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高台のカフェテラス

 彼女が耐え難い悲しみを一人抱えこんでしまった時、必ず訪れる場所がある。


 それが、高台のうらびれた通りにある古い喫茶店のテラスだ。

 店はログハウス風の一軒家造りで、通りに面して床が木張りのオープンテラスが広がっている。

 長く続く坂の八合目くらいにある、その店のテラスからは駅へと続く街並を一望できる。


 だが、それは見ていて、楽しくなるような風景ではない。

 停滞する日本経済の影響だろう。

 通りの両側に目立つのは、ペンキが剥がれ落ち錆びついたシャッターがいつも閉ざされたままの店舗と廃ビルの行列だ。

 人通りも極めて少なく、ましてや坂の上ともなると、人とすれ違うのもまれだ。

 誰からも振り向かれることなく、ひっそりと静まりかえった、この通り。

 楽しい気持ちになるというのは無理どころか、むしろ心がひどく落ち込んでしまうくらいの寂寥感を漂わせている。


 この店の年老いたマスターの話では、昔は近くに学校があって、放課後はその学生たちで溢れかえり、街にも活気があったそうだ。

 それが学校が閉校になった頃から、不景気の波が一気に押し寄せ、店が次々とたたまれ、ついにこの有様になってしまったとのことだ。


 僕はこんな場所で、彼がこの店をどうして続けているのかが不思議でならなかった。

 ある時、マスターに訊いてみたところ、彼は、

「趣味のようなものですよ。それにここには想い出がありますし」とテラスから店のほうをどこか悲しげな目で見た。

 見ると、ログハウス風の外壁のマスターが見つめる一角だけ、木がつぎはぎしたような感じになっている。

 僕はそれを眺めながら、何か辛い出来事でもあったのかな、と思い、それ以上深く詮索はしなかった。


 麗ちゃんと僕は今、その物悲しい通りに面するテラスに座っている。

 九条院本社ビルからずっと泣き続けていた麗ちゃんも、この店に来てようやく落ち着いたようで、物憂げな目でコーヒーを何度も掻き混ぜている。


 そういえば、初めて麗ちゃんとこの店に立ち寄った時、マスターは驚いたような表情で、どういう訳か彼女の名前を訊ねたことがある。

 麗ちゃんが名前を告げると、マスターはすぐに元の落ち着いた顔つきに戻ったが、彼の目はいつも彼女を見ているような気がする。

 数席あるテラス席の端ではよく見かけるお爺さんが、いつものように鼻髭ひげをいじりながら一人静かに本を読んでいる。いつもスーツ姿で小洒落た装いのそのお爺さんは、片手に本を持ち、コーヒーを飲む時も本から目を離すことがない。

 近所に住んでいるのかなと思うのだが、声はお互いにかけたことはない。


「あのね……」

 ずっと黙っていた麗ちゃんが僕に話しかけてきた。

 泣き腫らして、まだ赤みを帯びた彼女の目には、もう怒りも悲しみも感じられない。

 穏やかな表情がそこにあった。


 僕は飲みかけていたコーヒーカップを置いた。

「なに? 麗ちゃん」


 麗ちゃんが僕の目を見て、ぽつりと呟く。

「私には夢があるの」

「え、それはどんな夢?」

 彼女はゆっくりと通りを見回し、それからまた僕を見て、言った。

「この街を昔のような活気溢れる場所にしたい、という夢よ」

「それって、つまり?」


 僕は何となく彼女の言わんとすることがわかった。

「そう。日本をもっと元気にしたいの。そして、みんなが明るい未来を夢見ることができる社会を取り戻したいの。郁が皇爵に言ったようにね」

 麗ちゃんなら出来るような気がする。

 僕はそれに黙って頷く。

「そのためには!」

 突然声を張り上げ、麗ちゃんがテーブルを拳で叩く。

 カシャリと二人のカップの音が響いた。


 僕は少し驚いて彼女の顔を見た。

 彼女の目にまた光が宿っている!

 僕は固唾を飲んで次の言葉を待った。

「九条院グループを必ず再興させないと!」


 あの副社長との対決から麗ちゃんが立ち直った!


「じゃあ、まず秘書の七瀬さんを捕まえるのが先決かな?」

 僕は僕なりに今後の方針を言ってみた。

 だが、彼女は首を振って否定した。


「じゃあ、麗ちゃんの言ってた華族法第何条とかの手続きを早速開始するとか?」

「いいえ、違うわ」

 またダメだったので、考え直したが、方策が浮かばない。

 下手の考え休むに似たり、と言うけどまさにその通りだな、と思っていると、

「いくら郁が考えても絶対わからないわ。だって……」

 途中まで言うと、麗ちゃんはくすくすと笑った。


 麗ちゃんがやっと笑った、と僕もなんだか少し嬉しくなった。

 そして、彼女の次の言葉を待ったが、彼女は口に手をあてがい、まだ笑っている。


「ねえ、教えてよ。僕には絶対わからないんでしょ?」

「そうよ。郁どころか、副社長にだってわからないわよ」

 なんだろう? すごく気になる。


 僕はテーブルに身を乗り出し、訴えた。

「もったいぶらないで教えてよ。この状況で麗ちゃんが笑うくらいなんだもん。もの凄い考えなんでしょ?」

 麗ちゃんが笑うのを止め、僕を真っ直ぐに見た。

 それから、自信満々の声で言ったのは──。


「タイムマシンよ」

「え?」

 意外な言葉に拍子抜けして、思わず口が開いてしまった。

 次に僕は麗ちゃんの顔をまじまじと見回した。

 あまりの出来事の連続で、もしかして頭が変になっちゃったんじゃないか、と心配しながら。


 それを見て察したのか、麗ちゃんが

「郁。私の頭がどうかしちゃった、と思ってるんじゃないの?」と半眼で睨んでくる。

「だってさ。タイムマシンだよ。まだエアカーだって飛んでない時代なのに」

 僕は大袈裟に手を広げて見せた。


 だが、麗ちゃんは僕のそんな仕草を一向に気にすることもなく、

「タイムマシンで過去に飛ぶの。そして九条院を必ず再興させてみせるわ」と腕を振った。

 その肘がコーヒーカップに触れ、白いテーブルクロスに茶色い染みが広がった。

 僕はその染みを見ながら、とうとう麗ちゃんがおかしくなっちゃった、と少し悲しい気持ちになってきた。

 麗ちゃんはといえば、姿勢を戻し、じっと僕の様子をうかがっている。


 僕は、何と言って良いやら、言葉が見つからず、途方に暮れるばかりだ。

 仕方なく、ここはひとつ彼女に話を合わせてみるか、と思いついたのは、テーブルの染みがかなり大きくなった頃だった。

「ところでさ、そのタイムマシンってどこにあるの?」

 やっと話に乗ってきた僕に満足したのか、麗ちゃんはうっすらと笑みを浮かべながら答えた。

「九条院総研よ。そこで密かに開発していたの。これは九条院一族しか知らないことよ」

「九条院総研?」

「そう。九条院グループの研究機関、いわゆるシンクタンクよ」

「それは本当なの?」

「論より証拠よ。明日早速行きましょう」


 僕は麗ちゃんの目を観察した。

 嘘をついているようにも、いかれちゃったようにも見えない。いつもの知的な目だ。

 それにこの期に及んで僕に嘘をついても何のメリットもないはずだし……。


「わかったよ。本当にあるんだね」

 多少やれやれ顔かもしれないが、彼女に折れることにした。

 その言葉に麗ちゃんが身を乗り出し、僕の腕を掴んだ。

「郁も私と一緒に行ってくれるわね! 過去に!」

「うん。タイムマシンが本当にあったらね」

 とりあえずそう答えておくことにした。ここは彼女の今後の行動で確かめるしかない、と考えたのだ。


 そこへ突然、聞き覚えのない声が横から割りこんできた。

「そういうことでしたか」

 その声に二人で横向くと、いつも本を読んでいるお爺さんが僕らのテーブル脇に立っていた。

 このお爺さん、いつからそこにいたんだ?


「な、なんでしょうか……?」

 秘密を聞かれたことに慌てたのか、麗ちゃんがちょっと泡を食った顔で、そのお爺さんに訊ねた。


「通りかかったら、ちょっと気になる単語が聞こえたので、悪いけど聞かせてもらいましたよ。お陰でやっと永年の謎が解けました。マスターにも話しておかないと」

 お爺さんは上品な笑みを浮かべ、柔らかな眼差しで僕を見下ろしている。

「SFではマルチユニバースか分岐型未来とでも言うのかな。とにかくお二人とも黒いボックスカーには気をつけなさい」

 そう言い残すと、鼻髭を一ついじり、お爺さんはゆっくりと僕らのテーブルを離れていった。


「何だろう。あのお爺さん?」

 綺麗な足取りで店を去っていくお爺さんの細い体を目で追いながら、僕は呟いた。

「さあ……」

 麗ちゃんは不思議そうに首を傾げている。

 しばらく二人で、お爺さんの背中を追った。


 やがて、その姿が見えなくなると、思い直したように麗ちゃんが声高らかに宣言した。

「じゃあ、明朝二人で九条院総研へ行くわよ! タイムマシンで絶対決着を付けてみせるわ」


 それを聞きながら、悪いけど僕は思った。

 明日、麗ちゃんが壊れちゃったかどうかハッキリするんだと。

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