タイムマシン
「説明ありがとうございました。タイムマシンの問題点は良くわかりました」
麗ちゃんが立ち上がった。僕もそれに続いて立ち上がる。
柴久万はまだ何か話したそうな顔で僕らを見ている。
「郁。どうやらかなりの危険があるようだから、あなたは来なくてもいいわよ」
麗ちゃんが僕に告げた。
ということは、麗ちゃんは今の説明を聞いた後でも、本気でタイムマシンに乗るつもりなんだろうか?
それはあまりに無謀というものでは? と思う反面、
ここで彼女を見捨てては男がすたるぞ、郁!
という気持ちもあったが、未知の恐怖でなかなか答えられずに、立ちつくしていた。
そんな僕の様子を見て、柴久万が麗ちゃんに訊ねた。
「じゃあ、今回はお嬢様、お一人で?」
その言葉が引き金になり、僕は勢いよく答えた。
「僕も行くよ! 麗ちゃん!」
そう言うやいなや、麗ちゃんは嬉しそうに僕の手をつかんだ。
「ありがとう、郁! あなたがいてくれれば、私も心強いわ!」
僕は苦々しい笑みを浮かべ、それに頷いてみせた。
「というわけで、柴久万さん。二人です」
すかさず、柴久万にVサインを見せる麗ちゃん。
柴久万も嬉しそうにそれに大きく頷き、「では、何年前に跳びますか?」と訊くと、
麗ちゃんは「2010年でお願いします」と即答した。
柴久万はそれを聞いて俄然やる気が出たのか、肩を一つ回してから、会議室の電話に飛びつき、「もしもし、柴久万だ。お嬢様のタイムリープの件、搭乗は二名、転送先は2010年で設定開始」と用件だけ告げ、受話器を叩きつけるように切った。
彼が顔を背け、大きな手を口にあてがい「これは研究所発足以来の大実験だぞ」と興奮気味に呟くのを、僕は聞き逃さなかった。
その後、柴久万に連れられ、二人は会議室を出た。
僕の気分は、ほとんど死刑囚だ。
さしずめ、柴久万は死刑執行人といったところだろう。
廊下突き当たりのエレベータに三人で乗りこむ。大型自動車が楽にそのまま入るくらいの、とても大きなエレベータだった。
柴久万はキーを使い操作盤下のパネルを開き、そこに現れたガラス板に掌を乗せた。
するとエレベータが動き始めた。
「静脈による生体認証ですよ。なんせ、極秘中の極秘事項なんでね」と僕らにウインクする柴久万。
エレベータはかなりの時間、降り続けているようだったが、階数表示も何もないので、どのくらいの深さまで降りたのかは見当がつかなかった。
しばらくして、エレベータが止まり、ドアが開いた。
エレベータから降り、一歩踏み出すと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
僕らが立っているのは工場のキャットウォークのような通路だった。
三階分の高さはありそうな、その通路から見下ろすと、体育館ほどのスペースに大小様々な鉄パイプが縦横無尽に張り巡らされていた。
緑色の照明に照らされた空間はあちこちから蒸気のようなものが噴き上がり、遠くは緑のもやに包まれ判然としない。
麗ちゃんも驚いているようで、呆然とその様子を眺めていたが、
「タイムマシンはどこですか?」と柴久万に訊ねた。
「あれですよ」
柴久万は長い手で真っ直ぐに、中央を指さした。
薄もやの中、自動車くらいの卵形のオブジェが浮かんでいた。
「あれがタイムマシン……」
麗ちゃんが声を漏らした。
「今はエネルギー充填中なので、電磁力で浮き上がっています」
柴久万は何かに取り憑かれたような目でタイムマシンに見入っている。
この期に及んで、僕はようやくタイムマシンが実在することを痛感できた。
九条院ってすごい会社だったんだ、と心底思い、
「こんな機械があるなら、別に今回僕らが使わなくても九条院は救えるんじゃないの?」と麗ちゃんに訊いた。
それを横から聞き、麗ちゃんに先がけ柴久万が答えた。
「いや、一般商用化するにはコストが絶対的に見合わない。なんせ、エネルギー源が核融合炉ですからね。だから、この機械はまさに今回のような九条院の窮地を救うためにあると言っていいでしょう」
柴久万は今にもステップを踏み出しそうなくらい、声がはずんでいる。
「とにかくタイムマシンのところに行きましょう」
麗ちゃんに催促され、柴久万が歩き出す。
歩きながら柴久万はポケットから、腕時計のようなものを取り出し、説明を始めた。
「これは、小型の発信装置です。タイムマシンというのは時間だけを移動する機械に思われがちですが、実際は地球は太陽の周りを、太陽系は銀河系の周辺を、そして銀河系ももの凄いスピードで宇宙空間を移動しています。つまりはタイムマシンは空間移動装置でもあり、時空間の座標がピンポイントで正確に特定できないと、行ったが最期、戻れなくなってしまうのです。これはそのための発信装置です」
僕は話が良くわからなかったが、麗ちゃんが、
「ということは、タイムマシンは過去に行った後に、ずっとそこにとどまるのではないのですね?」と彼に訊き返した。
「そうです。タイムマシンはエネルギー充填のために、一旦ここに戻ってきて、この発信装置で呼ばれるまで待機します」
「でも、過去にとどまっていても、どうせ戻るなら同じ……、あっ、そうか」と麗ちゃんは手を打った。
柴久万が歩きながら、それを見て頷く。
「そうです。先ほども言ったように、過去で二人が何かをしている時間も、タイムマシンが戻るために移動する距離は刻々と変化するのです。下手をすると、戻る途中でエネルギー不足なんてことにもなりかねません。充填できるエネルギーにも限界がありますし、放っておいても少しずつエネルギーが放出されてしまうのです。だから、二人を送り届けたら、すかさずタイムマシンは回収したほうが良いのです」
「わかったわ。じゃあ、それを」と麗ちゃんは柴久万から発信装置を取り上げた。
階段を下り、うねる鉄パイプを横目に進んでいくと、ようやくタイムマシンに向かう一本の通路が見えた。
三人は立ち止まり、宙に浮かぶタイムマシンを見上げた。
タイムマシンは緑のもやをまとい、鈍く光を反射させ、さながら小型のUFOのようだった。
「あれで過去に……」
僕は呟いた。
「おそらく、あなた方が人類最初のタイムトラベラーですよ。ネズミや猿には先を越されてますけどね」
柴久万は喉を鳴らし、くぐもった声で笑った。
麗ちゃんは意を決したのか、無言で一つ大きく頷き、まっすぐタイムマシンへと歩いていく。
それに続くと、僕らが近づいた頃合いでタイムマシンの降下が始まり、窪んだ台座に音もなく着地した。
「エネルギー充填が終わったようです。準備万端といったところですな」
柴久万がまた笑った。
僕と麗ちゃんはタイムマシンの前に立った。
「覚悟はいいわね。郁」
麗ちゃんが僕の目を見る。
「うん」と僕は彼女の目を見返し、即答した。
ここまで来ちゃ、さすがに覚悟ができた、というか、もうヤケクソだ。
「じゃあ、開けましょう」
軽い足取りで柴久万は台座のステップを駆け上がり、タイムマシン側面のパネルを開くと、スイッチを押した。
空気が圧搾されるような音とともにタイムマシンの扉が開いた。
僕らもステップを上がり、中をのぞいた。
タイムマシンの中は殺風景で、機械類は見当たらず、湾曲した壁に沿ってぐるりとソファーのような座席があるだけだった。
「コントロールは全てインプットされてますので、乗っているだけで大丈夫ですよ。搭乗員はネズミや猿でも問題なしです」
僕らの表情に不安げな様子が見えたのか、柴久万が講釈した。
しかし、ネズミや猿でも、ってひどくない?
「じゃあ、私たちはここに座っているだけでいいのね」
早くも乗りこんだ麗ちゃんが、座席を叩いて示した。
「そうですよ。座っているだけで、あなたがたは過去にひとっ飛びです」
「さあ、郁も早く座って! 早速行きましょう」
麗ちゃんに促され、僕もおそるおそるタイムマシンに乗りこみ、彼女の横に座った。
安全ベルトもないけど、本当に大丈夫なのかな、と内心かなり心配だった。
僕たちが座ったのを見て、柴久万は僕らに手を振った。
「じゃあ、お元気で。五分後に発進します」
そう言い終えると、彼は扉をゆっくりと閉じた。
「郁。本当にありがとう。もしものことがあっても、郁が一緒なら恐くないわ」
麗ちゃんが僕の手を握った。
あまり縁起の悪いこと言わないでよ、と僕は思ったが、
「大丈夫だよ」と自分に言い聞かせるように答え、彼女の手を握り返した。
麗ちゃんは腕時計を見ている。
もう既に一分は経っただろうか?
本当に、死刑執行直前の死刑囚にでもなったような気がしてならない。
タイムマシンの中は振動もなく、とても静かで外からの音は何も聞こえない。
時間が迫るにつれ、麗ちゃんが前髪をいじる手がかなり早くなっているような……。
こんなに緊張した麗ちゃんを見たのは初めてかも知れない、と思っていると──、
突然、扉が開いた。
もしかして、もう着いたの? と僕が思って、開いた扉を見た。
麗ちゃんもそう思ったのか、同じように扉を見た。
だが、そこから現れたのは五稜篤だった。
◇◆◇
どうして篤がここに?
僕と麗ちゃんは二人して混乱のあまり言葉もなかった。
ただ驚きの表情を固めたまま、篤の顔を凝視するばかりだった。
そんな中、最初に言葉を発したのは篤だった。
「おい、麗! こんなものに乗ってる場合じゃないだろ。早く降りろ!」
篤はタイムマシンに乗りこみ、長い手を伸ばし、麗ちゃんの手首を乱暴に掴んだ。
「痛いっ!」
麗ちゃんが声を上げた。
その痛みが引き金となったのか、彼女の思考回路がまた動き出した。
「あなたが、どうしてこんな所にいるのよ!」
麗ちゃんは篤の手を振りほどこうと、もがきながら叫ぶ。
篤はしっかりと彼女の手首を掴んだまま、あの嫌な笑みを浮かべた。
「どうしても何も俺はここの筆頭株主さ」
「なんですって! あなたが?」と麗ちゃんは抵抗するのも忘れ、篤を見上げる。
「そうさ。お前の親父の株は五稜が引き受けた。所長からお前が今日ここに来るって聞いたんで、飛んで来たのさ」
篤は自慢げに鼻を膨らませた。
なるほど、そういう訳か──。
僕は納得すると同時に、とにかく篤と麗ちゃんを引き離さないと、タイムマシンが発進できない!
そう思い、篤の手に飛びかかったが──、
「外野の腰ぎんちゃくは引っこんでろ!」
篤の肘打ちをもろにみぞおちに食らい、床に倒れこんだ。
「郁!」
呼吸に喘ぐ僕に、麗ちゃんの声が響く。
「とにかく、お前は降りろ!」
篤がまた彼女の手を引く。それに必死で抗う麗ちゃん。
二人がもみ合いながらタイムマシンの扉に近づいた時、麗ちゃんが自由なほうの手で素速く扉の取っ手を掴むと、それを閉じた。
篤が扉をまた開こうと飛びつく。
僕はそれを止めようと、倒れたまま這い寄り、その片足にしがみついた。
「こら! 離せ!」と篤が反対の踵で、僕の頭を思い切り蹴った。
それでも、僕は離さなかった。
すると、今度は彼の踵が僕の鼻先にもろに当たった。
ふっと意識が遠のき、手から力が抜ける。
僕の体が床に沈みこんだ瞬間、全身に激しい振動が伝わってきた。
麗ちゃんも篤も、その振動に耐えかね、バランスを崩し床に倒れこむ。
「なんだこれは!」
篤が叫ぶ。
振動は徐々に激しさを増し、その振動にともなう唸りが麗ちゃんの声と篤の声を飲みこんでいく。
最後に聞こえたのは、麗ちゃんが僕を呼ぶ声だった。
そのすぐ後、視界は暗転し、何も見えなくなり──、
僕の意識は飛んだ。