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九条院家の存亡(旧バージョン)  作者: 天川一三
2011年前編
17/107

高台の喫茶店

 平太の両親は高校から一つはずれた通りにある喫茶店を営んでいる。


 駅へとまっすぐ降りていく坂道の八合目くらいにある喫茶店だが、道の両脇には駅までずっと雑多な商店が連なり、その賑わいのおこぼれにあずかり、そこそこ繁盛しているようだ。

 私が通う高校の規則がゆるいせいか、放課後は学生たちも頻繁に訪れ、彼らの笑い声や嬌声で店は活気に満ちていた。

 小遣いの少ない高校生だけに一番安いブレンドコーヒーやジュースで長く居座るのだが、平太の両親は嫌な顔ひとつせず、むしろ彼らが話し飽きて店を出ていくまで暖かく見守っているようにも見える。そんな両親だから、私のようなどこの誰だかもわからない行き倒れを養ってくれているのだ、と実感する。


 私と平太は週末と平日で都合のつく日は、二人の手伝いをするために喫茶店へ出向く。

 居候の私にとっては、ただ飯ばかり食べてはいられないので、まさに渡りに舟といった心境だ。

 高校から彼らの店へは坂の上から降りていくことになるのだが、上から眺めると、舗道の並木の合間に店から張り出た板間のテラスがまず目につく。

 そのテラスには数席だけテーブルがあるのだが、そこに客がいるかどうかで、私たちは店の混み具合を判断する。

 私たちはバイトではなく、いわば店の関係者なので、繁盛しているほうが喜ばしいはずなのに、平太は混んでいると少しだけ面倒くさそうな顔をする。

 今日の私はさっきの平太の言葉で一大決心をしたところだ。いつもと違って、少しドキドキしているのはそのせいだ。


 平太の母親──、凪沙なぎささんというのだが、彼女にどういう風に切り出そうかと頭の中であれこれ考えたのだが、なかなか考えがまとまらない。

 もうログハウス風の店舗が間近になってきた。

 仕方がないので、仕事をしている最中に考えをまとめ、店が終わってから凪沙さんに話すことに決めた。


 テラスにさしかかると、平太が周囲を見回し、

「お! 今日は楽そうだな。ラッキー」と嬉しそうにつぶやいた。

 テラス席には客が一人もいなかったのだ。


 それでいいのかな?

 あなたの小遣いにも影響するかもしれないのに、と私はちょっと複雑な表情をして、店の扉を開けた。

 カランと扉の内側に下げたカウベルが鳴る。

 この音が鳴ったら、ご両親二人と私たちは店主と従業員の関係だ。

 実の息子である平太といえども例外ではない。

 凪沙さんはとてもしつけに厳しいのだ。


 とはいえ、平太の父親──、平吉へいきちさんはさほど厳しくもない。

 あご髭を伸ばし山男のような風貌で、体格もがっしりとしているが、店の経営権はがっしりと奥さんに握られているようだ。

 ちなみに店でも家でも、平吉さんが彼女のいうことに口出しすることは滅多にない。


「お疲れ様です!」

 私と平太はフロアで接客している両親にきびきびと挨拶をして、レジ脇からカウンター裏へ入りこみ、店の奥にある倉庫を目指した。そこで制服に着替えるのだ。

 カウンター越しにフロアをうかがうと、平吉さんが熊のようにのっそりとした物腰で私たちのほうを見ていた。

 そして、私が今日おそらく対峙することになる凪沙さんは、相変わらず機敏な態度で客席を回っていた。


「じゃあ、お前から着替えろよ」と倉庫ドアの前で平太が立ち止まる。三畳ほどの倉庫は荷物がいっぱいで手狭なのだ。

「お先に」とドアをくぐり、コーヒー豆の香りに満ちた倉庫に入った。

 制服は真っ白なシャツに黒いズボン。

 そして、胸もとが大きく開いた黒いベストをその上から羽織る。

 この格好は平吉さんがイタリアでバリスタの修行をしていたときの、店の制服と同じらしい。

 平太が待っているので、いつも着替えは大急ぎだが、ズボンを履くとなんとなく落ち着く。

 誰もいない倉庫で、私はほっとため息をついた。

 スカートは苦手だ。

 高校の制服もズボンならいいのに、と女のくせに思ってしまう。

 それから、気合いを入れ直し、平太と入れ替わり、店に出た。


 カウンターには凪沙さんが立ち、ミルクを器用に注ぎながらエスプレッソにラテアートを描いていた。

 今日のは舞い散る桜の花びらだろう。

 いつも季節にちなんだ模様を選んで、彼女は描いている。


「上手ですね」と私が声をかけると、「余計なお世話かもしれないけどね」と微笑んだ。

 ラテアートはサービスなので、客の風貌や身なりを見て、いつも何を描くのか決めているらしい。 私には無理かな、とは思うけど、ちょっと興味はある。

 それより、凪沙さんのご機嫌はまずまずのようだ。

 やっぱり、今日店が終わったら話すことにしょう、と心に決めた。


 店内はカウンター席が八つと、テーブル席が十席ある。

 土日の食事どきに客でいっぱいになると、かなり大変なのだが、今頃の時間は割と空いている。

 部活を終えた生徒がやって来るのは、まだ少し先なのだ。

 私と平太のように帰宅部の生徒もたまに訪れるが、おおむねは仲間でつるんでいる部活かサークルの生徒だ。


 特に接客もなく、窓からぼんやりと外の並木を眺めていたら、うちの高校の制服を着た男子がテラスに入ってきた。

 その男子が座る席を私は知っていた。

 週に何回か、いつもひとりでやって来て、同じテラス席に座るのだ。

 彼は冬の間はさすがに店内に入っていたが、その他の季節は全部テラスの定位置だ。

 そこで何をするかといえば、ひとり黙々と本を読むのだ。

 学校でも時々見かけるが、どうやら学年は私と同じようだ。

 でも、彼の名前はまだ知らない。


 彼が何を注文するかはわかっているけど、いちおうオーダーを取りにテラスへ向かった。

 扉を開いて外に出ると、すでに彼は本を読み始めていた。

 今日は風もなく穏やかで読書には良い日和かもしれない。

 ちなみに、彼は風の強い日は決してここを訪れることはない。


 横に人が立つ気配を感じ、彼は初めて本から目を離す。

 そして、優しげな表情で一瞬だけ私の顔を見て、「モカ」とオーダーを告げ、また本に目を戻す。 彼がこの喫茶店で話すのは、その一言だけだ。

 もしかすると、モカを選ぶのも、それがメニューの中で一番短い単語だからかもしれない。


「かしこまりました」

 私は彼のオーダーに答え、すぐさま店へ戻る。

 君って同じ高校だよね、とか言われるんじゃないかと思ったこともあるが、彼のご執心は本以外にはないようだ、と最近わかってきた。

 どうやら彼は、並木の葉がこすれる音をBGMに、読書することをこよなく愛する人のようである。

 そんな読書の彼が、いつもどおりの滞在時間でいなくなり、学生連中の賑わいと夕飯時の混雑が過ぎ去り、店を閉める時間も近づいてきた。


 いよいよ凪沙さんと対決だ、と心を引き締めつつ、私は店のあと片づけを急いだ。

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