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九条院総研

 僕は昨晩ようやく、わが家に帰った。


 よく考えると、一昨日の昼休みに学校を出てから家には何の連絡も入れずに外出したままになる。

 幸い、冴島さんが僕の家に電話してくれていたので、面倒な説明はしなくて済んだが、母にはこっぴどく叱られてしまった。

 妹からは寝るまで、不良、不良とちゃかされまくり、かなり鬱陶しかった。

 まあ、麗ちゃんと一緒だった、ということで父には大目に見てもらえたが、こりゃ、来月の小遣いはそれなりに減額されるに違いない……。

 今朝は今朝で学校に出かけたフリをして、今どこにいるかといえば、麗ちゃんの家の応接間だ。

 これは不良とまで行かなくても、立派な登校拒否生徒なのかもしれない。


 そんなことを考えながら、応接間を見回すと、先日の騒ぎの名残なごりか、空の段ボールや書類の入ったバインダーがテーブルの上に散らばっている。

 僕は荒れてしまったテーブルを横目に、応接間奥へと進んだ。


 応接間の調度品は、私財を売り払ったせいか、僕が幼稚舎の時に初めてこの部屋を目にした時に比べると、かなり少なくなっているというか、ほとんど残っていない。

 背の高い柱時計も、アールヌーボの美しい造形の電灯も、壁に掛かっていた何枚かの大きな風景画もすっかりなくなってしまっている。

 ただ一つ、小さなガラス造りの電灯だけが、マントルピースの中央に大事そうにまだ飾られている。

 僕はその前に立ち、そのスイッチを入れてみたが、電球が切れているのか明かりは灯らなかった。

 と、後ろで人の気配がしたので、振り返った。


 麗ちゃんだった。

 今日の彼女はジーンズにトレーナーとラフな格好だったが、唇にはあのフロスティピンクの口紅がしっかり塗られていた。

 麗ちゃんは僕の横に立ち、電灯の傘をいとおしそうに優しく撫でた。

「これね。故障しちゃったみたいなの。修理しなきゃと思ってたんだけど」

「これって、昔からここにあったよね」

「そうよ。私はこの電灯には大切な想い出があるの」

「だから、処分しないで残してるんだ」


 僕はきっと家族との想い出なんだろうな、と考え、またその電灯を眺めた。

 くすんだ赤と白のガラスがモザイク模様に並んだ、きのこのような傘。

 きっと電気が点くと綺麗なんだろう。


「まあ、それは売っても大した値段にならないし……」

 麗ちゃんがちょっと淋しげな目で、電灯を見つめた。

 それから、麗ちゃんは思い直したように、僕を見ると、

「さあ、行きましょう! いよいよ、正念場よ!」と拳をかざした。


「う、うん……」

 僕はそれに曖昧にうなずいた。実はまだ彼女のタイムマシンの話は信じきってなくて、中途半端な心構えで今日はここに訪れたのだ。

 麗ちゃんは今日、タイムマシンで過去に飛ぶつもりなんだろうか?

 もし、本当にそうなったら僕に過去に旅立つ覚悟はできるのだろうか?


「さあ、早く!」

 麗ちゃんが僕の手を引き、二人は応接間を出た。


 ◇◆◇


 雨の中、冴島さんの車で九条院総研に向かった。

 都心部にあるのか、と思っていたら、車はどんどん郊外へと進んでいった。


 閉鎖された工場、

 草が生え放題の飛行場、

 買い手が付かずに空き部屋ばかりのマンション、

 人気のない団地──。

 都心部とはまた違った光景が窓の外を流れていく。


 もし、仮に麗ちゃんが過去に行けるとしたら、今見ているこの景色を変えることができるのだろうか?

 彼女が言う明るい未来、それをタイムマシンで手に入れることができれば、どんなに素晴らしいかわからない。

 本当にそれができるならば……。


 物思いにふけること一時間あまり、目に映る光景に緑が目立ち始めた頃、車は道を逸れ、高い塀に囲まれた敷地の前で止まった。

 冴島さんが車を降り、ゲート横の警備室で手続きをすると、そのゲートが開いた。

 正面には、ロータリーの向こう、窓の少ないサイコロのような立方体の建物があった。

 五階建てくらいだろうか?

 車はロータリーを回りこみ、正面玄関で僕らは車を降りた。


「郁、着いたわよ。覚悟はいいわね」

「う、うん……」

 麗ちゃんの問いにまた僕は曖昧に返事をした。

 実は覚悟なんてなくて、未だに半信半疑だし……。


 そんな僕の気持ちなどお構いなしに麗ちゃんはさっさとエントランスにある受付に寄ると、既に話がついているようで、すぐに所長が出てきた。

 白髪交じりの頭のいかにも研究者といった風貌の中年男性だった。


「これはこれは。ようこそ、お嬢様」

 所長がうやうやしく頭を下げた。

「挨拶はいいから、あれの用意はできてる? すぐに使います」

 その言葉に所長が何かを両手で止めるような仕草で、

「いえ、まず説明を聞いていただかないことには」と少々焦り気味の表情で言った。


「説明なら聞きますから、案内して」

 麗ちゃんはそんな所長の様子は気にとめるふうもなく、研究所の中に入ろうとした。

 所長が慌てて、それを引き止めた。

「いえ、お嬢様、あれならこっちです」と所長が先を進み、正面玄関の横のほうへと僕らを手招きした。

 所長が用意した傘をさし、研究所を壁沿いにぐるりと回り、裏手へ出ると先の建物に隠れる形で、小さなやはりサイコロ型の建物があった。それは二階建くらいの小さな建物だった。


「あそこなの?」

 麗ちゃんがいぶかしげな目で建物を睨んだ。

「ええ、機密事項なので別棟で開発しているのです」と所長は手もみをし、それから、

「実はまだ、動物実験の最中でして、人体にどういう風な、影響があるかは、皆目見当が付いておりません。その辺については、責任者より、説明をさせますが」と歯切れの悪い喋りでまくしたてた。

 僕はそれを聞いて、本当にタイムマシンがあるの! と驚くのと同時に、嫌な汗が体から噴き出てくるのを感じた。


 麗ちゃんはといえば、

「そんなことは覚悟の上です。もう時間がないのです。動けばかまいません」

 ええー! そんな……、麗ちゃん。それじゃ、ほとんど僕らは実験動物じゃない!

 なんだか胃がきりきりと痛んできた……。

 まさか、本当にタイムマシンがあるなんて思ってなかったし……。


 僕のそんな思いとは関係なく、どんどん麗ちゃんは歩いていき、ついにその建物に僕らは入った。

 そして、所長に小さな会議室に案内され、そこで座って待っていると、白衣を着た責任者らしき人物が入ってきた。

 長身で大きな黒縁眼鏡をかけた、偏屈そうなその白衣の男は、

「特務開発責任者の柴久万しぐまと申します」と大袈裟に腰を折り、僕らに名刺を差し出した。

 それから、柴久万は会議室の大画面モニターを点け、僕らを前に話し始めた。


「タイムマシン自体の開発は実用においては論理的には問題ないというのが我々の結論です。ただ、装置を稼働させた場合に副次的に発生する影響につきましては、まだ未知の段階です。そこで、お二人には、これまでの動物実験の結果をまずお見せいたしましょう」

 回りくどい言い回しで喋ると、柴久万はリモコンのスイッチを押した。

 モニターに画像が映し出された。

 その画面の中、ネズミが迷路をちょろちょろと走り回っている。


「これはタイムマシン実験前のネズミです。彼は学習で迷路のどこにエサがあるかを憶えています。ですが……」

 画面が切り替わった。

 先ほどは、迷いもなく一目散に走っていたネズミが、迷路の隅で右往左往している。

 画面のネズミを指示棒でつつきながら柴久万は言った。

「ご覧のとおり、実験後は記憶が失われたのか、エサのありかがわからないようです」


 それを見て、麗ちゃんが手を挙げた。柴久万が指示棒で彼女をさすと、麗ちゃんは、

「これはどのくらいの時間、ネズミはタイムリープしたのでしょう?」と彼に訊いた。

 その問いに柴久万は嬉しそうに、にやりと笑ったように見えた。

「これは二秒ですね。二秒間、過去にネズミを跳ばしました」

「たった、二秒……」

 麗ちゃんはそこまで言うと、絶句した。

 彼女が呆れるのも無理もない、タイムリープしたと言っても、たった二秒じゃ……。

 柴久万は黙りこんでしまった僕らを見て、今度は喧嘩を止めるように両方の手の平を突き出し動かした。


「ご心配なく。ネズミはしばらくすると記憶を取り戻しました。それと、たった二秒とお考えでしょうが、それは必要とするエネルギーの関係で二秒にしたのであって、一年、二年と長い時間のタイムリープでもエネルギー充填さえクリアできれば何の問題もありません。論理的には」

 最後に取って付けたような「論理的には」という言葉がすごく気にかかるんですけど……。

 麗ちゃんを見ると、ここに来た時の勢いはすっかり削がれたようで、前髪をさかんにいじっている。


 僕らの表情をぎょろりとした目で交互に確かめてから、柴久万はリモコンを押し、続きの説明を始めた。

「了解いただけましたか? では次は猿の実験です。今度は猿を五分過去に跳ばしました」

 画面に檻に入れられた猿が出た瞬間、麗ちゃんが声を上げた。

「もういいわ。それで、例えば五十年前でも人間のタイムリープは可能なのね?」

 柴久万がその問いに応え、タイミング良くポンと手を打ち、僕らを指さした。

「もちろん可能です。論理的には」

 なんだか調子のいい人だ。

 駅前やデパートの実演販売のおじさんと大差がないようにも思えてきた……。


 こんな人に僕らの命を預けて大丈夫なのだろうか?


 僕は正直心配になったが、麗ちゃんは大真面目に彼にまた質問をした。

「エネルギーの充填は問題ないのね?」


 よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに柴久万が目を剥いた。

「もちろんですとも! この地下には核融合炉が設置されてますから!」


 僕と麗ちゃんは、その言葉に驚き、顔を見合わせた。

 どうやら、ここの地下にはとてつもない設備が隠されているようだ。

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