日比野香、高校二年春
また、呼び出しをくらってしまった。
今月でもう四回目だ。
昼休みの校舎屋上、桜が散った季節とはいえ、まだ少し肌寒い。
青く晴れ渡った気持ちの良い空の下、僕──、
おっといけない! 私の周りだけ剣呑とした空気が渦巻いている。
私の前に立つのは八島奈美。
彼女は上背にものをいわせ、高い位置から刺すような眼差しで私を見下ろしている。
まあ美人ともいえる彼女の整った顔を見上げた後、またですか……、とやれやれ顔で、視線をそらしたのがいけなかった。
奈美にはそれが嘲りの笑みに映ってしまったのか、油に火を注ぐように、彼女の怒りに火をつけてしまった。
「日比野さん! あなたどういう了見? 他人の彼氏にばかり、ちょっかい出して」
いきなりきつい言葉の先制攻撃。ここまでの展開は前回とほぼ同じ。
彼女の台詞も前回と一言一句違わない。
ちょっとは違った言い回しを知らないのかな? と少し呆れた。
思い直して顔を向けると、電信柱の陰から様子をうかがうように、長身の奈美の後ろに小柄な麻生さんがいる。
今度の奈美のクライアントは彼女のようだ。
奈美も他人様の世話ばかり、毎度毎度ご苦労なことだ、と思った。
けど、いい加減、彼女と話をするのもうんざりだ。
前と同じことを言えば、いずれ他の女子のことでまた呼び出されるに決まっている。
何と言ったものかと考えあぐね、前髪をいじっていると、
「あなた、なんとか言ったら? 今度は本当だったりして」と奈美が意地悪そうに口の端を上げた。
その言葉に後ろの麻生さんが、おびえる小動物のように奈美の顔を見上げた。
あれあれ、奈美さんたら、クライアントを心配させちゃっていいのかなあ?
と麻生さんを気遣ってる場合じゃなくて。
「ところで、その彼氏って誰?」と訊ねてみた。
そう、私は麻生さんの彼氏など知らないのだ。彼氏のちょっかいなんてするはずがない。
おそらく彼氏が私のことを好きだと、麻生さんが勘違いをしているのが、実際だろう。
奈美は私の言葉に少し戸惑い、振り向いて後ろの麻生さんを見下ろしている。
麻生さんはおずおずと上目遣いに「月島くん」と小声でささやいたが、奈美はそんな彼女の言葉を無視し、
「ばっくれてるんじゃないわよ。わかってるんだから」と虚勢をはり、詰め寄った。
鼻の穴を広げ、いささか美人顔台無しの奈美が迫ってくる。
なんだかなあ……。
是が非でもこんな無為なやりとりは今回限りにしたい、と考えた私は、思い切って人知れず心に仕舞っていたことを言ってみることにした。
できれば、秘密のままにしておきたかったんだけど……。背に腹はかえられない。
カミングアウトの表情はさっきの奈美のを参考にすることにしよう。
私は奈美に詰め寄り、真っ直ぐ彼女の目を見据え、
「僕──、いえ、私は男には興味ないから」
口の端を上げ、笑ってみた。
ちょっと言い間違っちゃったけど、効果のほどはどうだろう?
二人を見てみると──、
奈美も麻生さんも目を丸くして、私の顔をまじまじと見ている。
何か言い返してくると思ったら、二人はすっかり沈黙しちゃって、上と下から視線を浴び、笑い続けてられなくなって頬が引きつってきた。
屋上に風が吹き抜け、スカートを強くはためかせた。
思わずスカートの前を押さえた。
お尻の辺りまで冷たい風が吹きこんでくる。
どういう訳か、未だにこの感覚には慣れない。
なんだか股間が心許ない。
スカートは苦手だ。
女なのにどうしてなのかな?
ふと、そんなことを考えていると、奈美が形のいい顎を突き出し、上から目線で、
「その言葉は本当ね?」と訊いてきた。
麻生さんは安心したのか、嬉しそうに口許を緩ませている。
「本当よ。けど、他人には絶対言わないでね」と私は奈美に念を押した。
それがいけなかった。
奈美はそれを聞いて、意味深な顔で、ニヤリと笑った。
しまった! と思ったが、時すでに遅しだ。
予鈴が鳴り、彼女たちと別れ、というか、同じクラスなので、向かう先は同じ。
敵対してたはずなのに、なんか間抜けだ。
彼女たちの少し後ろを歩きながら、先のことを考えると、頭が痛くなってきた。
おそらく放課後までには、私がレズだとクラス中に言いふらされているだろう。
波風立てずに高校生活を静かに送りたかったのに……。
日比野香、高校二年の春、波乱の幕開けだった。