を見上げると、何か考えこんでる様子だ。

 平太が一緒にいるので、どういう用件で来たのか、想像がつかないのだろう。

 僕はおずおずと切り出す。

「あのー、今日は九条院さんに用事があって来たんですけど……」

 智晶さんの表情が一瞬で曇った。

「ええーっ、そうなんだ。でも、九条院さんには近づかないほうがいいよ、ってこの間、忠告したよね」


「米良さん。僕には近づかないほうがいいってどうしてかな?」

 背の高い智晶さんが振り向き、見上げた先に九条院さんの顔。

「九条院君、いたの?」と智晶さん。

「いたよ。僕のクラスだからね」

「香が九条院さんに用事があるんです」と平太が言うと、九条院さんは、

「君はこの間会った、日比野さんの彼氏か」と返した。

 それを聞いて、智晶さんが平太をじろりと睨んだ。

 平太は殺気を感じたのか、一瞬びくりとした。

 でも、どうして自分が睨まれたのかは、さっぱりわかってないはずだ。


「で、僕に用事って?」

 九条院さんが僕に訊いた。

「ここじゃ何ですから……」と辺りをうかがう。

 智晶さんはご機嫌斜めで膨れっ面だ。

 それに、智晶さんの言うように、クラスの女子たちがこっちを怪訝な目で見ている。

「いいさ、いいさ。僕はどうせのけ者だ」

 智晶さんが言い捨てる。

 困った僕は仕方なく、「じゃあ、智晶さんも一緒に」と誘った。

 餌を鼻先に出された犬みたいに、智晶さんはころりと態度が変わり、嬉しそうだ。


「とにかく、ここを離れましょう」

 僕はみんなを導く。

「どこに行くの」と九条院さんに訊かれたが、考えてなかった。

 学食はカレーが食べたくなるし……。

「じゃあ、屋上で」

 屋上への階段を上る途中、智晶さんが平太に、

「君が香ちゃんの彼氏、って嘘だよね?」と問い詰めてた……。


 屋上に出ると、風が強く、スカートがはためいた。

 風に吹かれないよう、昇降口の裏に僕らは回った。

「それで何かな? 日比野さん」

 九条院さんが微笑む……。


 僕はポケットから腕時計型の装置を取り出した。

「何、それ?」

 智晶さんが腰をかがめ、のぞきこんだ。

「いや、なんだか良くわからないんですが、一年前、僕が保護された時に持ってた物なんです」

「時計じゃないの?」

 智晶さんは興味津々のようだ。

「九条院さん。この装置に見覚えはありませんか?」

 僕は追尾してくる智晶さんの視線をふりほどき、九条院さんに装置を渡した。


 九条院さんは、装置をじっと眺めた。

 僕は彼の表情をつぶさに見ていたが、特に変化はうかがえなかった。

 大きな手の中の装置に、九条院さんは見入っている。

「時計みたいだけど、時計じゃなさそうだね。このボタンに文字が書いてる……。細かくて読み辛いな。えーと、『記憶が戻らないうちは絶対押さないこと』、何、これ?」

「良く意味がわからないんですよ。でも、ボタンは押しちゃダメですよ」

 と僕が言った時──。


「えっ、ダメなの?」

 九条院さんの長い指は既にボタンを押していた……。


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