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九条院家の存亡(旧バージョン)  作者: 天川一三
2011年前編
29/107

僕は九条院レイ

 昼飲んだ薬が効いてきたのか、夕方になると肩の痛みが引いてきた。

 試しに右腕を動かしてみた。

 ちょっとだけ腕が上がるようになった気がする。


「僕の名前は九条院レイ、九条院レイ……」

 布団の中、やることもないので、呪文のように何度もぶつぶつ呟いてみる。

 そうしていると、頭の中で記憶がうごめくようなそんな感覚がした。

 かき混ぜた薄墨の上、ぼんやりと文字が浮き上がってくるような、そんな感じだ。


 僕はこの名前を知っている。

 けど、本当に僕の名前なのかな?

 だって、夢では『九条院レイ』と名乗る女の子の姿を僕は見たじゃないか……?

 自分の姿を自分で見るなんて……。

 これもシグマという男のいう記憶の混同なのだろうか?


 玄関のほうで音がした。

 また、シグマが来たのかもしれない、と身構えたが、良く考えたら、もう学校が終わっている時間だ。

 案の定、「ただいま」と聞き慣れた声が届く。

 足音の後、すぐに部屋のドアがノックされた。

 左手で髪を整えながら、「どうぞ」と返事をすると、平太が顔をのぞかせた。


「香、大丈夫か?」

 心配そうな顔で平太が布団の脇に座る。

「まだ、腕があまり動かないんだ」と寝たまま答える。

「うーん、大変だな。早く治るといいけど」

 平太は腕組みして、それは布団のせいだと言わんばかりの顔つきで布団を見渡した。

 それから、腕組みを解き、「怪しいヤツとか来なかったか?」と訊いた。


 平太の問いに、僕は迷った。

 滅茶苦茶怪しい人物は来たんだけど……、言うべきか?

 どうしよう……。


 僕がすぐに答えないので、平太の表情が険しくなる。

「おい、誰か来たのか? 何もなかったのか?」

 その真剣な顔を見ていたら、本当のことを言わなきゃ、という気がしてきた。

 でも、平太を心配させないようにしないと。

「あのね……」

「やっぱり、何かあったのか!」

 平太の顔が近づく。

「お昼に男の人が来たんだ」

「で、何をされたんだ?」

「いや、その男の人は僕を知っているようで、ここに訪ねてきたみたい」

「香を?」

「うん」


 平太の顔からとげとげしさが落ち、驚きの表情に変わった。

「どこの誰なんだ?」

 僕は少し思い出してから、答える。

「えーとね。九条院そーけんのシグマさんとか言ってたかな」

「九条院そーけんのシグマ?」

 平太のオウム返しに、僕はうなずく。


「それで、そのシグマという人は、何を話したんだ?」

「記憶喪失で忘れちゃったせいか、その人の言ってることが良くわからなかったんだけど……」

「けど?」

「僕の本当の名前は、九条院レイらしいんだ」

「えっ!?」

 平太の表情が固まった。


 彼が驚くのももっともだ。

 僕はここに来て以来、ずっと、日比野香だったんだもん。

 今さら、その名前が違うだなんて、そりゃ、戸惑うだろう。

「でも、僕もその名前に確かに憶えがあるような気がするんだ」

「じゃあ、お前は……」

「僕は、九条院レイ、……多分」

「香じゃないのか……」

 平太の肩が落ち、大きなため息をついた。

 そんなにがっかりすることないじゃん。

 まあ、でも、香は馴染んだ名前だし、気持ちがわからなくもない。


「シグマという人は他に何か言ってたか?」

「急いでたみたいで、すぐに帰っちゃったから……」

「うーん」

 平太はまた腕組みをして、どかりと胡座あぐらをかいた。

 目を閉じ、何かを考えているようだ。

 僕はその顔をまじまじと眺める。

 しばらくして、平太の目が開く。


「はっきりするまでは、お前は日比野香のままだ。いいよな?」

「はっきりするって?」

「本当の名前がわかったんだから、家を探すのは簡単だろ。今晩、両親に頼んで、もう一度調べてもらうよ」

「ああ、そうか……」

「しかし、シグマとか言う男は気が利かないよな。もっと知らせることがあるだろうに。何しに来たんだか……」

 そう言い、平太は鞄を持ち立ち上がった。

「じゃあ、後で飯ができたら呼ぶから」


 部屋を出て行こうとする平太に、僕は声をかけた。

「香でいいから」

「ああ……」

 平太は僕を見てうなずき、ドアを閉めた。

 その時の彼の顔は少し微笑んでいたような気がした。


 平太と二人で夕食を済ませ、リビングでテレビを見た。

 天気予報の時に、平太が、

「今日は昼間すごい雷が鳴ったよな」と話しかけてきた。

「うん、びっくりしたよ」ととりあえず話を合わせる。

「体育で外に出てたから、クラスのみんなが慌ててたよ」

 平太が話すのをうなずきながら聞き、

「その後、地震がなかった?」と訊ねた。

「いや、地震はなかったぞ。外だから気づかなかったのかな? ここは揺れたのか?」

「じゃあ、気のせいだったかも」


 思い返すと、白昼夢のような出来事だった。

 僕が謎の装置で呼び出したシグマが口にしていたマシンのせい?

 でも、僕はそのマシンを見た訳じゃないし、それに天候を瞬時に変えたり、地震を発生させるマシンなんてあり得ない。

 それに、彼が言うには、駐禁の道路に置き去りにしてたくらいだから……。


 夜中のドラマが始まった頃、平吉さんと凪沙さんが仕事を済ませ帰ってきた。

 平太は彼らをキッチンで迎え、僕が話した事情を二人に説明しているようだった。

 三人がぼそぼそと話す声が、リビングまで届いた。

 やがて、三人の声が止み、リビングに平吉さんと凪沙さんが現れた。


「平太から聞いたけど、本当のこと?」と凪沙さんが静かに訊いてくる。

「はい、僕はそんな気がします」とうなずく。

「じゃあ、急いで調べないとな」

 平吉さんが凪沙さんを促すと、彼女は「そうね、明日にでも」と答えた。

 その様子を見ていたら、また手間をかけさせてしまって申し訳ないのと同時に、なんだか寂しい気がしてきた。


「でも、帰る家が見つかったら……」

 つい、口走ってしまう。

「確かに香ちゃんがいなくなると寂しくなるが、もう会えない訳でもないし」

 平吉さんは僕の肩を叩いた。

「もしあの九条院さんだとしたら、確か家は同じ区内なんじゃないかしら?」と凪沙さん。

 それに平太がソファーに座りながら訊いた。

「あの九条院さんって?」

「九条院銀行の頭取さんよ。うちの店が入ってる商工会の会長さんが知り合いだとか」

「えっ、まさか!」

 平太が絶句した。

「いや、香ちゃんは、どことなくいいとこのお嬢様の様な気がしてたんだが、それだと納得がいくな」

 平吉さんが僕の顔をまじまじと見た。

 僕はその時、前髪をいじりながら、寝たっきりでお風呂に長いこと入ってないから、ちょっと臭うな、と考えていた。


「お嬢様か。香がね」

 平太がどこか不満そうに呟く。

「何言ってるの、平太。逆たま、逆たま」

 凪沙さんが後ろから平太の頭を叩く。

「逆たま?」と平太が鬱陶しそうな顔で凪沙さんを見上げる。


「とにかく、頭取さんの娘なら話は早いわね。明日、早速銀行に問い合わせてみましょう」

 凪沙さんはポンと手を叩いた。

「珍しい名前だし、頭取さんの娘じゃなくても、親戚の可能性はあるだろうしね」

 平吉さんはあごひげをさすり、それに同意した。

「じゃあ、明日の朝一番で──。さあ、お風呂に入らなくちゃ」

 凪沙さんは慌ただしくリビングを出ていった。平吉さんもそれに続いた。


 平太とまた二人きりになった。

「もし、お前が家に戻っても、俺たち友だちだよな?」

 どことなく淋しげな平太の声がリビングに響く。

「うん、もちろんだよ」

 僕は平太の顔を見つめた。

「じゃあ、また明日」

 平太が立ち上がる。


 明日──。


 いよいよ、僕の過去が明らかになるのだろうか……。

 でも、わからなくても、このままでも……。

 僕の心は揺れた。


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