表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
102/107

七瀬法律事務所

 都会の中に広がる一際大きな空。

 高く真っ青な空。

 僕は空を仰ぎ、大きく伸びをした。

 今、僕がいるのは日比谷公園。

 時間は午後1時、会社員の昼休みが終わった頃だ。

 眼前に広がる景色は、過去に麗ちゃんと訪れた時と大きな変化はない。

 今となっては、麗ちゃんと二人で公園を歩いた、あの時がとても懐かしい。


 公園を出て少し歩くと、皇居が見える。

 この時代は、僕がいた未来と違い、天皇は京都にはいないようだ。

 そして、華族制度もないので皇居跡地の華族街も存在しない。

 過去に麗ちゃんと眺めたお堀を見下ろし、僕は誓う。


 麗ちゃん、必ず見つけるよ! 待ってて!


 大通りを渡り、智晶さんから教えてもらった弁護士事務所に向かう。

 それにしても……。

 今日は出かける間際で、千春さんに見つかり、また小言を言われた。

 帰ったら、一緒にお風呂だそうだ。

 なんだかなー。


 事務所は日比谷公園からすぐで、皇居も日比谷公園も見渡せる好立地のビルだ。

 テナント料もさぞかし高いんじゃないかな。

 そんなことを考えつつ、エレベータを降り、事務所の受付に辿り着いた。

 受付の前に立つと、学生服の女子が現れたせいか、受付嬢が怪訝な表情をした。


「お嬢さん、何かご用でしょうか? ここは法律事務所ですが」

「はい、用があるから来ました。所長の七瀬さんはいらっしゃいますか?」

 受付嬢は露骨に困ったような顔をした。

「あのう、所長にどのようなご用件でしょうか?」

「ちょっと言えない事情なんです。ところで所長はいらっしゃるんですか?」

「はあ……、おりますが接客中ですので……」

「じゃあ、待ってますから、終わったら教えてください」

 そう言って、ロビーにあるソファーに行こうとしたら、呼び止められた。

「お嬢さん、アポイントがないお客様はお断りすることになっているので、また後日にしていただけませんか?」

 僕は学生服のポケットから、今日のための秘密兵器を取り出した。

 昨晩、九条院のおじさんにおねだりして、もらっていたのだ。

 受付嬢にそれを差し出す。

 彼女がそれを受け取り、読み上げた。


「九条院フィナンシャルグループ代表取締役社長、九条院厳夫様? あのー、この名刺は何でございましょうか?」

「ああ、それは僕の父だよ。僕さ、父に言われて今日来たんだけど」

「ぼ、僕……? えっ? あの、九条院フィナンシャルグループとは、九条院銀行の九条院でしょうか?」

「そうだけど。他にそんな名前のグループあるの?」

「あっ、はい、その……、ちょ、ちょっと確認して参ります。しょ、少々お待ちください」

 しどろもどろになりながら受付嬢はオフィスに入っていった。

 さすが、大財閥の社長名刺の威力は凄まじいものだ。

 僕自身はちっとも偉くないけど、偉そうにソファーに腰を下ろし、ふんぞり返ったが、麗ちゃんだったらこんな態度はしないと思い、慎ましやかに座り直した。


 話がもめているのか、なかなか受付嬢が戻ってこない。

 遅いなあ、と思いキョロキョロしてたら、男の客が一人入ってきた。

 派手な鼈甲べっこう柄の眼鏡に、口髭ぼうぼうで頭にはアイボリーのパナマ帽を被っている。

 その男は僕の方をチラリと見て、一瞬歩みを止めたが、すぐにオフィスに入っていった。


 お客さんじゃないのか。ここの弁護士さんだったのかな?

 学生がいるから、珍しいとでも思ったのかな?


 それから、ふと2011年での出来事を思い出した。


 過去でも弁護士事務所に行ったけど、あの事務所と比べるとここは立派だよね。

 随分と儲かってるんだろうなあ。

 あの弁護士も正体は長瀬と名前を騙る七瀬秘書だったし、ここも七瀬だし……。

 七瀬……?

 そういえば、あの七瀬はその後どうなったんだろう……?


 そんなことを考えていたら、「お嬢さん」と呼ばれた。

 見ると、受付嬢が戻っている。

 その顔がちょっと強張っている。


「それで、あとどのくらい待てばいいですか?」

 僕が訊ねると、受付嬢が恭しく頭を下げた。

「申し訳ございませんが、所長はお会いできないと言っております」

 おじさんの名刺があれば絶対大丈夫と思っていた僕は、思惑が外れ、混乱した。

「えっ! 僕、九条院の社長の息子、いや娘なんですけど、どうしてダメなんですか?」

「誠に申し訳ございません。所長がその様に言っておりますので、お帰りください」

 受付嬢は何度も頭を下げるが、納得がいかない僕はついにキレた。

「だって、九条院グループだよ! 大財閥だよ! その社長の紹介なのにダメなの? どうして? 今後の商売に問題あるんじゃないの?」」

「大変申し訳ございませんが、所長は九条院グループとはお付き合いしないと申しております」

「ぐうっ!」

 反論する言葉も見つからない僕は、説得を諦め、オフィスに向かって走り出した。


「お客様、困ります!」

 慌てる受付嬢が僕を追いかける。

 オフィスの扉を開き、飛びこんだところ、勢い余って誰かにぶつかり、僕は尻もちをついた。

 床に倒れる僕の上に眼鏡とアイボリーのパナマ帽が落ちてきた。

 見上げると、さっきの男がいた。

 驚いたように僕を見下ろす男、その顔は、僕の知るあの男だった。


 ◇◆◇


 帽子と眼鏡を落とした男は髭を生やしていたものの、元秘書の七瀬に間違いなかった。

 九条院家を陥れ、僕を二回も殺そうとした憎い男だ。

 その顔は決して忘れはしない。

 

「お前は七瀬だな!」

 立ち上がり、七瀬に掴みかかろうとしたら、逆にその腕を強く握られた。

 七瀬は僕を引き寄せ、小声で囁く。

「……お前は日々之なのか?」

「だったら、どうなんだ!」

「相談役様が! 誰か!」

 受付嬢がそう叫び、人を呼びに走った。


「ここじゃ、騒ぎになる。ちょっと、お前、こっちに来い!」

 七瀬は落ちた眼鏡と帽子を拾い上げ、僕の手を引き、オフィスを出た。

 そのまま事務所も出て、僕を階段に連れていく。

「どこに連れていく気だ! この裏切り者!」

「うるさいから黙って降りろ。下に降りるだけだ」

 手を引かれ、踊り場で抵抗していたら、事務所から太った男が出てきた。

「七瀬相談役、そのお嬢さんは?」

「いや、クライアントのお嬢さんなんだが、ちょっと興奮しているだけだ」

「大丈夫ですか?」

「いや、問題ない。君は仕事に戻りたまえ」

 ひらひらと七瀬が手を振ると、男は戻っていった。

 七瀬が男を見送り、こっちを向いた刹那、僕は思い切り彼の頬をひっぱたいた。

 ペチンとあまり小気味の良くない音がした。


「痛ぁ……、いや、全然痛くないな……」

 七瀬はぶたれた頬をさすったが、すぐやめた。

 僕は思い切り七瀬を睨みつけた。

 そんな僕を見て、七瀬は脱力するように笑った。

「麗お嬢さんに叩かれたのは、子どもの時以来かな……。まあ、今は麗お嬢さんじゃないのだろうけど……」

「何を言うか! この人殺しめ! ここで会ったが百年目だ! いや? 五十年だっけ?」

 啖呵を切ってみたが、決まらない。

 七瀬は平然としている。

「人聞きの悪いこと言うなよ。私は誰も殺してないぞ」

「僕を二回も殺そうとしたクセに、良く言うよ。二回も殺そうとしたら、人殺しだ」

「おいおい、二回だろうが三回だろうが殺人未遂だろう。人殺しじゃない」

 法律事務所の前で、何とも間抜けな応酬が繰り広げられる。

 憤まんやるせなく立ち尽くす僕の肩を七瀬が叩く。


「お前には話しておくことがある。それを聞くかどうかはお前次第だが、どうする?」

「何だ、その話は?」

「ここじゃ何だから、とにかく一回下に降りようや」

 七瀬が階段を降りていく。

 僕も黙ってそれに従った。


 ビルの外に出た。

 僕はまた七瀬の顔を睨む。

「話って何だ!」

「そうだなあ。人に聞かれるとまずいし、どこで話すかな?」

「人気のない所で、僕をまた殺すつもりだろ!」

「また殺すって、だから、お前生きてるだろ……。そうだ、公園に行こう。あそこなら広いから、人に話は聞かれまい」

 七瀬は早足で大通りを渡ろうとする。

 僕も小走りで、それを追った。


 公園に入り、人気のないベンチに二人で腰を下ろした。

「喉が渇いたな。何か飲むか?」

 七瀬は僕の返事も待たずに、腰を上げ、売店の方に歩いて行った。

 逃げるかもしれないので、僕はそれをずっと目で追った。

 戻ってきた七瀬は、僕にジュースを渡し、「ああ──」と太い溜息をついた。

 何だか、凄く気まずい。

 呉越同舟の船に乗っていた敵同士はこんな気分だったのだろうか?


 七瀬がストローでジュースをすする。

 僕もすすると、七瀬がこっちを向いた。


「お前、私を見て何か思わないのか?」

 憎き七瀬は真っすぐに僕の目を見る。


 えっ? 七瀬を見て、何か思わないかって?

 そりゃ、憎いに決まってるじゃん。


 とはいえ、改めて七瀬の顔に見入った。


 いや、どう見ても僕の知ってる七瀬秘書なんだけど……。

 そう思ってから、気付いた。


「そうか!」

 思わず声を上げる僕。


 やっとわかったかという表情で、七瀬が薄く笑った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ